「………茉利奈」

 小さくなり体を震わせる茉利奈を見て玲菜は

「っ!」

 その心細げな肩を引き寄せ茉利奈を抱きしめた。

 あの夜以来自分の意志で茉利奈を抱いた。

 支えなければそのまま崩れていってしまいそうだったから。心によりそわなければいけないとそう思った。

「………やめなさい」

 しかし抱擁を受けた玲菜が口にしたのはそんな言葉だった。

 やめろという命令でも、願いでもなく、慰めてくれているはずの玲菜を諭すような言い方だった。

「嫌だ」

 玲菜は短く、しかしはっきりとした口調で拒絶をする。

「私の話を聞いていなかったの? 貴女が私に優しくするのが正解に思える?」

 先ほどまでの涙が消えたわけではない。心もまるで落ち着いてなどいない。しかし、それ以上に香里奈の姉という自覚と大人であるという矜持が玲菜の行為を否定させた。

 甘えるためではなく、謝罪と別れのためにここにいるのだから。その目的は玲菜に気持ちを曝した今でも変わらなかった。

「間違いとか、正解とかではないだろう。……確かに正しいことではないかもしれないが……それでも今目の前で泣いている貴女をほうっておくなどできない。いや、したくないんだ」

「それが……よくないって言っているのよ。ここで私を慰めてどうするつもり? また私との関係を続けるの? 香里奈ちゃんのことがあるのに、いつまでもこんなこと続けていられないでしょう」

 以前玲菜が茉利奈に対して問うたこととまるで同じことを問う。

「………香里奈のことを理由に使うのはやめてくれ」

「っ!!」

「貴女は確かに香里奈の姉だろう。しかし、そのことを理由にして自分の願いを抑えることが貴女のしたいことなのか。あなたはそれでいいのか」

「………貴女の言い方じゃないけど、いいとか悪いじゃないでしょう。私は香里奈ちゃんの姉なの。ずっとあの子のために生きてきた。あの子の幸せが私の幸せ……あの子が幸せじゃなければ私は絶対に幸せにはなれないの」

「それは……逃げているんじゃないか? 香里奈をダシにつかい、自分が傷つかないようにしているように私には見える」

 おそらくは一番言ってはならない類の言葉だっただろう。茉利奈の香里奈を思う気持ちは紛れもなく本物で、それを出しにしているなど冒涜の極みと言ってもよかった。

「……貴女は何がしたいの?」

 ここまで冷静だった茉利奈だが玲菜の無責任な言葉にいらだちをあらわにせざるを得なかった。

「貴女の言うとおりかもしれないわ。確かに私は香里奈ちゃんを理由にしているかもしれない。けど、本当のことを言ったからって何になるっていうの?」

 茉利奈は終わりにするために今ここに来たはずだった。当初のやり方はとん挫してしまったが、それでも年上の余裕を持って玲菜と接することで物分りよくわかれるつもりだった。

 だが、玲菜の態度は、言葉は茉利奈の乙女心を不必要に刺激する。

 玲菜は優しさから言葉を出してくれているのかもしれないが、その優しさは茉利奈の癪に障るものばかりだ。

「玲菜の気持ちが変わるわけじゃないでしょう」

 特に茉利奈を苛立たせているのはこのことだ。

 玲菜の言っていることは正論だろうし、茉利奈の心の真をついている。だが、第三者に言われるのならともかく本人に言われたところでそれは心を傷つけるだけだ。

「そうよ。貴女の言うとおり、私は貴女が好き……香里奈ちゃんのことじゃなくて私を見てほしい。私を一番好きだって言って欲しい」

 苛立ちのまま茉利奈は心の裡を明かしていた。悔しさなのか、それとも香里奈に負けているという現実にか瞳には涙を浮かべ、後悔と気持ちを吐き出したことによる開放感を混ぜた感情を浮かび上がらせる。

「でも、玲菜は違うでしょう。玲菜が好きなのは香里奈ちゃんでしょう。玲菜は香里奈ちゃんを悲しませたくなかったから私に付き合ってただけ。そんなことがわからないくらい私は鈍くはないわ。ふふ、ふふ…玲菜って悪趣味なのね。断るくせに、告白しろだなんて。いい趣味してるわ」

 最後の方は自棄になりながら茉利奈は自分と玲菜を嗤う。

「……………」

 そんな茉利奈を玲菜は心の複雑な気持ちを表すかのように苦悶の表情を浮かべながら見つめ。

「…………私は」

「言っておくけど、香里奈ちゃんを悲しませるようなことだけは許さないから」

「っ………」

 先ほどの告白も茉利奈の本音だが、心の底から香里奈に幸せになって欲しいというのも矛盾した本音。

 玲菜もそのことを理解してはいるが………

「それでも私は……貴女を見捨てたくはない」

 心の中にあった偽りのない気持ちを茉利奈へと向けた。

「っ……貴女はっ!」

 茉利奈は苛立ちを怒りに変えその感情を露わにして睨みつける。

「私だってこの気持ちが貴女にも香里奈にも礼を欠いているということくらいわかっているさ」

「なら、貴女の答えは決まっているでしょ。私のことなんて忘れて香里奈ちゃんのことを大切にすればいいの。それ以外はないでしょ」

「そうすることが正しいのかもしれない。しかし、そうなったら貴女はどうなるんだ」

「私のことなんてどうでもいい……いいのよ」

「いいわけないだろ!」

 玲菜は自分でも驚くほど感情が高ぶっていた。その諦観が、自分を軽視するかのような態度がまるで昔の、嫌いだったころの自分のようで気に食わなかった。

「私は……貴女が悲しむ姿を見たくない……。今貴女が辛そうにしているのを見ているだけで胸がつぶれてしまいそうに痛いんだ」

 ぐっと自分の胸元を掴み玲菜は憐憫に痛む胸の内を明かす。

 それから茉利奈の手を取る。

「私は貴女のことを守りたいと思っている。それは……きっと」

 玲菜の茉利奈を見つめる瞳に情熱が宿る。それはこれまで誰に向けたこともない、香里奈への情愛とも違う特別な感情。

「私も貴女のことが好きだからだ」

「っ………!」

 視線と想いを受け取り、茉利奈は数秒見つめあっただけで耐え切れなくなり目をそらし、手をほどく。

「っあ、……っ」

 言ってしまいたい言葉は数えきれないほどあるのに、想いが複雑に絡みあって声になってくれなかった。

「私の気持ちは倫理に反しているのかもしれない。ただしいことではないのかもしれない。だが、そういうものとは関係なしに燃え上がってしまうのが……愛というものなんじゃないか」

「……………軽々しく、そんな言葉を使わないでよ」

 玲菜が自分の言葉を話しているのに対し、茉利奈はその言葉を本気に受け取りながら妹の顔が頭をよぎってしまう。

 その苦悩がわかる玲菜は……

「茉利奈」

 そう呼びながら頬に手を添え

「……嫌なら、突き飛ばしてくれていい」

 過ちを作り出した言葉を投げかけ

「………………………」

 何もできなかった茉利奈に己を重ねていった。

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