さらに翌日、私は放課後の図書室で本を読んでいた。

 いつもの人気のない奥まった席。

 別にユニの事が解決したわけでもどうでもよくなったわけでもない。

 こうしてるのはユニを待つ間暇だから。

 昨夜ユニと話すにはどうしたらいいかと考えた末、私がしたのは手紙による呼び出し。

 契約による食事をしなければいけない以上、いつかは部屋に戻るはずだけど、それがいつかはわからないし、ユニの心が落ち着いていなければ食事だけ済まされてまた逃げられるかもしれない。

 手紙で事前に話があるとわかってもらえればユニも無茶なことはしないだろうという希望的観測。

(それに、こういうシチュエーションはユニは好きはずだし)

 手紙で放課後に呼び出しなんて如何にもなやつ。

 よく考えるとユニは自分が恋をしている自覚がないのだから、無意味な気もするし、他にも穴はいくらでもあるだろう。

 だが、それでもいい。上手くいかなかったら次を考えるだけ。

 逃がすつもりはないのだから。

それでも早いに越したことはないなと思いつつ、あんまり内容の入ってこない本をめくっていると。

「……楓恋」

 先ほどの心配は杞憂だと知る。

「久しぶりだね、ユニ」

 本棚をすり抜けてやってきた目的の相手に立ち上がって声をかける。

 数日食事をしていないはずだが、特に目に見えて衰弱しているということもなく見た目は喧嘩したときと変わっていない。

 ただ。

「……初めてみるね。そんな姿」

 覇気がないというのはこういうことを言うのかな。

 見た目は変わらずとも、私を見る瞳には光はなく表情も陰っている。

 出会った時からユニはいつも感情豊かで基本前向きで、がっかりすることや落ち込むことはあっても、それを引きずることはなかったのに。

「…話って、何」

 声にも力はなく、手紙で呼び出されたことに期待は抱いていないようだった。

「とりあえず、下りてくれるかな? 対等に話をしたい」

 飛べるからよく上から話しかけてくることが多いけど、これから話すことは見上げながらじゃなくて、顔を突き合わせて、視線を交わして伝えたいのだ。

「…ん」

 言葉少なにユニは飛ぶのをやめると、地に足をつけた。

 私も椅子から一歩動き、本棚の前で向かい合う。

(ほとんど飛んでるから忘れがちだけど、背は小さいな)

 並び立つと私よりも十センチは低く、今の心持ちさらに小さく見せている。

 普段は居丈高なところもあるユニが今は内気な少女のようでそのギャップには……何か、言いしえない気持ちも抱きそうだが今はいい。

 数分後にはこれが私の望む姿に変えなくてはいけないのだから。

「ユニ。この二日、私は寂しかったよ」

「………っ」

「こんなに離れてたのは初めてだったし。一緒に学校から帰れないことも、帰ってきてただいまと言えないことも、お帰りと言ってもらえないことも、お休みと言えないこともおはようと言えないことも寂しかった」

 一緒の時には当たり前だったやり取りそれがなくなった静かな部屋はユニの存在の大きさを思い知らせてくれた。

「ユニは?」

 私の気持ちを伝えるのもだけど、ユニが私が怒ってるなどと勘違いしたままでは困る。

「あたしは…こわか、った」

 まっすぐにユニを見る私とは対照的にユニはこちらを見ずにそう答えた。

「怖い?」

「だって、楓恋に、ひどいこと言っちゃったし」

 出て行った日、ユニは感情の暴走を止められず私を罵った。

 それを私の考える以上に思い詰めているようだった。

 二日も合わせる顔がないと思うほどに。

「……楓恋が私の事、嫌い……になってたらどうしようって」

 ユニは明らかに顔を歪めている。

 涙も嗚咽もないけど泣いているようにすら思える沈んだ表情。

(恋、してるんだ)

 改めてそれを確信した。

 あの程度の失言で好きな人に嫌われると思ってしまうほどに。

(本気で私の事が好き)

