最悪な気分。
件の土曜日。
私は彩音のベッドの上に寝そべりながらそう思っていた。
本当に最も最低な気分。
愛してる相手のベッドにいながら心を沈ませ、その相手のことを不愉快に感じながら思う。
今私をこんな気持ちにさせているのにはいくつか理由がある。
まず、彩音が今日までの時間普段通りだったということ。
私に嘘をついて後輩とデート(実際は知らないけどあえてそう言う)するというのに、後ろめたさも感じてないようでいらいらした。
次に、噂なんかに影響されてこんなことしてる自分に腹が立つ。
その噂が本当かどうか直接彩音に聞けばいい。いや、そんなことすらせず無条件に彩音を信じればいいのに。あんな場面を目撃して、少し嘘をつかれたくらいで臆病になって何もしないまま、ううん、できないままに今こうしている自分が情けない。
彩音と一緒に暮らす前まではこんなに臆病じゃなかったはずなのに。
でも、本当に嫌な気分にさせてくれる理由は今あげたようなものじゃない。
これまでの過程や私自身の問題なんか些末。どうでもいいこと。
彩音が今、私の知らない相手とデートをしていることに比べれば。
(なによ。……なによ、なによ、なによ!)
私は何度も同じことを思ってベッドに腕をたたきつけた。
(あんたは私のでしょ! 私のことが好きなんでしょ! 私が一番なんでしょ!?)
それなのに、どうして私に嘘をついて他の子と一緒にいるのよ。
理由があるのなんてわかるけど……けど、なんでよ!
彩音のことは信じてるわよ。気持ちを疑ってなんかない。
でも……
「やだ……こんなの」
自分でも情けなくなるような弱々しい声。
(っ!!)
瞳の奥が熱くなってそれがまた私を苛立たせた。
(なに泣きそうになんかなってんのよ!!)
信じられない。どういうことよ泣きそうって。
その意味を一瞬だけ考えて、考えるのをやめた。
深く考えても絶対にいい答えにはたどり着かないから。
(ほんと、最悪……)
改めてそう思いながら彩音の枕をぎゅっと抱きしめた。
「…………」
しばらく彩音の匂いで気を紛らわせていた私だったけど、ふとあることを思い出す。
(私の時は、付けてきてたわよね)
それは、彩音以外とした唯一のデートのこと。といっても、相手はゆめの従姉妹で小学生の子だったけれど。
それでも向こうは本気のデートのつもりで私もそれには答えたつもり。
(よくあのバカは私のこと見てられたものね)
私の気持ちを信じてたのはもちろんだろうけど、そういうのとは違う気がするのに。
いくらそのデートの相手よりも自分のほうが好かれているとわかっていても、そういう問題じゃない。
自分以外といて、楽しそうにしているというところがすでに耐え難いことだって思うのに。
だから私は今日彩音のことを追いかける勇気がなかったのに。
本当はすごく気になる。
どんなことをしてるのか、何を話してるのか、笑顔でいるのか。
すごく気になって、すごく怖い。
彩音は、バカだから。優しいから。
今一緒にいる相手よりも私のことが好きでも、ちゃんと相手の子のことを考える。心の中じゃ少しは後ろめたいことを思ったりもするかもしれないけど、多分それを悟らせないでデートをする。
その子に対して真剣に向き合うだろう。
良くも悪くもそれを自覚なしにやるのが彩音。
だから、少し心配だ。
そのせいで相手の下級生が本気で彩音のことを好きになってしまうんじゃって。
私も彩音のそういうところに何回もやられてしまっているから。
自覚なしに私の心に入ってきて、私のしたいことをしてくれて欲しい言葉をくれるんだから。
バカだけど、かっこよくて、少しおかしなところもあるけど、優しくて、むかつくところもいっぱいあるけど……
(……大好き、彩音)
枕を抱く腕に力を込める。
もう嗅ぎなれている彩音の香りを胸いっぱいに吸い込んだ私は少しだけ、その幸せに満たされ
「って……何してんのよ私は」
と枕を抱きながら惚気ている自分を馬鹿らしく思った。
ただそれでもそのことをきっかけに彩音のむかつくけれど大好きなところを、彩音の香りに包まれながら思い出すと心を落ちかせることができた。
もっとも、彩音が帰ってきてからは不機嫌にさせられるのだけど。
大きな感情って言うのはよくも悪くも長続きしない。
昼間彩音のベッドでご機嫌には慣れたけど、夕方が近づくとそれも薄れて行った。彩音は夕飯前には帰ってくると言っていた。
もう日暮れでそろそろ帰ってくるはずだ。
デートから帰ってくるはずだ。
彩音がどんな顔をして帰ってくるのか気になってたまらない。というよりも彩音はバカなんだから多分笑顔で帰ってくる、どうだったかを聞けば楽しかったと答える。
それが想像できて不安というより、いらいらさせられた。
そして実際
「ただいまー」
帰ってきた彩音が嬉しそうなのを見て余計に不機嫌にさせられた。
「……おかえり」
部屋に戻ってきた彩音に私はその感情を隠すことなく声に乗せる。
「ん。留守番ご苦労」
だけど彩音はそれに気づくこともなく私の前を通り過ぎると持って行っていたショルダーバッグを机に置いて中身を整理し始めた。
「楽しかった?」
なんと答えられても多分前向きには取らないとわかっているのに聞いてしまう。
「まぁねー。けど、大切なのは今日じゃなくてこれからだけど」
「は? 何……よ、それ」
彩音は深い意味など考えずに答えたのだと思う。もしかしたら私を茶化そうとしていた部分もあったのかもしれない。
けれど、真実はどうであれ【これから】っていう言葉が私の頭に引っかかった。
(まだその子と先があるっていうこと?)
「んー、まぁ、内緒」
「……………」
彩音がこちらを向いていなくてよかったと思う。今彩音に見られたら気持ちを隠しきれないと思うから。
「おっと、そうだ」
そうしていると彩音は何かを思い出したように部屋を出て行って、階段をトントンと降りて行った。
「………………」
その最悪な気分なまま何気なく彩音が取り出したバッグの中身を見ているとあるものに気づいた。
(あれは……)
そこにあったのは、何の変哲もないペットボトル。それ自体はもちろん大したことじゃないけどその中身が私の目に留まった。
その商品は確か彩音が苦手だと言っていたものだ。彩音は外出する時はほとんど同じお茶を買っているし自分で買ったのではないだろう。ということはつまり
(一緒の子にでももらったの?)
そう考えるのが自然。それ自体も気に食わないことだけど、私がそれ以上に気に食わなかったのは
(ふん、彩音の好みも知らないんじゃない)
そう優越感に浸る自分がいたこと。
そんな自分が恥ずかしい。情けない。
このことがなければ今日のことを無理にでも聞けたかもしれないのに、嫌な自分を見るのが嫌で私は今日のデートのことをそれ以上聞くことができず、また彩音が話してくれるかもという期待も見事に打ち砕かれ、翌日この噂の一件で最も衝撃的なことに遭遇することになる。