この日も香里奈の家を訪れていた玲菜はソファの上に座り難しい顔をしながら自らの膝の上で眠る香里奈を見つめていた。
「……お前は」
小さくつぶやいてから軽く髪を手に取って撫でまわした。
「……………」
ただ、続く言葉はなく代わりに今度は頬に手を添える。
(……この姉妹も単純ではないのかもしれないな)
自分と結月の関係を思いおこし、玲菜は心の裡でそうつぶやく。
玲菜と結月の関係とはまるで違う。ただ、歪んでいると言えてしまうかもしれない。
(いや、そういう言い方はよくないか)
歪んでいるというととかく悪いものにとらえてしまいがちだ。
しかし、互いを想うことが時には互いのためにならないことはあるし、そのことが自分を縛ってしまうのであればやはり歪んでいると言えるのかもしれない。
「…んん……おねえ、ちゃん……」
夢でも見ているのか幸せそうな寝顔でこの世でもっとも大切な相手のことを呼ぶ香里奈。
「……………」
多分、どちらか片方だけの側面を見ただけならここまで意識しなかっただろう。だが、茉利奈は玲菜に香里奈に見せない姿を見せ、香里奈も玲菜に姉には見せない姿を見せた。
その二つに触れた玲菜は自分がどうするべきか見えずに、香里奈の頭を撫でながらここに来る前にあったことを思い出していた。
香里奈と学校帰り、夕食の買い物に付き合って欲しいとスーパーに寄り道をした時の事。
まさか自分が誰かとそんなことをするとは思っておらず、こうしていることをどこかおかしくも不快に思うことなく香里奈と並んで歩いていた。
明るい店内の中カートを押しながら食品を見て回る。
「ぶちょー、今日は何がいい?」
「まだごちそうになるとは、行っていないと思うが」
「え? 食べていってくれないの? せっかくぶちょーのために頑張ろうって思ってたのに」
「……まぁ、わざわざお前が作ってくれるのならいただこうか」
「お姉ちゃんが作るんじゃ食べて行ってくれないの?」
「そういうわけではないが……というかたまには私が作ってもいいぞ。お前も知ってはいるだろうが多少は自信がある」
「え!? ぶちょーが作ってくれるの?」
付き合い始めた恋人同士のような会話をする中で香里奈がひときわ嬉しそうな声を上げた。
ただ、その後ううんと軽く首を振る。
「やっぱり私が作ってあげたいの」
とはにかみながら言った。
「ふむ、そうか」と本当に出会った時には考えられないほど距離の近い会話をしながら食品をカゴの中にいれていくと
(む……)
ふと、玲菜は足を止める。
前方に泣いている小さな女の子を見つけたから。
周りに親と思われる大人はおらずすすり泣いている。代わりに、どうするべきかと様子を見ている大人はいるが。
(店員を呼んだ方がいいだろうか)
と、思っていると
「大丈夫? どうかしたの?」
香里奈は玲菜が数秒迷っている間に少女へと近づき、少女と視線の高さを合わせてそう問いかけていた。
「お母さんがどこか行っちゃったのかな?」
玲菜も遅まきながら近づき二人の会話に注目をする。
「……うん」
「そっか。じゃあ、お母さんが見つかるまでお姉ちゃんが一緒にいてあげるね」
言いながら優しく少女の頭を撫でる。
(ふむ)
手慣れたようにそうするのにも感心したが、それ以上に玲菜は迷わず少女のもとに近づいたというところに香里奈のらしさを見た気がした。
こういう言い方をしたくはないが、このご時世に香里奈のような行動をとるには勇気のいることでもある。
香里奈はそれを躊躇わずやってのけた。
(以前、姫乃の妹と接しているときは同じ子供だからと思ったが……)
それは自分の思い違いだったらしい。
「では、親を探すとするか」
「っ!!?」
手伝うという意味を込めてそう言ったが少女は明らかにビクついた目を向けられてしまい、結局少し離れて少女の親を探すことになった。
幸いなことに迷子センターに連れて行き、放送をしてもらうとすぐに母親が駆けつけ事なきを得たがその間のことも香里奈への印象を変えるには十分な時間だった。
年上のお姉さんと言った言葉がふさわしい対応、少女の母親と話しをしているときも学校や、姉の前では考えられないほどに大人に思えた。
(正確に言えば、年相応と評するべきか?)