 ユニがそう思っていることを噛みしめ、私は私の話を切り出すことにする。

「ユニ、先に言っておくよ。ユニのこと、嫌いになんてなってない」

「っ。本当?」

「当たり前だよ。嫌いになるわけない」

「でも……あたし楓恋に」

「ひどいも何も、私に友達が小雪しかいないもの事実なら、私が小雪の友達の中の一人なこともね。まぁ、浮かれてたわけじゃないけど。怒らないし、嫌いになるわけもない」

 ユニがあの事を重く感じてくれるのなら、それを笑い飛ばしはしない。

 ただ

「ユニに何を言われたって、嫌いになったりなんかしないよ」

 これが私の中の真実。

「嘘じゃないよ、ユニ」

 優しく、しかし力強くそれを繰り返した。

「そう、なんだ……」

 最初は真偽を確かめるような戸惑いを、ついですぐに安堵の表情を浮かべた。それも、心の底からと言えるような顔を。

 それほどまでにユニは私に、「好きな人」に嫌われることを恐れていたということ

(……多分、私とユニは同じ土俵には立ててない)

 恋をわかっていないのは同じで、ただ冷静なだけ。

 それでもユニと仲直りの兆しが見えたことに希望を抱き

「じゃあ、映画行かない? もう会わない?」

「っ……」

 笑顔になった極端なユニに壁があることを実感する。

 ユニが言った事を怒ってもなければ、嫌ってもいない。

 それと小雪と関係を断つかは全くの別の問題だがその区別もついていない。

 もしくは、頭では理解していても心が「恋敵」を拒絶しているのか。

 だからこその映画よりさらに踏み込んだ会うななんてことを言ってきたのかも。

「それはできないよ」

 ややこしくなりそうではあったが偽るつもりはなくはっきりと答える。

「っ……」

 息をのむユニ。再び顔がゆがみ泣きそうでもあり、同時に裏切られたというようは憤りも感じる目。

 この流れはいいものではなく、ユニが出て行った時に近いのかもしれない。

「やっぱりあたしよりあの子の方が…好……っ」

「違う」

 無自覚の中にも恋の感じさせるユニの言葉を遮って明確に否定した。

 私もまたあの時と違う。本気の感情に当てられて何も言えなかった私ではない。

「ユニ、私の話をさせて」

 感情を乱してるユニの手を取って優しく力を込めた。

「……………」

 何を話されるのかとまた不安そうではあったものの振り払うことなく、私を見返した。

「小雪とどっちが大切かって聞いたよね」

 それはさっきではなく、出ていく時に言われたこと。

「私は、私にもまだ恋とか愛とかなんてわからない。でもね、その質問には迷いなく答えられる」

「………っ」

「ユニの方が大切。小雪と比べてだけじゃない。私にとって一番大切なのはで大好きなのはユニだよ」

「ふ、ぁ……?」

 私が好きなのだから喜ぶかとも思ったけれど、意味が飲み込めていないようにぽかんと口を開ける。

 自分の恋を理解できていないユニにとって、私のこの告白はどう受け止めればいいのかわからないのかもしれない。

 それでもいい。今は私の告白を続けさせてもらおう。

「私は今、楽しく生きている」

「え、な、何の話?」

「私の気持ちの話」

 脈絡のない展開にユニが困惑するのもわかるけど、これも伝えておきたいこと。

 どれだけ私にとってユニが大きな存在かということを。

「私はユニに会うまで『明日』を楽しみに生きてなんてなかった。積極的に死にたかったわけじゃないけど、生きていたいとも思ってなかった」

 幼いころから抱いた世界への疎外感。自分はこれまでもこれからも普通に……それこそ創作の中の人間のように友達を作ったり、恋をしたりなんて遠い世界のことのように思っていた。

「でも、ユニと出会ってから世界は変わった。ずっと病院にいた私が今更普通に生きるなんて楽じゃなかったし、結局、ユニが望むような恋もできなければ友達だっていないままだった」

