「っ……く」
天音は部屋に戻るとベッドに倒れ込む。
昼休みにはあんなことがあったが、それでも恋人である玲菜と放課後デートをしてきた後だ。
普通であれば嬉しいことをしてきたはずだが、天音は苦悶の表情でシーツを掴んだ。
「う……うぅ……」
不意に涙が溢れてきてしまう。
「何、しているの………?」
心の中にある鬱屈とした気持ちが声になり、天音はベッドの上で身を縮めた。
その原因は昼間玲菜に言われたことではあるが、こうして自分のしていることを悔いるのはこれが初めてではない。
この数日は玲菜と別れ一人になった途端に、負の感情に苛まれ鬱々とした時間を過ごしている。
「玲菜、先輩と……付き合えてるのに」
その事実自体が天音を苦しませている。
ずっと憧れ、好意を抱いていた玲菜。しかし、結月と玲菜の圧倒的な絆を見せられ望むことを諦めようとしていた、その矢先。
玲菜の秘密を知った。
心配をした。助けたいと思った。
けれど、それ以上に天音の心を支配したのは。
(……玲菜先輩)
今でもはっきり思い出せる玲菜の表情。まずいという表情。あのいつもクールで感情を乱すことのない玲菜が見せた揺らぎ。
そして、「見なかったことにしてくれ」という懇願。
もし、ただ玲菜を好きなだけだったとしたらこんなことを思わなかっただろう。けれど、その時天音は玲菜のことを諦めかけていた。
だからこそ生まれた邪な想い。好きという気持ちが最も悪い方向へ変わったことを自覚しながら気持ちを止められなかった。
(……なんで、受け入れたりなんかしたんですか……)
自分でそれを要求しておいて、天音はそう思った。
付き合ってと言った時、玲菜が断ってくれさえすれば多分目が覚めていた。こんなことをしてはいけないと気づけていた。
しかし、玲菜は天音を受け入れてしまった。
どんな形であれ玲菜が手に入ったことを喜んだが、すぐに過ちに気づいた。
こんなことをしていいはずがない。言うことを聞く玲菜を目にしてそのことを後悔したが、それ以上に手に入らないと思っていた玲菜を手に入れた独占欲とその玲菜が自分の言うことを避けられないという支配欲に満たされ、自分でも過ちだと思っている関係を続けてしまう。
無理やりに言うことを聞かせている罪悪感は膨らむばかりだとしても。
玲菜のいういつまでも続けるわけにはいかないという言葉を誰より理解したとしても。
「………貴女は、私のものなんです」
一度手に入れた喜びを離すことなどできるわけがなかった。
「玲菜先輩、偶然ですね」
休み時間の途中、偶然玲菜を廊下で見かけた天音は玲菜に屈託のない笑顔を向けた。
少なくても玲菜にはそう見え、それこそが玲菜の心を痛める。
「あぁ、そうだな」
並んで歩きはじめると、一目もはばからずに腕を組んだ。
「今日はご飯どこで食べます?」
周りの視線を感じながらも天音は演技をする。
周りによく思われていないことなど知っている。玲菜に迷惑をかけていることを知っている。
わかっているからこそ、今更後になど引けない。
(勝手に僻めばいいじゃない)
見せつけてやる。玲菜は自分のものだと周りに知らしめてやる。もともと表面的な付き合いでしかなかった。どう思われたって知るものか。
半ばやけになりながら天音は組んだ腕に力を込めた。
「………そうだな。今日は部室にでも行くか」
玲菜は天音の苦しみがわかるわけではない。わかるわけではないが……
「そんなにしなくても私は君の側を離れたりしないよ」
天音を気遣った言葉をかけた。
それは腕を組むなという意味でなく、必要ないという意味。無理をして束縛をしなくとも逃げたりはしないという意味。
「え……」
天音もそういう意味だとは理解して、理解したからこそその意外さに思わず足を止めてしまった。
「玲菜、先輩………?」
「いくぞ」
しかも、玲菜が手を引いてきたことさらなる混乱を覚えるのだった。
玲菜が優しくなった。
あの一件以来、天音はそれを感じていていた。
明らかにこれまでと態度が違う。
これまでは天音が何かを要求すれば、少し悲しそうな顔をして了承するというのが玲菜の決まった反応だったが、このところは違う。
すんなりと天音の要求を受け入れ、それどころか天音がして欲しいと思うことを口にも態度にも出さずにしてくれる。
最初は戸惑い、次に喜びがあって……それを否定した。
玲菜の変化は天音を思いやってのことだろう。だが、それは決して天音を、天音が望む形で好きになってくれたということではないはずだ。
それがわからないほど鈍感ではない天音は、それでも自分でも馬鹿だと思う期待を抱いて、ある行動をとることにした。
夕暮れの校舎。慣れない二年生の教室を訪れた天音は、自分の席で本を読む玲菜に近づいていく。
「委員会、終わりました」
「そうか、なら帰ろう」
読んでいて本をパタンと閉じ、玲菜はカバンを持つと天音と一緒に歩き出した。
教室から下駄箱へと向かう間。これまでであれば必要以上に玲菜にスキンシップを迫った天音だが、今はそれをすることはなく二人で並んで校舎を出る。
二人の間には和やかな空気すらあり、恋人とまではいかないかもしれないがただの中の良い先輩後輩以上の関係には見えるものだった。
(…………)
その中で天音はちらちらと玲菜の手を伺う。
ほっそりとした長い指に、白い肌。美しいと評する以外に言葉がないその手に……
「っ……」
わざとかすかに手を当てた。
付き合う前であれば、すまないと玲菜が軽く謝っていた。
付き合い始めた当初であれば、困ったような顔をしてから天音を軽く引き寄せていた。
今は
(………っ)
手を、指を絡めてきた。
(……やっぱり)
その行動を予測していた天音は、逆に苦い顔をしてから玲菜の手を握り返す。
少し冷たく、柔らかな手。好きな人の感触はそれだけ天音の胸を高鳴らせてくれるものだが、今はそれが逆に悲しくて。
「……今日、私の部屋に来てくれませんか」
迷っていた心を決意させていた。