結論から言えば、大した理由ではなかった。
出先でトラブルが発生し、その上携帯を紛失してしまった上、電話番号を覚えておらず連絡をできなかったというありふれた、拍子抜けをしてしまうような理由。
ただ、それは結果だけを見た場合の話。
当事者である香里奈は姉を見た瞬間に泣きながら抱き着き、姉も心の底から申し訳ないという気持ちを滲ませてことの次第を語った。
玲菜もまたその様子を安心しきった表情で見つめていたのが一時間ほど前。
香里奈は安心して気が抜けたのかすぐに寝付いてしまい、玲菜は茉利奈に話があると言われてしまった。
シャワーを浴びにいった茉利奈が戻ってくるまでの間、玲菜はすでにこの日何時間いたのかわからないソファに腰を下ろしてこれからのことを考える。
(……何を言われるのだろうか)
それが多少不安でもある。
何故ここに玲菜がいるかというのは香里奈が説明していたが、その言い方があまり茉利奈にとって嬉しい言い方ではなかった気がする。
寂しかったけど、ぶちょーがいてくれたから。
ぶちょーが色々優しくしてくれた。
果ては頭を撫でたり、抱きしめられたことまでを姉に話していた。
(さすがに咎められはしない、だろうが……)
事情が事情なこともありそれはないと思っているが相手が相手なだけに不安を消しきることができない。
「おまたせ。悪かったわね、もうこんな時間なのに」
と、不安を抱えていると背中から落ち着いた声が聞こえた。
「あ、いや、問題ない」
茉利奈が来ている寝間着もワンピース型でフリルのついたもの。系統は香里奈と同じようにも見えるがこちらは胸元が開いているなど大人っぽいデザインだ。
「時間も時間だし手短にするわね」
言いながら茉利奈は玲菜の隣に腰を下ろすと、
「……本当にありがとう」
深々と頭を下げ謝辞を述べられた。
「香里奈のこと一人にしないでくれて感謝してるわ。あの子一人だったらきっとまともでいられなかった。まぁ、一人にさせた私がいうことじゃないんだけど」
軽口をたたきながらも茉利奈の言葉の中には本気が込められている。言葉にできないほどの感謝が。
「自分を責める必要はないだろう。確かに責任はあるかもしれないが、香里奈もそれが理解できないほど子供ではないはずだ」
「……優しいのね」
「そういうわけではないさ」
「……優しいわよ。香里奈も、貴女のそういうところが気に入っているのかしら」
安堵した表情を浮かべたのち、達観したように述べた。
それはどこか寂しそうであり、嬉しそうでもある複雑な表情。
(……大人、だな)
玲菜はこうした表情を見るたびにそう思っていた。自分の感情を抑え、彼女は誰よりも大切な相手への想いを優先できる。
「……自己満足でもあるんだ」
その年上を相手にしているという意識が玲菜にこれまでにない感情を与えさせたのか香里奈の前では言えないことを口にする。
「どういう意味?」
「言っただろう。私も親がいないと。だから、同じような境遇の香里奈に優しくすることで自分の中にいる過去の自分を慰めているんだよ」
もしかしたらそれが香里奈に対する思いの大半ではと自信をなくしてしまうが、
「もしそうだとしても私は貴女に感謝するわ。それは香里奈も同じ。理由なんか関係なく、貴女がしてくれたことが嬉しいから」
茉利奈から率直な好意と肯定。
それが玲菜の心をくすぐり、玲菜は
「……ありがとう」
穏やかな笑みを浮かべた。
茉利奈も「えぇ」と頷き二人の間に弛緩した空気が流れる、が。
「ところで」
途端に空気が変わる。
例えるのならこれまでは暖かな陽だまりにでもいるような雰囲気だったが、今は絶対零度の冷気を発しているような感じだ。
「私がいないのをいいことに、あの子に変なことしてないわよね? なんだか大分仲よくしてたらしいけど」
(うっ……)
「よくは聞いていないのだけどあの子のこと抱きしめたらしいじゃない?」
「いや……それは」
「気持ちはわからないでもないわよ。香里奈を見て劣情を抱かないほうがおかしいっていうくらいあの子は可愛いわ」
(……その言い方だと姉である貴女が妹に劣情を抱いているということになるが……?)
それを問いかけてしまうと、あっさり「そうよ」とも言われてしまいそうで触れるのが怖い。
(……まぁ、この会話も平和であればこそ、だな)
過保護な姉の惚気にも聞こえる文句を言われながら玲菜はそう思い、ひとまずは無事にことが済んだことを安堵していた。
そしてこの日の出来事がきっかけとなっていく。