小雪とはあの後具体的な日付と時間なんかを相談して別れた。

 その後家に帰った私は「遅かったじゃん」なんていうユニに、「ちょっと」と返して特に小雪のことを報告することもなかった。

 そもそも義務でもないし、最近はともかく変な勘繰りを入れられてもうるさいだけ。

 なんて机でカバンの整理をしながら思うのと同時に。

(……『デート』はどう感じるのかな)

 そんなことを考えていた。

 少し学校で話すのとは異なる約束をしての映画。私と小雪にはデートなんて感覚はないけれど、さすがに何か言ってくるかもしれない。

 まだ私は最近のユニを軽く考えそう思っていた。

「ユニ」

「なにー?」

「これの映画いくって話だけど」

 と読み終えた小説をカバンから出す。

「うん。楓恋が人が多い時に行くのやだとかで後で行くんでしょ」

「それだけど、早めに行くことにしたから」

「え! そうなんだ。嬉しいけどどしたの急に?」

 それは何らおかしくない疑問で。

「小雪に誘われてね」

 私の答えは単純なものだったのに。

「は?」

「っ……!」

 ユニのそれは明らかに負の感情を含んでいた。

「なんでそういう話になってるの?」

「…っ。今日、話したら行こうって言われて、だけど」

 場の空気が変わったのはわかったのにユニの豹変に混乱した私は何も考えずに事実を口にし事態を悪い方向へと持って行ってしまう。

「なにそれ、だから私に帰れって言ったの?」

「何を…言ってるの?」

「二人きりになるのに私が邪魔だったってこと?」

「…………」

(本当に、何を言ってるの?)

 呆気にとられながらも驚きを隠せない。

 映画のことじゃなくて、話の主軸が

「あの子のこと好きじゃないって言ったじゃん」

 小雪になっているのは何故?

「なのに、私に嘘ついてまで二人きりになりたかったの?」

「違う。小雪とは…」

 小雪と会ったのは偶然ではないにしろ私の意思じゃない。

「違くないじゃん。二人でデートの話してきたんでしょ」

 でも今のユニは真実よりも、自分を追い払った私が小雪と二人で会ったという事実の方に意識を奪われているようだった。

 何故そうなっているかわからず、混乱する私をよそにユニは続ける。

「映画、断って」

「は?」

「あの子と一緒に行くなんて嫌」

「そんな理由もなしに一度した約束を断れないよ」

「断ってよ。私と先に約束してたんだから」

 ダブルブッキングといえばそうかもだけど、ユニと行くという約束はしていたがそれは口約束に過ぎなかったというか

「そんなに小雪が一緒だと嫌なの? 前は一緒に行く相手がいたら優先してていいからとかいってのに」

 映画に限らず、これが疑問。

 恋を期待していたユニからすれば内緒で二人きりになることも、デートをすることも私たちの契約を思えば喜ぶべきことのはずなのに。

「っ。だ、って……」

 当然の指摘にユニは虚を突かれたような顔をしてかと思うと言いよどんだ。

「あの子のこと………」

 自分の中に感情を表現する言葉を探しているような戸惑いから出たのは

「嫌い、だもん」

 直情的な言葉。

「…嫌い、って。そういう言い方はあんまり好きじゃないな。そもそも話してすらない相手に」

 この件について私はユニにあまりいい印象を抱いていない。

「小雪は私の友達だよ。ユニにそんな風に言ってもらいたくはないね」

「っ! なによ、楓恋はあの子に味方するの」

「味方とかじゃなくて、友達を悪く言われたらいい気分はしないってこと」

 この時の私はすでに対話の方法を誤っていた。

 感情をぶつける相手にこちらだけ理性を保って反論してもそれは、基本的に火に油を注ぐものだと気付かずユニの怒りを燃え上がらせてしまう。

「だって、嫌いは嫌いだもん」

「はぁ…。何がそんなに気に食わないの」

「楓恋とあの子が一緒にいるとむかむかするの

「……………」

(……ん?)

「楽しそうに話してるの見ると胸がギュってなる」

(え……?)

