その後も瑞樹はあらゆる場所で紫苑を目で追っていたが、紫苑はどの場所を訪れても周りと一線を画していた。
最初の場所での一件から紫苑だけでなく、紫苑と周りの生徒たちの関係を見ていたが、そこにも何か妙なものがあった。
基本的にほとんどの人が紫苑を無視……もっとも紫苑のほうが誰かに話しかけようとすらしていないが、周りの人たちも紫苑をまるでいないもののように扱っていた。
だが、中にはちらっと見る生徒たちもいて、何かわけがあるということは想像に難くなかった。
「ふぅ……」
今は、この日の最後の訪問地の自由時間。やはりバスに残っていた瑞樹は紫苑のことを思い車内で一人ため息をつく。
最初の所以来、紫苑はバスに寄り付かなくなってしまった。移動中なんかも車内を見渡せばたまに他の生徒とは視線が会うのに紫苑は一度も視線を交わすことはなかった。
話したときのあの口調と態度からして、この町に悪いイメージ、というよりも悪い思い出があるようだったけど……
「っとそろそろ」
紫苑のことを考えていて、いつのまにかバスを開けなくてはいけない時間になっていた。気にはなるが職務をおろそかにするわけにはいかない。
今までの経験からすると、最後は少し早く開けなくてはいけない。
飽きた、疲れたと早く戻って人が多いのだ。
「おかえりなさい」
瑞樹の予想の通り、バスを開けて数分とたたずに数名のグループが戻ってきた。
姿勢よく礼をしてそれを出迎える。
「三条さん、ただいまー」
「えぇ、おかえり。随分早かったけど、疲れちゃった?」
「あはは、まぁ……そんな感じです」
苦笑いを浮かべるその生徒に、おそらく疲れたというよりはこういうのに飽きてしまったのだろうと察する。
修学旅行生の本音としては観光よりも、友人たちと数日寝食を共にすることにあるのだということは理解している。
「ふふ、とりあえず中にどうぞ」
「はい」
礼をしてバスへと促すが、瑞樹はそこで一人気になる相手を見つけた。
「あ、君、ちょっといい?」
「え?」
いきなり仕事口調でなく素になれば相手は戸惑いを見せるが、紫苑のことに関する限りは趣味のようなものだから無意識にこうなってしまった。
「片平さんと友達かな?」
「え、そう、ですけど……あの、どうして」
「ん、君が片平さんのことよく見てたからそうなんじゃないかなって思って」
紫苑のことを見ていた相手は何人かいたが、今目の前にいる少女が一番気にかけていた。
友人と考えて間違いないだろう。
「片平さん、ちょっと様子が変かなって思うんだけど、何か知ってる?」
「え、っと……」
少女は困惑している。
一介のガイドでしかない瑞樹がなぜこんなこと言ってくるのかわかるはずがない。まして、趣味のようなものなのに。
「あ、いきなりこんなこと言われても困るか。ま、でもちょっと気になるの。何か知ってたら教えてくれない?」
「えっと、私もよく、わからないんですけど……」
少女は困惑はそのままだが、瑞樹の態度を信用したのか話し出してくれた。
「紫苑、いつもはあんなのじゃないんですけど、なんだか修学旅行のことになったらすごく機嫌悪くなって、そんなのに浮かれてるなんて馬鹿とか、くだらないとか急に変になっちゃって……私もわけわからないんです。あんなのじゃ、敵ばっかりを作るのに……」
少女の言い方は本気で紫苑のことを心配しているという気持ちが感じられ、紫苑が本質的には、少なくてもこのように心配してくれる友人がいる人間であることがわかる。
「……そっか。うん、ありがとうね」
だが、今はそれを知ることができただけでもいい。
それに、おそらくこの少女は紫苑が修学旅行でなくこの町こそを嫌悪しているということを知らない。もっとも、そのこの町を嫌悪しているというのもあくまで想像でしかないがそれはほとんど確信している。
「ごめんね、変なこと聞いちゃって」
「い、いいえ……」
そういって、少女がバスへと戻るのを見送ると、瑞樹は紫苑のことへ思いを馳せるのだった。
「…………」
その日の予定を滞りなく周り、生徒たちを宿泊先の旅館に送る最中、瑞樹は相変わらず紫苑の様子を伺っていた。
今まで紫苑のような生徒がいなかったわけではない。が、それはおそらく旅行先がどこであろうとそうなっていた生徒で、紫苑のようにこの町だからこそではなかった。
瑞樹は大抵の場合、そんな楽しめていなさそうな生徒に積極的に話しかけては町のことや、関係ないことでも話し、とにかくここにきてよかっと思ってもらえるように努力をしてきた。
そして、すべてではないがありがとうと笑顔をくれることもあった。
だが、紫苑は今までの相手とは事情が異なっている。
(でも、無関心よりは嫌いのほうがいいのかも)
