渡り廊下から見た二人がいるところは結構大きな空間になっていて正面には階段、その前のスペースで彼女が彼女と同じくらい背の高い人に詰め寄られていました。
相手の人に見覚えはありませんが、多分三年生、でしょうか。
私は渡り廊下の柱に隠れて二人の様子を覗きます。
「そんなに熱くならないでくださいよ、先輩」
やはり、三年生のようです。
「ふざけるなって言ってるでしょう!」
その先輩はすごい剣幕で深雪さんに迫っています。
直接迫られてはいない私ですら、少し身震いしてしまうほどにあの人は怒っています。
「可愛い顔が台無しですよっ……!!?」
パン!!
「っ!!」
驚き、ました。
先輩はちゃかそうとする深雪さんにいきなり平手打ちを喰らわせました。
「…………ふふ、激しいですね」
それでも深雪さんは自分の持つ空気を乱そうとはしません。人をかどわかすような態度のままそう言い返しました。
「なんで、あんなみたいな女にあの子が……」
「別に、それは彼女の意思でしょう。先輩が口出しすることではないと思いますけど」
パン
また、
「……キスなんて安いものですよ。特にあたしのは。無理矢理したわけじゃないんですから、落ち着いてくださると嬉しいんですがっ!!」
パン!!!
今までで一番、大きな音。
「ふざけないで!! あんなみたいな、あんたみたいな……」
ブルルっと体がすくみました。
寒気すら感じるほどに先輩は怒気を放っていてそれが私にまで伝わってきます。
ドン!!
「あ……」
先輩はいきなり深雪さんを突き飛ばしました。
床に体をぶつける深雪さん。受身すら取らないで、すぐに起き上がったりもしません。
普段見る事はない深雪さんの痛々しい姿。話を聞くに悪いのは深雪さんだと感じないでもなかったですが。
「あ、あの!!」
気づけば、私はそう大きな声をあげていました。
靴を脱いで靴下のまま校舎に入った私はこちらを見つめる二人の間に立ちました。
「何、あなたは? 邪魔よ」
まずは、先輩のほうがとげとげしい口調で話してきました。
「あ、あの、もうこのくらいにしてあげてくれませんか」
「はぁ!?」
「っ……」
「何いってるの! こいつがどんなことしたかわかってるの!? 邪魔よ! どいて」
「わ、わかりませんけど……で、でも、か、彼女には私もよく言っておきますから。その……やっぱり、暴力はいけないです」
「っ!!」
キっと鋭い目つきが私を指します。
「お願い、します」
「…………………」
怖い、です。
私まで憎むような目つきで貫かれてしまっています。この先輩をここまで怒らせるようなことを彼女はしたんでしょうか。
でも、今はそんなことよりも彼女を守りたいと思っていたんです。
「っ!!」
スっと、先輩の手が上がると私はビクっと体を強張らせ、目を閉じました。
「…………」
しかし、
「………?」
覚悟した衝撃はやってきません。
恐る恐る目を開けて先輩を見ると、まだ怒ってはいるみたいですけど、少しだけ落ち着いてくれたのか手を下ろしてくれていました。
「…………次、妹に手を出したら絶対許さないから」
そして、そういい残すと決して怒りが収まってはいない背中を見せながら去っていきました。
「……はぁー」
大きく安堵の息を吐いた私ですが、すぐに深雪さんのことを思い出し振り返ります。
「清華、ありがと」
深雪さんはもう立ち上がっていて、パンパンと制服についたほこりを払っていました。
赤くなったままの頬を抑えることもせずに彼女は少し悲しそうな瞳をしていました。
「あの……今の人、とは」
「ん、まぁ、妹思いのお姉ちゃんにお説教くらってたって感じかな」
「妹……」
そういえば、さっきの先輩もそんなようなこと言ってました。
「ま、たまにあることだよ。気にしない気にしない」
「気にしないって……」
あんな敵意をむき出しにされて、ほんとに何かあっちゃいそうな雰囲気だったのにそんなことが言えるもの、でしょうか。
それに、詳しくはわかりませんけど悪いのは、彼女のほうだと思うのに。
「その妹さんに、何をしたんですか?」
立ち入っていいことかわかりませんでしたが、私は意を決して彼女に問いかけました。
「ふふ、聞きたい?」
「あ、あんなのを見たら当たり前じゃないですか」
「たいしたことじゃないよ。キスしたくらい」
「くらいって……」
