望との出会いは特別なものではなかった。

 ただ、初めて話したのは思い返せば沙羅にとって運命と呼ぶことができることでもあった。

 

 

 その日、沙羅は今となっては何故だったか思い出せないが下校時間の近くなった校舎の中を歩いていた。

「んしょ……んっ」

「ん……?」

 丁度自分のクラスを通りかかったところで人の声が聞こえて沙羅は廊下の窓から教室を覗いてみた。

「よいしょ、っと」

 見ると、クラスメイトの一人が一人には広すぎる教室で端に並べてある机を一つ一つ丁寧に運んでは指定の場所に並べていっていた。

「かみなが、さん?」

 沙羅は教室の外からそのクラスメイトの少女、神永望の名を呼んだ。

「ふ、ぅ……」

 望は肩までもない短な髪をゆらしながら小柄な体で机を運んでは並べるという作業を黙々と続けていた。

 その行為自体はなんら変哲のないものだったが問題はそれを一人でしているということだ。

「神永さん」

 この光景になにやらよからぬものを感じた沙羅は教室に入っていった。

「あ、望月、さん。どうかしたの、忘れ物?」

 部屋に入ってきた沙羅を望は愛らしい顔とおっとりとした瞳でなんともなさそうに迎えた。

「どうしてはこっちの台詞」

 逆に沙羅は若干不機嫌にも見える様子で望に近寄っていった。

「え?」

「え? じゃない! なんで一人で掃除なんかしてるの!

「あ、えと……今日はみんな用事があるって言ってたから」

「…………だから、何?」

 どんな理由が飛び出してくるのかと思っていた沙羅はあまりにも低俗な理由に眉をひそめた。

「何って……しょうがないからこうして、一人でしてるの」

 さらには望がそのことを何とも思っていなさそうなところも沙羅を不機嫌にさせていた。

「まさか、いつも一人でしてるんじゃないでしょうね」

「ち、違うよ。いつもみんなちゃんとしてくれるし、今日はほんとに偶々なの」

「……それが本当だとしても神永さん一人に押し付ける理由にはならないじゃない。何で貴女は平気そうにしてるの?」

「え……わたし、は別に用事なんてないし……ちゃんとしておかないと明日みんなが困るし」

「っ………」

 微妙に話が通じていない様子に沙羅は頭を抑える。

(利用されてるって気づいてないみたいね)

 今までまともに話したことがなかった望に気の弱そうというイメージだけを持っていた沙羅だったが、そこに間抜けという評価を加えた。

「はぁ……」

 沙羅は一つ大きなため息をつくと

「よいしょ、っと」

 望がしていたように机を並びだした。

「あ、望月さん?」

「手伝う。貴女一人じゃいつまでかかるかわかったものじゃないから」

 教室の当番ではないのだから義務はない。しかし、見過ごすのは沙羅というよりはほとんどの人間には出来ないことだ。

「あ、ありがとう」

 小さな嫌味ももろともせずに素直に感謝を述べる望に軽く呆れると沙羅は手早く作業を済ませていった。

 

 

「はぁ……」

 すべての机を並べ終えた沙羅は軽くため息をつく。

 小学生の頃からしてきたことではあっても二人でクラスの全員分を終わらせるのは楽なことではなかった。

「ありがとう、望月さん」

「ん? いいわよ、これくらい」

「うん、でもすごく助かったから」

「……ここで私にありがとうっていうよりも、先帰ったバカ共にバカっていうほうが先なんじゃないの?」

「え、でも、用事があるんじゃ、しかたないし」

「……ふぅ。ま、いいわ」

 人がいいというのか、流されているというのか。

 半ばあきれるように沙羅は踵を返して教室の出口へと向かっていった。

「それじゃあね、神永さん」

「あ、待って望月さん」

 が、すぐに望に呼び止められた。

「何?」

「お礼、したいんだけど、時間大丈夫?」

「いいわ、別に。そんなことしてもらいたかったわけじゃないんだから。見返りが欲しくて手伝ったなんて思われたら迷惑」

 沙羅は別に誘いが迷惑だったわけじゃなかった。ただ、この程度でお礼を受け取ること自体が好ましいと思わずにぶそうな望にきつく言ってしまっただけだった。

「あ、…そ、そんなつもりじゃ……」

 だが、それをまともに受け取られてしまい望はひどく申し訳なさそうにする。

「っ……」

(……本当に私がそういう目で見られたって思ったの? 今ので?)

