「〜〜〜♪」

 音を奏でる。鍵盤をリズミカルに打ち、音の調べに声を重ねる。

 好きなはずの時間。

 けど、今は………

 ジャーン!

 少し強めに鍵盤をたたいて曲を終えた。

「はぁ………」

 誰もいない音楽室に私のため息だけが響く。

(……………)

 つい音楽室の入口を見てしまったけどそこには誰もいなく廊下が見えるだけ。

(当たり前ね)

 今頃みんな屋上で練習しているんだから。

 私は練習なんて気分になれなくて、調子が悪いなんて嘘をついてここに来ている。

 練習をさぼってしまった罪悪感と、穂乃果に会えないことの寂しさとわずかな安心を抱えながら。

 そう、今私は好きな人に会えないことを安心している。

 だって、穂乃果と一緒にいたら嫌なものを見せつけられるから。

 穂乃果への恋は難しい。

 この前からそう思っていたけど、今はこの前と別の意味でそれを実感してる。もっともそれは穂乃果へのというより恋の一般的な悩みかもしれない。

 それを思い知らされたのはこの前の練習の終わり。

 

 

「んー、今日も頑張ったねー」

 夕方に差し掛かった屋上で、絵里が今日のレッスンの終わりを告げると穂乃果は伸びをしながらそう言った。

(やっぱり、ここにいる時の穂乃果って楽しそうね)

 私はスポーツドリンクでのどを潤しながら横目で穂乃果のことを伺ってそんなことを思う。

 普通練習なんていったら地味でつらくて、嫌になることだってあるだろうに穂乃果はそんな様子は一切見せなくていつも楽しそうで輝いている。

 私だってここで過ごす時間は好きだけど、穂乃果みたいに輝いているという表現までは多分似合わない。だから、自然とそう思わせる穂乃果はやっぱりすごいと……

(あ………)

「はい、穂乃果ちゃんタオル」

「あ、ことりちゃん。ありがとう」

「……………」

 私が穂乃果を見るだけでなにもできないでいるとそんなやり取りがある。それは何もおかしなことじゃないけど………

「……………」

「? 真姫ちゃん、どうかしたのかにゃ?」

「なんでもないわよ!」

 近くにいた凛に問いかけられた私はあからさまに不機嫌な声を出してプイと穂乃果たちから顔を背けた。

 それだけでも面白くなくて、穂乃果との距離を見せつけられた気がしたのに。

 さらには

「ねぇ穂乃果ちゃん。今日穂乃果ちゃんの部屋行ってもいい?」

 部室で練習着を着替えていると私の耳にそんな言葉が入ってきた。

 耳を塞ぎたいような気にもなったけど、そんなことをするまでもなく穂乃果の答えは私でもわかる。

「うん。いいよ。あ、海未ちゃんも来る?」

「えぇ。ちょうど歌詞をまとめたいと思っていたんです。穂乃果の家の方が集中できますし、私もお邪魔させてもらいます」

「…………………」

 自然な流れ。この三人にはよくある会話。

 ……私とは一度もない会話。

 私は穂乃果の部屋に行きたいなんて言ったこともない。言えるはずもないし、穂乃果が誘ってくる理由もない。

 穂乃果たちはこの後三人で一緒に下校をして、一緒に穂乃果の家に行く。

 そんなことが自然にできちゃうのがことりと海未。子供のころから一緒の、【幼馴染】の特権。

 穂乃果を好きになった今、私はそこにある【差】が気になってたまらなかった。

 

 

 多分人に話せば(話せるわけはないけど)、たったそれだけのことって言われるような理由よね。

 そのくらいは自分でもわかってるわ。

 けど、どうしても気になっちゃったのよ。

 私はあの二人よりも下なんじゃないかって。

 穂乃果には多分、上とか下だなんて考えはないだろうけど、でも私は、穂乃果を好きになってしまった私はそれを思わずには言われないの。

「……私って穂乃果にどう思われてるのかしら?」

 μ'sの仲間? 可愛い後輩? 友だち?

 それは全部正解かもしれないけど、今挙げた中に私の欲しい答えはない。

 恋人っていう答えは。

「………高坂先輩」

 ふと、一度も呼んだことのない呼称で穂乃果を呼んでいた。

 それが私と穂乃果の距離を表している気がして。

 μ'sの中に先輩後輩はなくても、学校にいる以上それは確かに存在している。

 部活のある時間なんて学校で過ごす中のほんのわずかな時間。ほとんどの時間は先輩と後輩でわかれた時間を過ごしている。

 ううん、それだけじゃないわ。結局部活の時間だって、私は凛や花陽と、穂乃果は海未やことりといる時間が多い。

 更には幼馴染という壁。

 物理的には近くにいるかもしれないけれど、私が望む穂乃果との関係には遠い。遠すぎる。

 屋上にいると否応なしにそのことを思い知らされてこうしてここに逃げてきた。

(何の解決にもならないっていうことくらいわかってるけど)

「……………」

 せっかく音楽室にいるんだからもっとピアノを弾いていたいと思っているはずなのに、今は大好きなピアノもどこか味気なく感じて指を鍵盤に乗せたまま屋上を見上げるだけ。

「穂乃果………」

 私と穂乃果の距離は遠い。私が望む関係までには様々なことを乗り越えなきゃいけない。そこにはもしかしたら絶望的な壁があるかもしれない。

 きっと探せば諦めていい理由は数えきれないほど出てくるのだと思う。同性という現実、先輩と後輩という差、ことりや海未の存在、二人に嫉妬する情けない自分。

 ほら、少し考えただけでもこんなにあるわ。

 これ以上恋を続けるなんて無意味よ。傷つかなくていいことで傷ついちゃうだけ。

 少し前の私、恋を知らなかった頃の私ならきっと諦めていた。

 けれど………

「穂乃果………」

 恋を知ってしまった私は、

 

 心を穂乃果の色に染められた私は

 

「………好き」

 

 この気持ちから逃れるなんてできるはずもなかった。

 

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