他者に嫌われることを好む人間はそうそういないだろう。
誰だって嫌われるよりは好かれることを好むはずだ。
玲菜の場合、好かれるということを意識したことはないが自然と好意を持たれることは多く、また幸運にも優しい人に囲まれて生きてきた。
冗談で結月から嫌いという言葉をもらったことこそあるが、唯一結月のことだけは特別視をしていたし、それが本気でないことはわかっていた。
嫌悪という感情から玲菜は遠ざかって玲菜は生きていくことができていた。
しかし天音にその感情をぶつけられた時玲菜は嫌われたらどうなるのかということを思い出してしまった。
両親に捨てられたのは嫌われたからだったという証拠はない。だが、玲菜に限らず玲菜と同じ立場であれば多くの者が同じことを思うのだろうが、嫌われたからこそ捨てられたと玲菜はいつのまにか思い込んでしまっている。
大好きだったからこそ、その傷は深く、玲菜に自分自身を肯定させることすらできないようになってしまった。
そう、ただ嫌われたからではない。
嫌われたくない相手に嫌われるからこそショックなのだ。
(……つまり、私は)
「……すまないな」
天音の部屋に連れてこられた玲菜は、用意されたクッションの上でしばらく自分の心と対話をした後まずは謝罪をする。
「……いえ」
対面に座る天音は歯切れ悪く答え、心配そうに玲菜を見つめる。玲菜とは本当に終わりにするつもりだったが、さすがに目の前で倒れそうになるのを放っては置けず結局家にあげてしまった。
それが自分のせいとはわかっているが、それでもなぜ玲菜がここまでショックを受けたのかわからず自分の部屋だというのに居心地の悪い時間を過ごしている。
「理由を話さないわけにはいかないだろうな」
玲菜の声は固いが気のせいか天音は玲菜の表情にどこか光がさしたような感じを受けている。
「……は、はい」
気づくと天音はそんな玲菜に見惚れており返事がワンテンポ遅れてしまった。
「……私はな親に捨てられているんだ」
「えっ……?」
玲菜は覚悟を持ち、また事実として受け止めていることを口にしているにすぎないが天音はいきなりの情報に驚きを隠せない。可能性の一つとしては考えていたとしても、普通に生きてきた天音に玲菜の告白は衝撃的だった。
「そうだな……詳しくは後で話すが、私は両親のことが大好きだった。だが、捨てられたということを事実として受け入れる時、その理由を探し、嫌われていたからと考えた。それはある意味で心を守るための手段だったのかもしれないが……今は、それはいいか。君に嫌いだと言われた時……そのことを思い出した。まぁ、トラウマを刺激されたというやつだな」
「あ……の……ごめん、なさい」
天音は蒼白となり謝罪をのべる。自覚なしにしたことだが、自覚がなかったからこそ余計に玲菜の心の傷を抉ってしまったということを認識し、後悔に苛まれていた。
だが、玲菜は穏やかな表情で「いや」と首を振り、それから
「あ……」
天音の頭を軽く撫でた。
「気にするな、そのおかげで私は自分の気持ちに気づけたのだから」
「え?」
「私にとって、君は嫌われたくない相手だということだ」
「っ………」
それは玲菜にとって愛の告白に近いものだった。
ずっと心にかかっていた靄を払い素直な気持ちを露わにできた瞬間。
「私はな、ずっと君に憧れていた。以前、君の方が私に憧れているなどと言ってくれたが、逆なんだ。私こそずっと憧れていた」
「は、い?」
「私は、何にもない人間だ。捨てられたということが原因だろうが、私は何がしたいのかわからずただ生きているだけだった。そんな私に、将来の目標を語る君はとても輝いて見えた。君のようになれたらとうらやましく思った」
自分には何もないと思っている。だからこそ、玲菜は天音に限らず目的を持つ相手を尊敬していたが天音はその中でも特別だった。
「だからこそ……邪魔をしたくなかった。私などのせいで君の将来の夢の負担になってはいけないと思った。……君に脅された時に応えようとしたのはそういう理由なんだ。正しいやり方ではなかっただろうが、あの時は応えるこそこそが君のためだと思った。結果、君を苦しめてしまったかもしれないがな」
「そんな……ことは」
ないと断言はできないが、それの事情を知った今天音はいかに自分が身勝手だったかを知り玲菜を傷つけてしまった咎に心を揺さぶられている。