キスを【くらい】なんて言うのは信じられません。
「聞いてたか知んないけど、あたしのキスは安いの。大した意味なんてないよ」
彼女は私と視線は合わせず、あさっての方向を向きながらそう口にします。
本心とは思いたくないですけど、これは彼女の本心、なんでしょうか。
「それを決めるのは、相手なんじゃないですか?」
だから、さっきの人はあんなに怒っていたんじゃないですか。
「ま、そうかもね」
少し、イライラします。
考え方の差といってしまえば、それまででしょうけど。やっぱりキスをそんな簡単に思う彼女は変だと思います。
仮に、もし、本当に仮に私は彼女からキスをされたら、どう思うでしょう……少なくても彼女のように考えられません。
「ところで……」
「? ……っ!?」
腕をとられ、体重をかけられ、体が半回転され、
ドン
背中が壁に押し付けられました。
「ちょ、あの……」
「助けてもらったんだからお礼、しないとね」
「お、お礼って……」
「目、閉じて欲しいな」
目を閉じて欲しい。
そんなことをいう状況は多くはありません。というよりも、この状況ではその言葉の意味は一つにしか取れません。
「ふ、ふざけないでください!」
壁に追い詰められ、片腕を取られたまま私は目の前に迫る彼女に毅然と立ち向かいました。
「ふざけてなんかいないよ」
「な、なおさら悪いです!! ど、どうして私が助けるようなことになったと思ってるのですか!!」
「だから、そのお礼がしたいんじゃない」
彼女の声が、息が直接頬触れます。
胸がドキドキして、顔が熱くなって、心が沸騰しそうです。
間近で見る彼女の顔。
繊細なまつげに、悩ましい瞳。赤くなったままの頬に、ピンクの唇。
「す、少しはは、反省しなさい!!」
私は気が動転したせいなのか、それとも別の何かなのか逃げることは考えられずに言葉で彼女を制止しようとします。
「大丈夫、ほら、力抜いて」
「っ……」
に、逃げなきゃとは思うのに、片手は自由なのに……
「こ、こんな、キス、なんて、ち、違います」
「言ったでしょ? あたしのキスは安いの、キスなんて思わなければいいんだよ」
「い、意味が、わかりません……」
やだ、声が、出ない。
ほんとは大きな声で拒絶をしたいはずなのに、かすれた声しか出ませんでした。
「ほら……目、閉じて」
「っ――」
か、彼女が迫ってきます。元々近かった距離をゼロにしようと彼女が、彼女の、唇が。
(ほ、本気……なんですか?)
う、嘘、全然そんなムードじゃないじゃないですか!! 彼女にとってはキスは軽いものだとしても、私にとっては……
「……っ」
嘘!! なんで目を閉じてるんですか!!? こんなんじゃ彼女のことを受け入れるみたいじゃないですか!! ち、違います!!
ただ、こ、これは……嘘……
(……………でも、彼女に、なら……)
っ!!? な、なに考えて………た、たとえ彼女のことが好きだとしてもこんな一方的にされて嬉しいわけが……で、でも体が、体が……
「………………………………好き」
体が動かず、わずかに顔をそらして抵抗する私の耳に予想もしなかった言葉が聞こえてきました。
(え……?)
小さく、本当に小さく聞こえたその声と今の状況が今朝の夢の重なって私は一瞬抵抗を忘れ固まってしまいました。
そして、彼女の唇と私の唇が触れ合うその瞬間
頭の中をあるものがよぎり
そして、
「いやぁ!!!」
ドン!!
彼女を突き飛ばしていました。
「っ!!」
しかも、自分でも信じられないほどの力で。
彼女は再び床に打ち付けられ、少し呆然とした様子でした。
「あ、……あ」
あ、謝るべきなんでしょうか。さ、さっき自分で暴力はダメだと言ったんですし……で、でも悪いのはか、彼女のほうで。
「……清華」
「っ!?」
怖い、です。さっきとは全然違う意味で。ど、どう思われてしまったんでしょう。
彼女は立ち上がるとほこりをはらうこともせずにその場に立ち尽くして、こちらに近づいてこようともしません。
お、怒っているんでしょうか。彼女の様子は今まで見たこともないものに思えます。
俯いたままで表情は窺えませんが、でも、彼女は今……
「……………ごめん」
「あ、え……?」
おおよそらしくない様子で彼女はそういったかと思うと。
「ごめん……!!」
もう一度同じことを告げて逃げるようにこの場を去っていくのでした。