 こんな風に自分語りをしながらの告白を私がするだなんて。

「けど、ずっとユニが隣にいてくれたからここまでやってこれた。楽しかったよ。誰かと自分の好きなものの話で盛り上がれるなんて初めてだった」

「それは……私も楽しかった」

「そうだね、一緒だから楽しかった」

 一方的に助けられたんじゃない、互いに寄りかかっていた。

 そんな関係だったんだよ。

「それに……」

 今からまたユニの逆鱗に触れる。ここを避けたら、同じことを繰り返してしまうから。

「友達もできた」

「っ……」

 小雪のことだというのは名前を出さずともわかり、雰囲気が強張る。

 取り乱さないのは私の気持ちが少なからず伝わっているからと信じたい。

「ユニが気に食わないのはわかるけど、あえて言わせてもらう。小雪も私にとっては大切な友達。……小さい頃に憧れて諦めてた学校の友達」

 ユニと違って、自らの力で得た友達。

「ユニと一緒にいるのとは違う喜びだった」

 人の目を気にすることもなく学校で普通の話ができるという他愛のないことが私に初めてで楽しかった。

「それをくれたのもユニだよ。私が楽しいと思えるもの、嬉しいと思えること。全部、ユニのおかげ」

 言葉は事前に考えていたもの。でも体はそれ以上にユニへの気持ちを表そうとして。

「ユニ」

「ぁっ…、楓恋?」

 ユニを抱きしめていた。

(…暖かいな。それにいい匂い)

 抱いた腕から伝わるユニの感触。鼻先をくすぐる髪から香るユニの芳香。重なる胸。

 キスはしていても初めてのその感触に思わず心が昂ぶり、その心のまま。

「私に世界をくれてありがとう」

 万感を込めて、耳元で囁いた。

「誰よりもユニのことが好きだよ」

 続いた言葉に一瞬自分で驚きながら想いを伝える。

(……我ながら卑怯な告白)

 ユニの気持ちを指摘することもなく、ただ一番好きだと伝えるもの。

 小雪よりも誰よりも上だという私の中の確かな想いを伝えるもの。

 それだけのつもりだったはずだけど

(……もし、ユニが理解をするのなら)

 などと、告白の高揚に引っ張られる思考をする私。

「……好き、って本当?」

 それは一瞬、恋を理解したのかと思わせる反応だったが。

「あたしが一番……?」

 多分、違う。

 そう感じさせる無邪気さが声にはあった。

「……そう。世界で一番ユニが好き」

「ふ、ふーん。そう。そんなに楓恋はあたしが好きなの」

 無垢な響き。例えるなら、幼児が親に一番好きと言われた時のような。好きの種類を理解していないが故の純真な気持ち。

 一瞬頭をよぎった覚悟はなんだったのかと拍子抜けしながら抱擁を解いた私は。

「そう…あたしが……楓恋の、一番……え、へへ…」

「っ……!」

 頬をバラ色に染め、私の気持ちを噛みしめるように抑えきれない笑みを浮かべるその姿。

 湧き上がる気持ちを抑えられないのか小さな手を頬に当て、ぎゅっと気持ちを確かめるみたいに身を縮めたりもして。ピンと立ったしっぽまで揺らして。

(っ!…か、っ……わいい)

 思わず胸をときめかせた。

 まだ告白の高ぶりが残っているのか、胸がドクンドクンと早鐘を打つ。

 衝動的に再び抱きしめてしまいたくなるような圧倒的な可愛さ。

 だが、感情に任せて再び抱きしめるなんてのが適切ではないと理解できる程度には冷静で代わりにこのことを思う。

(本当に恋が理解できてないんだ)

 大切とか好きというのもだけど、何より一番ということに反応するのはその証拠。

 私としてはユニの恋にどうするべきかも悩めば、こんな告白は不誠実かもとも思ったし、さっきなんて覚悟まで決めてしまったのは間抜けというかなんというか。

 なんにせよ。一件落着だと胸をなでおろしかけて。

「あーあ、安心したらお腹減っちゃった」

「っ……そう」

 まだここでのことは終わらないことを悟る。

「楓恋、ご飯頂戴」

 ここに来た時は落ち込んでいて、さっきまでは照れていたくせに本能が勝ったのか私の首元に腕を巻き付けて媚びたような声を出してくる。

 さっきの自覚なく恋ゆえに悶えている姿はなんだったのかと言いたくなるほどそれはいつもの所作で。

「んっ……!?」

 有無を言わせないのも変わらない。

「ちゅ、ぱ…っん」

(っ……!)