「だが……それもまた運命とでもいうのか……結果的には悪いことではなかったのかもしれないな」
玲菜は心の中に宝物でも見つけたかのように少しはしゃいだ表情で次の言葉を述べた。
「私は、天音が好きだ」
「え……?」
天音は現実を受け止めきれずに硬直する。そんなまさかと思った。いや、ありえないと考えた。
「この気持ちが恋愛感情かということは自分でもまだよくわからない。しかし、私は君の側にいたいと思う。夢を追う君のことを支え、一番近くで輝く姿を見ていたいんだ」
玲菜はこういったことに慣れてないが、故に感情に素直になることができた。
「……でも、私……」
対して天音はひねくれてしまっている。いや、素直に気持ちを受け取るにはこれまで玲菜に対しての仕打ちがそれをさせてはくれない。
「君が私を脅したということを気にするなら、私が君を無神経に傷つけたことがどうする?」
「っ……」
「私は今、君が好きだと言った。過去の出来事も大切かもしれないが、それに縛られて今を見ないなど愚かだろう。これまでにあったことではなく、今とこれからを見てほしい」
過去が今と未来につながっていることは確かだ。しかし、過去を自らの未来を潰すなど若者がすべきことではない。
「………それでも、君が納得しないというのなら言い方を変えさせてもらおう。」
天音の心が見えない玲菜ではあるが、これからのために自分の気持ちを伝えることに迷いはない。
「?」
「君の側にいたいというのは自分のためでもあるんだよ。私は何もない人間だと言っただろう。誰よりも憧れる君の側にいれば、何かが見つかるような気がするんだ。いや、君と一緒に見つけていきたいと思う。だから一緒にいたいんだ」
それはある意味では利己的な発言にも思えた。
だが
「……ふっ……ふふ」
そのずれた所こそが玲菜らしく天音はつい笑ってしまう。
「……笑われるようなことは言っていないと思うが……?」
「ふふ……ふふ、いえ、、らしいなって思っただけです」
「む……ぅ? それはもしかしてバカにされているのか?」
「いえいえ、そういうわけではないです。ただ……ほんとにらしいなっていうだけですよ」
ずれているなと言ってもよかったらやはり玲菜らしいという言葉がぴったりで天音はようやく晴れやかな笑顔を見せる。
「私も玲菜先輩のこと、好きです。大好きです。私だって玲菜先輩に憧れています。それに玲菜先輩のおかげで私は、やりたいことを見つけられた。だから……ううん、だからじゃないんでしょうね。そんな理由なんてどうでもいい。玲菜先輩と一緒にいたいです。私は好きになってからずっとそう思ってた」
ようやく気持ちを吐露する天音に玲菜は、安堵の微笑みを向けた。
「……ありがとう」
「私もです……ありがとうございます、玲菜先輩」
気持ちを通じ合わせた二人はお互いの瞳に互いを写す。
何とも言えない幸福感が妙に恥ずかしく頬を染めあう。それは二人が今まで見たことのない好きな人の表情。
「ぅ……」
見つめあっているだけで気恥ずかしさが増し、先に音をあげたのは玲菜の方だった。
「? どうしたんですか?」
「いや……その、急に君が可愛らしく見えてな」
以前から容姿が優れていると思ってはいたが、気持ち一つでここまで見る世界が変わるのかというほどに玲菜の目には天音が愛らしく見えた。
「っ……」
その姿がまた天音の目に玲菜を愛しく見せる。照れた姿は初めて見たはずなのにこれもまたらしく見え、そのあまりに魅力的な姿が天音にある行動をとらせることを決めさせた。
「ふふ。なら、もっともっと私のこと見てくださいね。玲菜先輩にならどんな姿だって見せますよ。だから」
自分からするのは初めてなのに不思議と天音に迷いはなかった。一度は別れるきっかけにもなった行為だというのも関わらず、天音は躊躇なく玲菜の肩に手を添えると、
「んっ……」
玲菜の端整な唇を奪った。
それはこの前と同じ、しかし決定的に違う口づけ。
「っ……ぁ。なっ……い、いきなり何を」
玲菜はまるで初心な少女のように動揺を見せる。
そんな玲菜が可愛い。綺麗。愛おしい。
天音はそんな幸せな気持ちで笑い、キスの前に言いかけた言葉を続ける。
「玲菜先輩の可愛いところももっと見せてくださいね」
と、再び唇を奪っていった。