本当に天音は玲菜に近づかなくなった。

 廊下ですれ違うなどすれば挨拶もするし、部活にも出ている。だが、必要以上の会話はなくなった。

 玲菜の日常は表面上は元に戻ったと言っていい。

 クラスでの立場は変わらず、部活の仲間は玲菜の要求通りに見ないふりをしてくれている。

 それは玲菜が望んだもののはず。

 朝、結月を起こして一緒に登校をし、クラスの中では一人で過ごしながら、結月と昼食をとり、放課後は部活に勤しむ友人たちを眺める。

 玲菜が望んだ穏やかな時間。

(これで……いいはず、だよな?)

 今日も望んだはずの一日を終え、玲菜はベッドの上で今を振り返る。

 変わり映えのない日常。些細な事件はあっても、大きな変化のない日々。

 玲菜はそれを望んでいたはずだ。深く干渉することも、されることもない他人と一定の距離を置いた関係。

 心を乱されることのない日々。

「……………ふ、む」

 就寝前に本を読んでいた玲菜だったが、内容がまるで頭に入ってこずパタンと本を閉じる。

「……いいはず、なんだがな」

 心にうすら寒い何かがある。これまで玲菜の中には生じていなかった空虚な気持ち。

 不満があるわけではない。ただ満たされない。傷のことがばれるまでは、穏やかな時間を望みながらもみんなに振り回され、それを楽しんでいた気がする。

 今は見えない壁があるように玲菜の中に踏み込まれることはなく、それをこそ玲菜は望んでいたはず、だが。

「………なぜ、天音のことが思い浮かぶんだ」

 気づくと天音のことが頭をよぎる。

 傷のことが知れて以来、脅迫という異常な形ではあったが一番の本気を向けてくれたのは天音だ。

 その天音と今は一番遠くにいる気がする。というよりも次元が違う場所に行ってしまったようなそんな感覚を受けている。

 人との距離や意見を表すのに平行線という言葉を使ったりするが今玲菜と天音はそういうことではなくもっと別の、気持ちの向かう方向そのものが違ってしまっている気がしている。

(ねじれの位置、というやつか?)

 絶対に交わることのない存在のことをそのように表現することがあるらしい。近くに見えていても、限りなく遠い場所。

 それが今の玲菜と天音の関係。

(…………………駄目ではないはず、だが)

 こんな今をこそ望んでいたはず。

「……だが……」

 どうしても今を甘受できていない自分にどこかいらだちを感じていた。

 

 

 望んでいたはずの時間にどこか物足りなさを感じながら日々を過ごす玲菜。

 玲菜の日常はほとんどもとに戻ることはできたが、その中でも天音のことは気にかけてしまう。おそらく天音はそれを望んでいないだろうがもはや玲菜は天音を無視することはできなくなっていた。

 そして、気づく。

 天音の今に。

 玲菜の日常は元に戻った。それは玲菜が【被害者】だったからだ。誰も目にも玲菜が無理やり天音に付きまとわれていたとそう見えていた。

 しかし、【加害者】の立場ではそうはいかない。それを玲菜は気づいていた。

 あからさまにいじめを受けているわけではない。だが、どことなく避けられているようだった。

「…………」

 今日もたまたま天音の体育の授業を自分の席から眺める。

 一定以上の距離を保ち、人と関わろうとしない。よく見れば天音を心配しているような相手もいるようだが天音はそれを知ってか知らずか誰も寄せ付けようとせずに淡々と目の前の競技をこなしている。

(…………私のよう、だな)

 必要以上に人と関わろうとしないその様子にどこか自分を重ねてしまう。

(いや……違うか)

 関わろうとしないのではない。関われないのだ。玲菜の場合は望めば、人と深く関係を持つことも可能だろう。しかし、天音の場合はそうはいかない。玲菜という偶像に近寄りすぎた結果天音は人の輪からはじき出されているのだ。

 それが自分の責任であることはわかっている。しかし、今更どうしようもない。

 天音には別れを告げられているし、玲菜には天音が望んでいる形で天音に応える意志はない。というよりもそれを理解できていない

 ここで中途半端に天音に手を差し伸べたところでそれは天音を余計に苦しめるだけになるだろう。

 なら、これでいい。はず。

(……だよな)

 そう自分に言い聞かせなければいけないこと自体に違和感を感じつつ、玲菜は天音を見守ることしかできなくなっていた。

 ある変化に気づくまでは

 

 

 天音があまり部活に来なくなった。

 玲菜が納得できないながらも受け入れるしかないと諦観しながらの日々の中、そんな変化が起こった。

 聞くところによると学校も休みがちらしい。

 そのことが起きた後も自分はこれ以上天音にかかわるべきでないと自戒する玲菜だったが、ふと結月から気になることを聞いてしまった。

「……それは、本当か?」

 久しぶりに結月と部屋で過ごしていると結月が気になることを口にした。

「うーん、噂だけどね」

「………そう、か」

 小さくつぶやく玲菜だが、自分の心が動揺しているのを感じていた。

「天音が……か」

 今結月と同じかそれ以上に心を乱す相手の名を口にし心の乱れがさらに大きくなる。

 結月から聞いた噂。それは天音が学校をやめるのではという話だ。

 職員室でそんな話を聞いてきた生徒がいたらしく、天音が最近休みがちなこともあり広まった話しらしい。

「しかし、本人が言ったわけではないだろう?」

「そうだけど、先生が言ってたって話らしいし」

「だが、教師が言っていたというだけでは証拠にならんだろう。本人から聞いたということではないんだから」

 と言ってからはっとなる。

 おそらくだが、天音には話す相手がいないのだ。天音は他人と深く関わってはいない。自分にとって重大な何かを話せる相手がおそらくは……いないのだ。

「……玲菜ちゃん?」

「………………」

(もし、本当なら……それは)

 自分が関係していることではないだろうか。いや、自分のせいではないだろうか。

「ねぇ……玲菜ちゃん」

「っ、な、なんだ?」

 気づけば膝枕をしていた結月の手が頬に伸びていて、狼狽する玲菜。

 その狼狽える姿に結月は若干の寂しさを感じつつも

「気になるなら……聞けばいいんじゃないかな。私たちがここで話してたって答えなんてでないよ」

 玲菜を想う一人としてそんな言葉を吐いた。

「だが……私は……」

「何があったのかはわからないけど、でも……気になるのなら向かっていった方がいいって思うよ」

 玲菜を見つめる結月の瞳に暖かいものが宿る。それは恋ではなく親愛。

 その暖かさに背中を押され玲菜は

「……そう、だな」

 と迷いつつも決断をしていた。  

 

天音2-2/天音2-4

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