「何、勉強教えてって。楓恋にそんな暇なんてないし。階段で転んだのだって、わざとなんじゃないの。なんで楓恋と本屋行くのについてくるの」

 ユニの物言いと、口にする嫌いな理由。

「そういうとこが嫌い。楓恋の事取ろうとする全部が嫌い」

 ユニは今怒っている。

 眼光鋭く、顔を燃え上がらせた怒りの炎で赤く染まり、ついでにしっぽは戦慄いている。

 ユニのその態度。小雪への感情。

 それは「嫌い」というよりも。

(嫉妬、して……る?)

 そう思えてしまって。

 それは、つまり……?

「だから、映画なんて一緒に行きたくない」

「あ、っと……」

 心に生まれたある思考にとらわれた私は有効な言葉を紡げなかった。

 それは私からすれば仕方ないとしても、ユニにとっていい印象になるはずはなくて。

「何でなんにも言わないの?」

 不満は膨らんでいく。

「楓恋はあたしの契約者でしょ。あたしの事一番に考えてくれなきゃだめなのに、あたしのお願い聞いてくれないの?」

 激情に侵されたユニは自分でも抑えきれないように生の感情をぶつけてくる。

「どうして? あたしよりあの子の方が大切だから?」

 これがクリティカルな質問だった。

 ここでユニの欲しい答えが言えなければ、決定的に悪化してしまう予感はあったのに。

「そういう、ことじゃ……」

 ユニが露わにした感情の大きさを私は持て余していて…

「っ! 楓恋は、そんなにあの子が大切なんだ」

 即答できなかったことでユニは悪い想像を膨らませてさらに顔を真っ赤にする。

「馬鹿みたい。楓恋は友達がいないからあの子のこと特別に思ってるのかもしんないけど、あの子からしたら楓恋は友達の一人なだけなんだから。なのに、自分は特別だって一緒に映画だなんて浮かれちゃって馬鹿みたい!」

 的外れな罵倒。ユニの言ってることは私の心とはかけ離れてはいるし、ユニだって知っているはずなのに感情の歯止めが壊れたように出てきてしまった。

 それは私の疑念をどんどんと確信に近づけ、だからこそ

「…ユニ……」

 切なさと困惑を混ぜて名前を呼んでしまった。

「っ……!」

 それをユニはどうとったのかは反応はわかる。

 明らかにまずい、という顔。言いすぎてしまったという後悔が滲んでいて。

「あ、ぁ…あっ……と」

 私が怒ったとか、嫌いになったとかそんな悪い想像をしたのか、瞳を潤ませながら意味のない音を出し

「あ………っ」

 居たたまれなかったのか窓の外へ飛び出してしまった。

「…………ユニ」

 シンと、静まった部屋で私は呟く。

 ユニは自責とやり場のない思いにいられなかったのかもしれないけれど、私もまずかった。

 こんなの想定外。

 改めて先ほどと、最近のユニを思い起こす。

 小雪への嫉妬としか思えない言葉の数々。

 近頃の小雪といる時のらしからぬ反応。

 どっちが大切なのか、なんていうお定まりと答えられなかったことへの悲しみと、衝動的な怒り。

 つまりは。

「ユニは私のことを…」

 

 ◆

 

