その日は彼女とまともに顔を合わせることも出来ず、土日となってしまい次に彼女と顔を合わせたのは月曜日の朝でした。
「あ」
下駄箱で靴を履き替えようとしていた私はこの休みの間一時も頭から離れなかった相手に出会ってしまいます。
「おはよう、ございます」
私は私でぎこちない挨拶をしたのですが
「………………おはよ」
彼女、深雪さんは小さくそういうと、私に一瞥もくれることなく上履きに履き替えてそのまま廊下を歩いていきました。
「…………深雪、さん?」
この時、最初に思ったのは怒っているのかなということでした。
怒りたいのはこちらのほうですが、突き飛ばしてしまったのはこちらですし、もしかしたら怪我だってさせてしまったのかもしれません。
彼女がいくら私に拒絶されたからとはいえ、罪悪感からあんな態度を取ることなんて考えられませんし、当初は怒っているんだなくらいにしか考えられなかったのです。
それはそれでもちろん悲しいことでしたが、この時はそれほど深く考えることはありませんでした。
「あ、深雪さん」
「………………」
しかし、彼女は私と目が合うたびに、悲しそうに目を伏せ必ず私から離れていってしまうようになりました。
教室などでは視線を感じるのに、その視線の先に目を向けると彼女はあわてて私から目をそらします。
一週間もそうされると、さすがに彼女が怒っているわけではなくなにかもっと別の要因で私を避けているのだということに気づきます。
(……でも、どうして?)
まとまらない頭のまま私は放課後の教室で彼女のことを考えていました。
この一週間、彼女はまるで彼女らしかぬ様子で友達といてもほとんど笑っていなかったですし、【仲良く】するところも一度も見てませんでした。
彼女はこの一週間したのは私を避けることと、避けながらも私を見つめることです。
となれば、原因はどう考えても私にあることは明白なのですが、理由はわかりません。
いえ、そんなことはないですね。
普通に考えれば私が彼女の口付けを拒絶してしまったことに原因があるのでしょう。それも、あんな叫び声をあげて突き飛ばしてしまうほどに。
自分のことです、何故彼女をあそこまで拒絶したのかはわかっています。考えたいことではないですけど、わかっているのです。
彼女に限らず、私はやはり【キス】がダメなのです。憧れや興味はあっても、やっぱり……キスは……嫌なのです。いえ、キスそのものが嫌なわけではなく、……と、とにかくキスは私にとってよいものではないのです。
と、とりあえず今考えなければならないのは私がキスを拒絶した理由でなく拒絶したことにより彼女の様子が激変してしまったことです。
「………………………………好き」
「っ!!」
不意にこの前彼女が発したありえないはずの言葉が頭に響きました。
い、いえ、発したと思われる言葉です。そう聞こえたとは思うのですが、あの時は気が動転していましたし、すごく小声でぼそっと言われただけなので確信はありません。
(……あれは、本当のことなんでしょうか?)
この一週間、彼女に【今】にとらわれ、意識的にあのキスのことを本気で考えようとはしていませんでしたが、時間が経てば経つほどあの時間そのものの現実感が薄れていってしまっていくような気がしています。
彼女の様子が変わってしまったこと自体があの時間があったという証明ではあるのですが、あの時はすべてが異質でした。
まず彼女の様子はあの時からおかしかったです。あの場面でキスをしてくるのは、おかしいといわざるを得ませんし、私が彼女を突き飛ばしたときだってあのごめんは明らかに変でした。
彼女なら、悪いことをしたという自覚もなくごめんなどと軽く言ってきてもよさそうなものです。むしろ彼女ならそれが普通です。
そりゃあ、私だってやりすぎはしたかもしれませんがでも、彼女ならあの程度で私をさけたりするなんておかしいと思います。なんだか私の彼女に対するイメージが悪いような気がしてしまいますがでも、彼女なら私の拒絶されとしても……代わり、なんていっぱいいるんでしょうし、大きなことのようには思えません。
「………………………………好き」
い、いえ! 確かに、こう聞こえましたし、実際に言ったとも思いますし、仮に好きな相手にキスを突き飛ばされでもしたらああもなるかもしれません。
で、ですが、彼女が自分のキスに大した意味がないと言ったように、そんな彼女にとって好きが大きな意味を持つとは思えません。
きっとあんなのはキスをするための方便でしかなかったのです。実際私はそれで固まってしまいましたし、キスをするときにはきっと毎回言っているようなものなのです。
深い意味はない【好き】なのです。
「……………」
まぁ、一つ可能性があるとすれば彼女が本気で私を好きだった場合、ですが……
それなら、本気ならキスを拒絶されてあんな風になってしまうのもわかります。本気の恋が叶わなければ落ち込みます。それが普通です、が……
(…………彼女が本気で私を………)
「っ〜〜〜」
か、体が熱い、です。じわーと、体中に伝播していって私を羞恥の炎で包み込みます。
「あ、ありえないですよね」
彼女にはいくらでも他にいるんでしょうし、今までまともに話したことのなかった私を好きになるなど考えられないことです。理由がありません。
そう、言えば、
私が彼女を好きかもしれないというのはどうなったんでしょう。いえ、自分で言っておいて妙な言い方ですが、あのキスの出来事以来彼女のことばかりを気にしていてそちらに思考が向きませんでした。
彼女のことばかりを気にして……
い、いえ! こ、これは今の彼女がいつものあまりに違いすぎるからであって、別に彼女が気になるという意味ではありません。
そりゃ、彼女が他の人と仲良くしていたり、キスしているところなどはよく思いませんよ。というより、嫌です。そのくせ私にはうまく言えませんけど、一定ラインから踏み込んでこない感じですし、たまにそれを物足りなくというか、なんでと考えたりもします。でもそれは彼女が好きというわけではなくて…………
………好きじゃなかったらなんなんでしょう。
好きでもないくせに、さっきみたいなことを思うものでしょうか。
「……………………」
帰りましょう。ちょっともう、うん、えと、い、今はまだ私もあのキスのせいで動揺しててまともに考えられないのです。今考えていることはちょっと私もおかしくなっているだけで、本心ではないはずなのです。
「うん、帰りましょう」
私は言い聞かせるように呟いて席から立ち上がります。
「あ、窓、閉めないと」
決まりがあるわけではないですが、教室を最後に出る人間は戸締りをするというのは言われていることです。
動揺しているはずの割には冷静にそのことに気づいて私は、窓を閉めるため、窓際によっていきます。
「あ、……」
そこで見たのは。
「深雪、さん」
教室の窓から見下ろせる中庭からこちらの見つめていたのは彼女でした。
それも
(あ、ぅ……)
あの時の、顔。
私が彼女に興味を抱いたときの世界で一番のせつなさを秘めた表情で
「あ……」
しかし、彼女は私に気づくとすぐに苦しそうな顔をして去って言ってしまいました。
「……………」
やはりせつない背中を見せながら遠ざかっていく彼女を見つめる私には、不規則な鼓動と言い表せないような熱さが宿るのでした。