(………痛い)

 噛んだ唇じゃなくて、胸の奥から謎の痛みがあたしを襲っている。

 理由はわからないけど、今日一日のことを思い出しているだけで胸が締め付けられるように痛む。

 それに音を上げて、ぎゅっと体を抱える腕に力を込めるけれどそれも心を支えてはくれない。

 琴子に誘いを断られたのなんて初めてのことだった。

 去年まで、あたしが誘えばいつでも笑顔でいいよと答えてくれた。それは少しやりすぎなくらいで、調子悪いときにだってそれを隠してあたしと出かけたりしたほどだ。

 そんな琴子があたしのことを拒絶した。

 それがショックで、ショックを受けていること自体にもショックを受けている。

(拒絶、されたわけじゃ、ない、けど……)

 拒絶をされたわけじゃない。ただ、断れただけ。

 あの二人のことを優先されただけ。

 いや、それも当たり前のこと。

 同時に誘って、あの二人を選ばれたわけじゃない。先に約束があったんだ。なら、そっちを取るのは当たり前のことだし、今まであたし以外とほとんど遊んだこともない琴子にとってはそれは決して、悪いことじゃない。

 友達が出来るのは琴子にとってむしろいいことのはずだ。

「あたしに、だって……」

 心の中だけで進めていた思考に、声を混ぜる。

 今の心を表すかのように震える声を。

(喜びなさいよ!)

 琴子に友達ができたのよ? あたしと友達になるまでずっと一人でいた琴子に。何をするにもあたしと一緒じゃなきゃできなかった琴子に。きっと、今年も一人になっちゃうと思っていた、思い込んでいた琴子に! 

 あたしは琴子の友達でしょ!? 友達に友達ができたのよ! それは全然悪いことじゃないでしょ! いいことでしょ!

 なら、喜んであげなさいよ!

「っ……」

 心で激情を持て余すあたしは、跡が残りそうなほどに強く肌に爪を立てる。

(琴子………)

 そして心で求める、親友の名を呼んで

「っ!!」

 その親友が、自分の知らない二人と一緒にいる光景を頭に浮かべてしまうと、瞳の奥が熱くする。

(なによ、これ!)

 何でそんなことになっているか、今のあたしにはまるでわからなくてあたしは芽生え始めた気持ちに気づくことなくしばらくそこで川面を見つめるのだった。

 

 

 昨日は、自分でもよくわからないままとにかくショックを受け一日中をもやもやした気分で過ごした。

 ただ、一晩寝るとそこまでではなく昨日は何をそんなに悩んでいたのかと自分をおかしくも思うほどだった。

 元々原因はよくわかっていなかったのだ。そんな気持ちは長続きしない。

 しかし、

「あ…………」

 声を、上げる。

 休み時間、琴子に会いに行こうと琴子の教室を覗いたあたしはその瞬間に昨日の、謎の気持ちを思い出して身をすくませた。

(こと、こ……)

 四月の初め、琴子と別のクラスになったときと同じ声を上げたあたしは、その別のクラスを窓から見つめる。

 別のクラスというよりも、別の世界にすら隔たりを感じる場所を。

 そこには笑う琴子。

 由香ちゃんと、理沙ちゃんと笑う、琴子が、いた。

(なに、これ……)

 後ずさる。

(……なによ、これ)

 一歩、また一歩と。

(……なんなのよ!)

 琴子から。

 それでも、外せない視線が琴子の姿を捉えて放さない。

 笑顔の、楽しそうな琴子から。

 ざわざわして、むかむかして……胸が締め付けられる。心臓が早鐘を打つたびに、心が何か得体の知れない感情がぎりぎりと心を縛り上げていく。

 その痛みと不愉快さに耐えられなくて、あたしは琴子に背を向けて去っていくのが精一杯だった。

 そのままあてもなく校舎をさまよっていくあたし。

 教室に戻る気にもなれなくて、ただまともに働かない思考のままふらふらと歩いていたあたしはあるものを窓の外に見つける。

「あ………」

 それは校舎裏にひっそりと佇む校木だった。

 上履きのまま、近くの渡り廊下からあたしはその場所にひきつけられていく。

 途中、授業の開始を告げるチャイムがなったのをどこか遠くに聞きながらあたしは校木の下にきた。

 琴子と一緒にこの辺を清掃していたときはまるで気にならなかったのに、今はあの時のことが頭をよぎる。

 あの時、四月の初め、クラスが異なってしまって落ち込む琴子を慰めたときのことが。

(……まだ、二ヶ月しか、たってない、のに……)

 ずいぶん昔に感じる。遠くに、感じる。

 去年までのことが、琴子といつも一緒だった毎日が今はすごく遠くに感じてしまう。

 今だって、一緒にいるのに。一言も話さない日なんて、たぶん一度だってないのに。

「………笑って、た」

 遠くに感じる琴子の姿を思い起こしあたしは、むなしさと寂しさを声に同居させる。

 当たり前のことなのに、それを受け入れられない。

 友達といて笑うなんて当たり前すぎることなのに、その友達があたしじゃないというだけで親友の笑顔が受け入れられなくなる。

「………………」

 それが、何を意味するか……わかる気がする。

 あたしは木の幹に背中を預けて、校舎の隙間から見えるせまい空を見上げる。

 あたしの心のように狭量な空を。

 正体が、見えた。

 最初あの二人を見たときから感じていた、気持ち。たぶんそれは、ずっと前から心にあって気づかないうちにあたしの心の大部分を占めていた。

「……いや」

 いや、だ。

 こんなのは、嫌だ。

 あたし以外の前で琴子が笑うなんて嫌。

 あの二人に琴子が取られるなんて嫌。

 琴子にとって、あたしがあの二人以下になるなんて嫌。

(……琴子があたしのものじゃなくなるなんて……嫌だ!)

 それが、あたしがやっと理解したあたしの気持ちだった。

 

 

3/後編

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