「ヒグ、ひっく……ヒグ」
涙の理由がわからない。
「ひっく、望……のぞみぃ……」
ぐちゃぐちゃな心の中で抱え切れない気持ちが涙となっていく。
「ひっく、うぐ……ひぐ」
夜の帳が降りた部屋で、ベッドで仰向けになる沙羅はひじで瞳を覆い、涙を溢れさせていく。
望を好きだと自覚して十日あまり。
毎日ではないがそのほとんどをこうして枕を濡らしてしまっていた。
望の前では多少望を避けながらも表面上はこれまでと変わらずにいられるにも関わらずだ。
心はいつでも平静を取り戻すことはなく、望の前であろうとそうでなかろうと常に激しく揺さぶられている。
頭の中は望のことに支配され、瞼の裏にも望が浮かぶ。
好きだという気持ちは止まることを知らずに膨らんでいく。
目の前にいれば、望が何を考えているか、望の口にしたことがどんな意味なのか、望が何を見ているのか。望の一挙手一投足が気になり、離れていても何をしているのか誰といるのか、夜になれば考える気もないはずなのに、お風呂に入っているところや寝姿を想像してしまう。
「のぞ、みぃ……はっ…ぅく」
しかし、望の前で態度すら変えることはできず、気づいてしまった想いに気づかれないように振舞うだけ。
そして、夜になればこれだ。
不安、焦燥、迷い、自己嫌悪。決してプラスへと考えられない頭では心をかき乱すことしかできずに独りで涙を流すことしかできない。
「ぅ……ぐ、み……ぐ、ふ、あ」
(何で、こんな、ことに……)
好きが苦しい。
こんなに好きなのに。
こんなに好きだから。
望みのない好き、だから。
苦しくてたまらなかった。
告白して楽になることすら容易には許されない、禁断の愛。
その自覚が沙羅を追い込む。
失ってしまうかもしれないのだ。すべてを。
望という親友だけではなく、今まで自分が築いてきた人間関係、すべてを。
そして、その恐怖があるのに。
「のぞ、み……」
好きが止まらなかった。
愛しくてたまらなかった。最初は小さな火だったのに今は心のすべてを熱情が焦がす。
同じ女の子。
普通の恋愛と違うのはたったそれだけのこと。
それだけなのだ。
それだけで、こんなに苦しくなる。
おかしなことだから。普通じゃないことだから。
(……おかしくなんか、ない、のに……)
「ひっぐ……ヒグ……」
原因のわからぬ涙は止まることがない。望を好きだという気持ちが涙を流せてしまう。
もっと話したい、もっと声がききたい。触れたい、触れられたい。抱きしめたい。抱きしめられたい。
……キス、がしたい。キスをされたい。
好きな人に思う当たり前のこと。
その想像に心を焦がす。
「望……のぞみ……のぞみぃ……」
枕はすでにしっとりを越え、火照った体に冷たい感触をもたらす。
(……知ってる……わかってる)
濡れた枕に涙を感じた沙羅は、今まで心が考えることを拒否していた部分に目を向ける。
何故こんなにもつらいのか。
それは独り、だからだ。
(誰にも、いえない、……もの)
こんな気持ち誰にもいえない。相談できない。
独りで抱えるしかないのに、独りじゃ抱えきれない想い。
重たすぎるのに、一部たりとも気持ちをこぼせない。しかも、どんどんと想いは積み重なっていく。
重くて、重くて、まとわりついて、がんじがらめになって……
「…………ひぐ」
涙がこぼれる。
それを繰り返すことしか出来ない夜はまだまだ続いていく。
「っ………」
何気ない一日の、何気ない昼休み。
最近はあまり望と一緒に昼を取らなくなっていた沙羅は、一人の食事をするために食堂で昼食を取っていた。
「……うん、それでね」
そして、背後から聞こえてきた大好きな人の声。
周りは人で溢れて、ざわめきもあるが望の声を聞き違えるはずもなく思わず、その声の方向を向いてしまう。
「っ……玲……」
そして、そこにある人物を見かけて、その相手の名を呟く。それは、望の友人にして、望と一緒に住んでいる人物だった。
声が聞こえてきたという時点で一人でないのは当然だったが、その相手が玲であることは沙羅にとって特に面白くないことだった。
(……醜い)
それは自分に向けた言葉。自分で自分を貶める。
こんなこと、ばかりだ。
望に友達がいて、その友達と過ごす時間が存在する。そんなことは当然とか、わざわざ言葉にするまでもない話でそのことに対し、特別な感情を持つ必要なんてないはずなのだ。
しかし、今の沙羅は相手が誰であろうと思ってしまう。
そんな相手と一緒にいないで、と。
望との時間を少なくして、自分でもその原因を作っているくせに望が誰かと一緒にいるところを目撃すればいつも同じことを思ってしまう。
私以外の人と一緒にいないで、私以外と一緒にいて笑わないで、……もっと、私と一緒にいて。
矛盾、ばかり。
「ふぅん」
(っ……くそ)
しかも、聞きたいと思っていないのに、二人の会話に聞き耳を立ててしまっている自分がいることが情けなかった。
先ほどから一口たりとも口にしないまま、二人の会話に集中する。
「で、望はどうしたいの?」
「ど、どうしたいってわけじゃ、なくて、ね、その……」
多少距離があるためすべてが聞こえるわけではないが、二人が何を話しているかくらいは聞き取れてしまう。
しかも、
「沙羅が、ねぇ……」
「っ!!!??」
会話の中に自分の名前が飛び出してきたことに全神経を集中させることとなる。
(な、に……?)
何故自分の名前が出てきたのだろう。この会話は自分に関係することなのだろうか。なら、一体どんなことを話しているの?
一瞬で湧き上がる疑問は胸の中に暗い影を落とすだけで、望が自分のことを考えてくれていたということをプラスに考えられない。
最初から聞いていたわけでもないし、すべてがはっきりと聞こえてくるわけでもない。しかし、二人の会話が軽いものでないことを察してた。
そこに自分の名前。
「でも、別になんか怒らせるようなことしたわけじゃないんでしょ?」
「そう、なんだけど……」
「…………」
「でも、最近私といるといつも難しい顔してるし、あんまり一緒にいてくれないし………」
(……のぞ、み?)
おそらく自分のことを話しているであろう会話に予想だにしなかった話題が飛び出してきて、沙羅はドキリとする。
今度は、よい意味も含めて。
「あたしはそんなに沙羅と話したことないからよく知らないけど、別に望のこと嫌ってるようには思わないけどな」
「わ、私だって、嫌われてるなんて思ってないけど、でも……やっぱりよそよそしい、んだもん」
「っ!!」
話が進むにつれ、最初不安に鼓動を高めていたものが別のものへと代わっていく。
(望……)
心の中で嬉しそうに望の名前を呼ぶ。が、
「つーか、そんなに気になるんなら自分で聞けばいいじゃん。あたしに相談なんかしなくてもさ」
「っ、それは、そう、だけど………」
「だけど?」
「……嫌われてたり、したら、やだから……」
「っ!!!??」
望の、嬉しい意味でも取れる一言に沙羅は胸を引き裂かれたような痛みを受けた。
「考えすぎだと思うけどね」
「だ、だってぇ……」
「大体、望は……………」
「ぅぅ、いじわる……」
もう二人の話は半分も頭に入っていなかった。
ただ、望にあんなことを思わせてしまっているんだという思いだけが沙羅の心を締め付けていく。
「……………」
そして、沙羅はほとんど食べることのできなかった昼食を片付け二人の声が届かないところへ逃げていった。