ガッ!

 放課後、もう暗くなろうとしている校舎の廊下で沙羅は苦虫を噛み潰したような顔で、拳を壁にたたきつけた。

(なんなの! なんなのよ!!)

 もう下校時間が過ぎて、ほとんど人の消えた校舎で沙羅は顔を真っ赤にしながら、胸にうずまく不快な気持ちに苛まれていた。

(一週間! もう、一週間よ!!?)

 それは、当然望に放課後教室で待てといってからの期間だ。この一週間、望の前に姿こそ現さないものの、ずっと望が教室から追い出されるまで様子を窺っていた。

 二、三日はしかたないと思った。望のにぶさ、間抜けさを考えればそのくらいは疑いもせずに残っているだろうと思った。

 だが、もう一週間だ。待ちぼうけさせた次の日にだって何も言ってはこない。ただ悲しそうに頷くだけ。

 こういうことはしたくはなかった。

 今まで散々いじめておいて、苦痛を与えておいて今更、いい人ぶってるといわれるかもしれないが、こういういじめ方はしたくなかった。

 望の弱さに付け込み、じわじわと望の心を追い込んでいく。望に不安を抱かせて、悲しませて、裏切り続ける。

 こんなのは最低の人間のすることだ。

 望と【友達】でいる限り沙羅は苦しみ続ける。すべてを終わらせてしまいたく、嫌われることを望んだが、今までのようなものだけじゃだめだった。望はわかってくれない。自分勝手な思いに縛られて、沙羅の望む結果をもたらしてはくれない。

 だからといってこんなことが許されるわけはない。

「……バカじゃないの」

 望と、そして、自分にその言葉を向ける。

 もう誰がどう考えたってこんなのはただのいじめだ。一週間もそれが続けば誰だって気づく。こんなのは友達のすることではない。

 悪意を、敵意を持っていなければこんなことはしない、できない。

 ガッ!

 また、壁を殴りつける。

 だが、望は何も言わず、聞いてもこず、一週間言われたままに来ることのない相手を待ち続けた。

「……ほんとう、……バカよ」

 そして、そんな様子を確認してしまう自分がいる。姿を現すつもりなどないのだから、さっさと帰ってしまえばいいのに、非情になりきれず望の様子を確認してしまう。

 バカらしい。

 自分のほうこそやめればいい。

 見捨てていけないくらいなら最初から言わなければいい、嫌われる方法なんてほかにいくらでもあるはずだ。

 独り寂しそうに教室に席に座る望を見てられないと思うのなら、やめればいいのに。

 でも、やめたところでどうすればいいのかはわからない。どうすればこの地獄に終わりが来るのか、終わりを告げてもらえるのか。

 何一つ自分のすることに確信を得られない沙羅はこんな低俗ないじめをするくらいしか、できなくて

「……ひぐ……ば、か……」

 沙羅のほうが心の痛みに音を上げて涙を流してしまうのだった。



 今日も、終わりが来る。

 騒がしかった校舎が静かになり、夕陽に染められる校舎からでは威勢のよい部活動の声もどこか遠くに感じる放課後の時間。

 望がただ苦しむだけの時間。

「っ……は、ぁ……」

 沙羅の心が痛みに食い破られていく時間。

(バカ、じゃないの……)

 もう今日で、十日目だ。

 教室で独りになった望を廊下の隅から見つめ、沙羅は悔しさのようなものに唇を噛んでいた。

 いちいち、癇に障る。

 昼間会ったときに悲しそうな顔をするくせに、話せば何も言おうとしないのも。

 待っててという言葉にうんと明るく頷くのも。

 こうして、言われたとおり待ち続けるのも。

 すべていらいらさせる。

 苦しんでいるのは望だとわかっているのに、望の行動すべてが自分へのあてつけのように感じでいた。

 望自身、沙羅が来るつもりがないことに気づいているのだろう。

 最初の二三日は、頻繁に廊下を確認したりもしていたが、今はたまに時計を見つめるだけでほとんどうつむいているだけだ。

(…………っ)

 じゅくじゅくと心が痛む。

 心の中にある深い穴の中に、何かが引きずり込まれそうなそんな嫌な感じがする。

(バカ、バカ、バカバカバカバカバカバカバカバカ!!)

「なんで、こんなこと、するのよ……」

 もう立っているのもつらくて沙羅は完全に壁に体重を預けたまま、どうにか顔だけを上げて望の姿を確認しようとした。

「あ…………」

 そして、その姿に言葉を失う。

 教室の小さな窓越しに見える望の肩が、震えていた。

(泣いて、る?)