意識してくれているというのは無関心の状態からよりも話自体はしやすいがその嫌いの理由にもよるかもしれない。
(それに……なんていっても嫌われちゃってるしな〜)
町を嫌いというのなら、どうにかすることができるかもしれないが、瑞樹自身が嫌われてしまったら話す所ではない。
(っと、仕事、仕事)
もうすぐ、旅館につく。朝の挨拶と同様、一日を締めくくる大切な挨拶だ。きちんとしなくては。
もうすぐ旅館だから降りる用意をしてください。今日は一日、どうでしたか? そんな挨拶をするが、朝とは違い本気で聞いてくれる人は少ない。今日一日で幻滅されてしまったわけではなく、さすがに疲れてしまい、聞いている余裕がないのだ。
その挨拶を済ませてすぐにバスが止まる。
「はーい、着きましたよー。隣の子が寝てたら起こしてあげてくださいねー。今日はどうもありがとうございました。また帰りに一緒できる予定なので、よろしくお願いしますね」
そう言って、次々とバスを降りていく少女たちに笑顔で挨拶をして見送っていく。
(……やっぱ、なれないな〜)
また会えるというのはわかっているのに、こうした別れというのは少し物悲しくなってしまう。
「…………あの」
「え?」
なんともいえない寂しさを抱えながら少女たちの背中を見送っていた瑞樹の背に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「片平、さん」
そこにいたのは片平紫苑、一日中考えていた相手だ。
紫苑のほうから話しかけられるなど予想もしておらず瑞樹は少なからず動揺を見せる。
「ど、どうかした?」
「……昼間はすみませんでした」
「え?」
何のことかと察する間に紫苑は「それだけです」といって、すぐに瑞樹の前から立ち去ってしまった。
(すみません、ね)
昼間のことと、言うことはあの話をしていたときだろう。
むしろ無神経だったのはこちらのほうかもしれないと考えていた瑞樹はそれを意外に思うと共に。
(やっぱり、放っておけないね)
と思うのだった。
「…………ふぅ」
お風呂上り、髪を湿らせたままの紫苑は旅館のロビーに座るとため息をついた。
それほど大きな旅館でもないここは今日は紫苑たちの学校で貸切となっていて、紫苑はなるべく人のいないところとロビーの一角に一人座っていた。
浴場でもそうだったが、ロビーにいようがやはりはしゃいだ声が響いてくる。
「……………ばかみたい」
その声と、そしてなにより自分にそう言い放つ。
自分がバカなことをしているというのは自覚していた。わざわざ敵意を放ち、周りから孤立して、心配してくれる友人にまでも突き放した。
理由も告げず、ただこんな場所で浮かれる……浮かれられる相手が、うらやましくなにより恨めしく自分を抑え切れなかった。
紫苑も本当は今聞こえてくる周りの喧騒に溶け込みたかった。自分の抱えているものなど、誰も知らないのだからそれを隠して友達と一緒に騒ぎたかった。こんな後々にまで禍根を残すようなことはしたいはずがなかった。
だが、理由がある。
誰にも話せず、一人抱え込んできた理由が。
この町を嫌悪する理由が。
昼間の、瑞樹にも余計なことをした。
言わせておけばいいのに、こんな町を好きという瑞樹が許せず思わず吐き出せなかった想いをぶちまけてしまった。
いや、思わずというよりも意図的だったのかもしれない。胸にたまる鬱屈とした気持ちを溜め込んでいることができなかった。
そして、あのごめんなさい。
伝えられた瑞樹は意外そうな顔をしていたがあの言葉になにより驚いていたのは紫苑自身だった。
本気で憎たらしいとすら思ったはずなのに気づけば口をついていたのだ。
(……………)
その理由を本当は気づいている。だが、紫苑はそれを認めることができずに気づかないふりをしている。
(どうしよう)
まだ、就寝時間まではだいぶある。部屋に戻ったところでその部屋の空気を悪くしてしまうだけだ。だが、こうして一つのところにとどまるのもあまり気分がよくなかった。
「かーたひーらさん」
「っ!!??」
これからどうしようかと思案していた紫苑の耳に聞いたことのある声が聞こえ、ついでよく子供のことしたようなだーれだ? のように目をふさがれた。
(……だれ?)
聞いたことのある声だ。それもごく最近、だが、友人や教師ではない。
反応をみせるよりも考え込んだ紫苑だったがすぐにその手ははずされ、その人物が目の前にたった。
「あ……」
そしてさらに疑問を増やす。
(なんで……?)
そこにいたのはさきほど少し考えていた相手。ある意味疎ましくもあった人。
「ふふ、残業に来ました」
楽しそうな笑顔を見せる瑞樹に紫苑は困惑するばかりだった。