「わかってるわよ。私のほうが悪かったわ。お礼、是非受け取らせてもらう」

 一応、自分のほうが失言であったと自覚できる沙羅はすぐに訂正し望の前に戻っていった。

「あ、うん!

 すぐに笑顔で頷いた望を見ながら沙羅は手間のかかる相手だなと思うのだった。

 

 

「ふぅん、こういう所が趣味なんだ」

 お礼がしたいといっていた望につれてこられたのは少し意外な場所だった。

「うん、なんとなく雰囲気が好きなの。それにとってもおいしいよ」

 そこはあえてうまく言葉にするのなら甘味処といった場所だった。店内は完全に和風になっていて今二人がいる場所も畳の座敷だった。

(……なんとなく正座になっちゃうわ)

 足を崩しても問題ないはずだが、望も正座しているのとこのなんともいえない和の雰囲気にはそうさせるものがあった。

「確かに、神永さんには似合いそうね」

 少し表通りから外れているこの店は静寂に包まれており、それがこの和とうまくマッチングしてどことなく神秘的なものにも思えた。

 年頃の女の子が趣味にするようなところではないかもしれないが、望には普通の喫茶店でおしゃべりというよりこうしたところで静かにお茶を飲むほうが似合っているように思えた。

 その後店のことや望のことを聞きながら、少しすると感じのよさそうなおばあさんが注文していた緑茶と団子を持って来た。

 餡子と蜜の定番の二つだ。

「いただきます」

「い、いただきます」

 望が手を合わせ丁寧に言ったのにつられ沙羅も同じようにしてまず餡子の団子を一つほおばった。

「あむあむ……ん……おいしい」

 程よい甘さに団子の口当たりのいい食感。

 それは望が嬉しそうに言っていたとおり美味なものだった。

「あは、よかった」

 推薦した手前、沙羅の口からそう告げられると望はまるで自分がほめられたかのように嬉しそうな顔をした。

「私ね、こういうの大好きなの。普通のケーキとかよりも全然こういうほうが好き」

「確かに、そんな感じね。こういうほうが似合ってると思うわ」

「うん、ありがとう……あむ」

 別にほめたわけではないが望は照れたように団子を食べ始めた。

「ん……おいし」

「へぇ、可愛い顔するじゃない」

「え?」

「今、いい顔してるわ」

「あ、ありがとう」

 気が弱そうとか物静かという望に似合うイメージは暗いというもの付属しがちだが、それを払拭するには十分な愛らしい笑顔をできることを沙羅は発見し、望はさっきよりも照れた様子を見せた。

「……ねぇ、望」

 その笑顔に惹かれたのか沙羅の口からは自然にそんな言葉が飛び出す。

「え、……え?」

 さきほどまで神永さんだったのが、急に望へと変化し望は首をかしげた。

「そう呼んでもいい?」

「え、う、うん……いい、けど」

「そ、じゃあ、私のことは沙羅でいいわよ」

「え……望月、さん?」

「だから、沙羅よ」

「え、えっと……さ、ら?」

「そう、友達なんだから堅苦しいの抜きにしさないよね」

「へ?」

 沙羅があまりに急なことばかりをいうので望は対応しきれていないのだろう。串をもったまま半ば固まってしまった。

 なんとなくそれを察した沙羅はそろそろつらくなった正座のまま緑茶を一口すする。

「えっと……おとも、だち?」

「そ。迷惑?」

「う、ううん! そんなことないよ!

(必死に否定されるとこっちが強要してるみたいじゃない)

「ただ、望月さんが」

「沙羅」

「あ、さ、沙羅が友達だなんていってくれるなんて思わなかったから」

「そうね。今日までは思ってなかった。でも今は友達になりたいって思ってる」

「え、っと……どうして?」

 さっきから食べるのが止まってしまった望は目を丸くしっぱなしだった。大好きだといっていた団子に一口も手がつかずお茶も飲むことはない。

 対する沙羅はなんとなくしなければいけないと思っていた正座も崩してリラックスしながら望に素直な気持ちをぶつけていた。

「まぁ、色々あるけど、とにかく友達になりたいって思ったの。こうして少し一緒にいただけでも楽しかったし」

「あ、ありがとう…………沙羅」

「うん」

 ありがとうの後に初めてはっきりとそう呼んでもらえたのを友達になることを了承してもらえたと解した沙羅は嬉しそうに頷くのだった。

 こうして特別でもなんでもない、しかし偶然という運命がもたらした二人の関係は始まっていった。

 

 

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