 その様子をどこか遠くの出来事のように感じる。

 これまで望が泣いているところは見たことがなかった。

 どんなに待ちぼうけさせても、次の日何事もなかったかのように放課後待っててといっても、望はただ待ち続けていた。

 泣きそうにはなっていたんだろう。

 ただ、泣くことは沙羅が来るつもりがないということを認めてしまいそうで、泣けていなかったのだ。

「……………」

 もたれていた体を起す。

 望が泣いた。

 それは望の心に変化があったから、それも、おそらくは沙羅の望む方向にだ。

 だから、ここで沙羅がすべきことは。

 足が勝手に動いてしまう。

 するべきことは、明白だ。

 目的は嫌われることなのだから。

 望が泣いたのは確認したのだ。望が自分を信じられなくなったことを確認できたのだ。

 明日からは、もう話だってできないかもしれない。待っててといっても頷いては来ないかもしれない。

 沙羅といることが苦痛に感じ、沙羅から離れていくかもしれない。

 それは、望んでいたこと、なのに。

(なのに!!)

 いつのまにか、沙羅は教室のドアに手をかけていて、

 ガララ。

 と、音を立てて教室へ入って、しまった。

「っ!? さ、ら?」

 それに敏感に反応した望は

「来て、くれたんだ」

 心から安心したような声を発した。

「っ――!!!」

 一瞬で、今の自分の行動を後悔する。

 なんで、こんなところにきてしまったのだと。

 望は涙を拭いて、すぐに沙羅に駆け寄ってくる。

 その涙を拭くという動作も沙羅を苛み、沙羅のほうがうつむいて涙をこらえてしまった。

「沙羅? どうし」

 たの? と続けるつもりだったのだろう。

 だが、沙羅はそれよりも先に崩れてしまいそうな心から怒号を発した。

「なんなのよ! あんたは!!」

「っ!? さ、ら?」

「何でこんなところにいるのよ! バカじゃないの!? 一週間以上も毎日毎日、こんなところにいて……おかしいんじゃないの!?」

「で、でも……沙羅、来てくれた、し」

「っ――!!」

 胸がねじ切れそうだ。痛みなのか、それ以外の何かなのかよくわからない。

 ただ、胸が、心が握りつぶされそうで、ぐしゃぐしゃにつぶれてしまいそうで

「っっく……ひっく」

 やっぱり、涙を流すしかなかった。

「なん、なのよ……なんなのよ……。なんで、こんなこと、するの? どうして、私のこと……」

(いじ、めるのよ……)

「ひっく……ひぐ……っぅ、ぐ」

 ここでも、本当に言いたいことを言えず沙羅は泣きじゃくるだけだった。

「? さ、ら? 沙羅……?」

 望は何故、沙羅のほうが泣いてしまうのかその理由がまったくわからず、現実感を失ったまま沙羅を見つめ

「……沙羅……」

 沙羅のことを抱きしめていた。

「っ……」

 その瞬間、沙羅は悔しそうに唇を噛んだ。

 突き飛ばしたくすらなったが、心の思うようには体は動かない。

「…………」

 望は望で自分の行動に自信がないのか、または自覚がないのか抱きしめてはいるもののどうすればいいのかわからないといった顔をしていた。

「…………で、よ……」

「え?」

「なんで、ずっと、待ってたり、するのよ……」

「え、だっ……」

「わかってるでしょ!? 私が来る気がなかったなんて! 一週間以上も、望のことほったらかしてたのよ!? なのに、なんで毎日繰り返すの!?」

「だ、って……私、沙羅の……」

「……言うことなら、なんでも聞くって、いいたいの?」

 そこが、おかしい。そんなのはまともじゃない。

「…………」

 望もそれをわかってはいるのか、何も言えず沙羅を抱きしめていた腕の力が緩む。

「……望」

「な、に?」

 興味、なかった。望の考えなんて、望の、気持ちなんて。

 何を聞いても、そんなの受け入れられるわけはないと思ったし、どんな理由があろうとも関係ないってあのときには思った。

 いや、本当は違う。

 聞きたくなかった。

 望はバカでお人よしで、本当に、バカで、残酷で。聞けば、揺らいでしまうって思ったから自分のために大好きな人を傷つけられなくなるから。

 それに、聞けば後悔するような予感がしていたから……

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