 唇を重ねながら舌でなぞられゾクっと背筋が震える。

「く……ちゅ…、ふ……」

 息を吹き込まれ、頭の中がぼやけていく。

(久しぶりだ。これ…)

 ユニの食事からもたらされる昂揚感と強烈な快感。

「ん、っく……んっ」

 ユニが唇を介して私を吸うと、全身に甘い痺れが走りユニにすべてをゆだねてしまいたくなる。

(妙な、話)

 心がユニから快楽に染まっている中でそんなことを考えた。

 さっき私から好きと言われただけであんなに照れて可愛いところを見せてたくせに、キスは出来るんだから。

 ユニのキスは好意でするものじゃないと頭では理解しても、まるで意識せずできてしまうことが何だか…ほんの少し、本当に少しだけ面白くない。

 私ばかりが「恋」を意識しているようで。

 私の懊悩と先ほどの覚悟は何だったのかと、そんな意地の悪い思いが

「っ……!?」

 つい、舌を出させていた。

 その瞬間、ユニは体をびくつかせると想定外の事に一瞬固まって。

 目を開くとユニは何が起きたかわからないかのように目を見開いていた。

 その無防備な姿が悪心を刺激して………私は自分でも理解できぬ衝動……情動に突き動かされた。

「ちゅ……んっ、く、にゅちゅ……ぁ」

 ユニの中に舌を突き入れると、そのまま絡めていく。

 作法や方法などは知らない、ただしたいように食事のキスではなく普通なら恋や愛ゆえにするキスをする。

「クチュ、ちゅ……ん、ふぁ……んっ、じゅ、ぷ……ん」

 舌を絡ませ、歯茎をなぞり、頭を抱えて引き寄せ深く繋がる。

(なんか、変になりそう)

 私主導だとしてもユニの食事なことは変わらないからか、それ以外の理由か。

 胸に熱いものが滾り、このまま恍惚に溺れてしまいそうな感覚に陥る。

「ん、む……っ……ぁつ。じゅ、ちゅぅ……っ」

 慣れていたはずのユニの熱がいつもよりも熱く感じる。腕の中のユニの身体の弾力も、指先に伝わる肌の触感も。

 唇の柔らかさ、舌や口腔の熱、唾液の味、それらすべてが私を……昂らせてユニという存在を鋭く強く感じさせた。

「ん、っ……ぷ、ぁ……」

 これまでの食事で一番長くなったキスを終えると、離れる瞬間に二人の中で攪拌された透明な粘液が重力に従い落ち、同時に。

「ふ、あ……?」

 ユニもまたその場に崩れ落ちた。

「え? ……え? 楓恋?」

 ペタンとお尻を床に付けて座ったまま私を見上げるユニは本当に何がおきたのかわかっていない様子だった。

「……っ!」

 その様子に背筋が震える。

 このキスだって知識としては知ってはいるはず。でも、ユニはまるでこんなキスがあることを初めて知ったかのように呆けて、その後。

「楓恋……もっとっ……もっと、欲しい」

 私を見上げたままうっとりとした顔で言った。

(……っ!)

 後ろ暗い愉悦が湧き上がる。

(それはご飯を? それともキスを?)

 そんな問いが頭に浮かんで……口を噤んだ。

 それをはっきりさせない方が……私から恋に繋がることを教えない方が

(これから……楽しみね)

 そう思える気がしたから。

「うん、もちろん。ユニが欲しいだけあげる」

 「告白」をしたとは思えないようないやらしい顔でそう言っていた。

 

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