外見はともかくも言動はとにかく子供っぽい香里奈であるが今目にした香里奈は本当に同じ人物かと見紛うほどにきちんとしていた。
「ん? どうかしたのぶちょー」
訝しげな眼で見られていたというのに気づいたのか香里奈は玲菜にそう問いかける。
「いや………その、意外でな。お前がきちんとしているところを見るというのは」
つい本音が出てしまい、まずかったかと多少胸を寒からしめるが香里奈はここでも意外な反応を示す。
「だって……もう、子供じゃないもん」
(む………)
どこかせつなげな響きを持つ言葉と、シニカルな表情。
それが玲菜にある可能性を感じさせた。
「…………」
ただ、それはわざわざ口にする類のものではなく気づいたからと言ってどうするべきでもないもので玲菜はもしやという可能性だけを意識し、
「さ、ぶちょー買い物続けよう」
子供に戻った香里奈に付き合って買い物を再開させた。
香里奈の家に帰りついた後、まだ夕飯を作るには早く少し休憩していると眠いと言い出した香里奈を膝の上で寝かしつけ
この姉妹の可能性について考えている。
(……口をだすことではないが、な)
香里奈も茉利奈も互いを想いあっている。それは間違いない。二人のその想いは完全には重なっていないのかもしれない。
茉利奈が香里奈に対して抱いている感情は親心であり、姉としてであり、もしかしたらそれ以上の気持ちもあるのかもしれない。
そして……これは玲菜の想像でしかない上に、まるで見当はずれかもしれないという自覚はあるが、また茉利奈のことではなく自分にとっての茉利奈の立場の人間の気持ちを勝手に想像しているだけなのかもしれないが。
茉利奈は香里奈に一人立ちをしてもらいたいのでは、と考えている。思えば、結月が自分に対して言うようなことを茉利奈は香里奈に対し口にしていた。
特に自分がもっとも大切に想われていることを自覚しながら玲菜と仲を深めることを嫉妬しながらも喜ばしく思い、手が離れることを寂しく思っているところなど結月にそっくりだった。
対して
「……んぁ……」
玲菜は香里奈の頬を再び撫でる。
この玲菜の膝の上で眠る大きな子供は……子供ではないのかもしれないと感じている。
思えばたまにそんな予感はしていた。
香里奈は不自然なほどに子供で、とても年相応とは思えない。それは親を亡くしたことによりずっと甘やかされて育ってきたからと当初は考えていたが、それは真実を捕らえていない気がする。
香里奈は……演じているような気がする。
香里奈は普段の態度の割には物覚えもよく、成績も上位の方だという。それだけで判断をしているわけではないが時折別の顔を見せていた。
そして、極めつけはスーパーでの出来事。
理由は玲菜にはわかるようなことではないかもしれないが考えられるのは……姉のためということかもしれない。
茉利奈は香里奈のために生きていると公言しているし、おそらくそれは事実だろう。香里奈はそれをわかっていて、あえて子供になっているのではないだろうか。
自分がいなくなった後の姉の姿が想像できず、自分が籠の中の鳥になることで今の関係を続けている。
互いを想いあっているようで、互いに遠慮し合っているようでもある。いや、互いに相手への思いで自分を縛っている。
(……というのは大げさか)
ただ、それは真実の一端を示しているとは玲菜は確信している。
「まぁ……口を出すことでは……か」
今はそれを本気で思う玲菜だが、あるきっかけで三人の関係性は変わっていくことになる。