「帰ってないか」

 次の日、私は放課後まっすぐに家に帰ると部屋のドアを開けてそう呟いた。

 ユニは昨日戻って来なかった。

 人間ではないのだから身の危険の心配をする必要がないのはいいとして、こちらとしてはいい気分にはなれない。

 何せ、ユニの気持ちを知ってしまったのだから。

「はぁ……」

 着替えもしないでベッドに仰向けになった私はため息をつく。

「…私を好き、か」

 昨夜、ユニの気持ちを考えおそらくは間違いないとは思う。

「ユニこそよくあるラブストーリーみたいだ」

 恋に憧れたおのぼりさんが、恋の対象でなかったはずなのに一番近くにいた相手を好きになってしまうなんて、ありふれた話。

 自分はそういうのが出来ないから興味があったって言ってたけど。

 それも定番だと笑う。

 人間には半ば強制的に好かれてしまい恋なんてできないと。

「…私はその対象外、と」

 契約することでサキュバスの力が効かず、対等に話す相手になっていた。初めて交流を持った異種族になびき好意を持つのもこれまたよく聞く話。

 しかも本人にはまるで自覚がなさそうなところも。

 ユニにとって恋は観測するもので、憧れはあっても自分が出来るものじゃないと思い込んでいるのかもしれない。

 きっかけは、小雪にちょっかいを出した時だろうか。

 ユニの様子が変わったのは小雪を発情させた日だ。ユニからしたら喜ぶようなところで何故か不機嫌になってた。

「こういうのもミイラ取りがミイラにってなるのかな」

 「ユニの恋」は、本人が言っていたようなことばかり、それにユニ自身が気付かないのは皮肉な話。

「どうしたものかな」

 ユニが私を好きだとして、私はそれになんと答えればいいんだろう。

 はっきり言って「両想いだ、嬉しい」となってはいない。困惑しているということはつまり恋人になりたいとは思ってはいない……のだと思う。

 私だって恋のことなんてわからない。

 ユニに対して一番大きな感情は。

「感謝はしてる、けど」

 天井から窓に視線を移して呟く。

 ベッドから窓を眺めると少し当時の事を思い出す。

 病室とベッドと窓の外の世界が全てだった、十数年の生を。

 あの時の私は何で生きてるのかもわからなくて、これからに希望なんてものも持てなかった。死すら心のどこかでは望んでいて。

 同時に病気じゃなかったらっていう外への憧れも捨てきれていなくて。もどかしく鬱々とした日々を送っていた。

 ユニはそこから連れ出してくれた。

「多分『お医者さん』じゃ駄目だったんだよね」

 以前の小雪との会話を思い出して、その時の言葉を否定する。

 もし私を外に連れ出したのが医者……すなわち、病気を治してくれただけなら私は病院にいた頃と大して変わらない生活を送っていたのだと思う。

 病気が治ったからといって今更人間となんてどうかかわっていいかわからなくて、現に小雪と出会うまでまともに友人を作ることもできなかった。

 ……ユニが恋がなんだとうるさいのも影響してたかもだけど。

 最初は煩わしく感じたそれも今思えば感謝するべきなのかもしれない。

 おかげで孤独ではなかったから。

 初めて趣味の話で盛り上がることができた。一緒にゲームをしたり、同じアニメを見たり。

 変則的ではあるけど、一緒に学校に行って、寄り道をしたりもして。

 おはようもただいまもお休みも言えた。

 孤独でなかったどころか、日々を楽しいと思わせてくれた。

 病気のことだけじゃなくて、その意味でも私はユニに返しきれない恩がある。

「……改めて思うと、そんなにもか」

 というよりも全部だ。

 後ろを振り返るとユニと積み重ねてきたものしかない。

 今の私があるのはユニのおかげ。

(それに)

 窓から視線を外し、がらんとした部屋を眺めてつぶやく。

 いつもいた相手が部屋のどこにもいない。

 ベッドから見る部屋は静かで、寂寥感すらある。

「私が、寂しい…か」

 そう思えることが驚きだ。

 一人の自分しか知らなかった時なら耐えられても、誰かと知る楽しさを知ったら、一人が寂しくなる。これもまたユニの好きそうな話。

「…いつか思ったことがあったっけ。配偶者なんて他人なのに年がらいつでも一緒にいられる意味がわからないって」

 ユニとは他人どころか、人間ですらないのにずっと一緒で苦じゃなかった……とは単純には言えないけれど一緒で楽しかったことは事実。

「はぁ…」

 ユニが私にとってどんな存在か、少し見えた気がする。

 それがユニの望むものには多分ならない。でも一つ昨日の問いではっきりと答えられることはあった。

 それで縒りが戻せるかまではわからないけど、私の気持ちを知りもしないでユニが私を怒らせたとか嫌われたとか思い込んでいるのは不本意だ。

 想いを伝えさせてもらう。

 おそらくユニの恋に対して誠実ではない答えだけれど、それが今の私の気持ち。

(にしても)

 心を前向きにした私はようやくベッドから体を起こし

「これで私の勘違いだったら、赤っ恥なんてものじゃないね」

 そんな冗談めいたことを言いながらユニと向き合う準備を始めることにした。

 

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