ピ。

「ふぅ」

 美咲は電子音を立てて切ったケータイをベッドに放り投げて、ため息をついた。

「ったく、変なところで鋭いんだから」

 独白すると、何かに思いを馳せるように窓の外を見つめる。何か、ではない。彩音だ。彩音のこと以外は考えられていない。

「…………」

 ただ黙ったまま、彩音のことを想う。彩音は気付いていた。しかし、何かまではわかるはずもない。自分が彩音の立場でも、思い至りもしない。

 そんな、想像もしたこともないことなのだから。

「やだやだ、また泣きそう」

 美咲は独白するとすでに明かりを消している部屋でベッドに横になるのではなく、ベッドに背中を預けて俯いた。

「……………」

 ひどく心細い。薄っすらと家具の外観だけが見える部屋がやけに広く感じ、この暗闇の中にまるで自分しかいないような孤独感に襲われる。それどころか、世界、少なくても自分の世界に一人しかいなくて、自然と涙が出てきてしまう。

 もし、目の前に彩音がいてくれたら嗚咽を漏らしながら抱きついてしまうかもしれない。そんなことを考えてしまうくらい絶望的な不安と恐怖。

 しかしそれを彩音やゆめに一片たりとも見せるわけにはいかない。それでは意味がないから。毎晩こうして、膝を抱えている意味がなくなるから。

涙を流す意味がなくなるから。

 自分のしていることは的外れなことなのかもしれない。美咲は心のどこかでそうも感じている。しかし、今はまだこうするしかない。これが一番と考えてしまう。

「……彩音……」

 名前を呼んでも、応えるべき相手はいない。なのに、ほとんど無意識に何度も、何度も名前を呼んでしまう。

 気付かれてはいけない。望んでいるのは、変わらないことだから。いつもの彩音やゆめなのだから。

(彩音……特にゆめはまだまだ子供、なんだから、私がしっかりしてなきゃ……)

 大丈夫、今この夜の間に涙と一緒に気持ちを吐き出してしまえば彩音の前では【いつも】を装える。

「大丈夫、よ……」

 それが、言い訳に過ぎないということを美咲は自覚しながら目を背けて、不安の中夜を過ごすのだった。

 

 

 最近、おかしい気がする。

 あたしは放課後、今度は化学の追試を受けて教室に戻る途中そんなことを思っていた。

あ、何かいつも追試受けてるような印象だけど別にあたしが特別バカなわけじゃなくて。えーと追試受けてるのはそうだけど、クラスの半分が受けているようなやつだから別に成績が悪いわけじゃないの!

 誰にしてるかわからない言い訳をして、カツン、カツンといつもより少し大きな足音を立てながら、ムスっとした顔で歩いていく。

 テストの出来が悪かったんじゃない。というか、丁度昼休みに美咲に教わったところで、他の人が頭を抱える中一番に提出してこれた。

 おかしいって、思う。

違和感。齟齬。

 美咲のことだけじゃなくて、何だか学校で友だちと話してたりしてもみんながみんなってわけじゃないけどその違和感を感じる。なんだか、一歩引かれているような居心地の悪さ。

急にクラスでハブられはじめた、みたいなことなら原因がわかるからある意味よかったかもしれない。でも、そういうことじゃない。中学の頃からの友だちと話していても、言葉にできない嫌な感じがする。理由も、意味もわからない。とにかく、不安になるというか、第六感が働くような気分。

 しかも、それを感じるのは学校だけじゃない。家で家族と話していても嫌な感じを受けてしまう。

 大げさな言い方かもだけど世界中がそんな風に思えてくる。例外といえばゆめくらい。電話でも直接でも、ゆめと話してるときはいつもとなんら変わりなく二人で話をできる。

 でも、ゆめと話せるのなんてこうして毎日学校に通っていることを考えればわずかな時間。

この胸にまとわりつく不安を取り去ることはできない。

「っと」

 あたしは、階の違う化学室から一年生の教室の前の廊下をいつのまにか歩いていて、思わず足を止めた。

 もうこんなとこまで来てたか。

 今日も当たり前のように美咲はあたしのテストが終わるのを待ってるといっていて、今日は教室にいるといっていた。

 毎度毎度ご苦労さまなことで、なんて思いながら美咲の教室の前まで来たけど、お弁当の袋を忘れていたことに気付いて先に自分の教室に向かっていった。

「……でも、やっぱり寂しいよねぇ」

「だよね。しょうがないんだろうけど」

 ん?

 すぐに教室の前まで来たけど、中から複数の人の声が聞こえてきてあたしは足を止める。小学校から一緒の友達と、中学からの友だちが二人の三人。丁度、最近話していると微妙な疎外感を感じる三人。

「…………」

 例え、疎外感を感じるとはいえ友だちなんだし普通に話しもしてるんだから気にしないで入っていっていいはずだけど、足が凍る。

 あたしは教室の中からは見えない位置取りをして中からしている声に耳を澄ませた。

「っ…………」

 中の人に気付かれないようにと気を使っているせいで全部が聞こえてくるわけじゃない。

けど、これって……

 動悸が激しい。胸が締め付けられる。そんなつもりもないのに息が荒くなって、もう聞きたくないという気持ちと、はっきりさせたいという気持ちがぶつかり合って胸を押さえる手に自然と力が入った。

 そんな中、決定的な言葉が発せられる。

「転校、か……どんな気分なのかな。美咲」

(っ!!!???

 は!? 

「そういえば、彩音に言ってないんだって?」

「らしいね。絶対いうなって言われたし。やっぱ、いいづらいよね。彩音相手じゃ……」

「だよね……」

 なに? なに? 何の話なの? 転校? 美咲の話? は? 

 現実感が湧き上がらないのに、体から力が抜けてそのまま足がくだけてその場にへたりこみそうになった。

 知らない、知らない、知らない! あたしはそんなこと知らない!

 この三人は嘘をついてる、そうに決まってる。もし、美咲がそんなことになればあたしが知らないはずがない。

嘘、嘘だ! 

嘘、うそ、うそ! ありえない。そんなわけない!

 嘘だってわかってる! 嘘に決まってる。

 わかってるのに、決まってるのに、

 あたしは何故か震えてしまう手を教室のドアを開けた。

「っ……」

 そこにいた全員が幽霊でも見たかのように肩を震わせて、一斉にあたしから目を背けた。

「……今の話、詳しく聞かせて」

 99%嘘だって思っているはずなのに、体と心は落ち着きを見せることはなかった。

 

 

「美咲!!

 黄昏時、まるで世界の終わりすら思わせる赤く染め上げられた教室。

 話を聞いたあたしは取りに戻ったお弁当箱も取ってくることもなく全力で美咲の教室に入っていくと力いっぱい叫んだ。

 教室には美咲の他に数人の人がいてあたしを驚いてみてくる。

「……彩音」

 でも、当の美咲はあたしの顔を一瞥して小さく名前を呼んだだけ。机の合間を縫って一歩一歩大きな足音を立てて、あたしは美咲の元に向かっていく。

「遅かったわね。テストできなかったの? せっかく教えてあげたのに」

 美咲は机から立ち上がることすらしないまま尋常じゃないであろうあたしの顔を見つめた。

「……他にいうことがないわけ?」

「さぁ? 何かある?」

「っざっけないで!」

 あたしの様子からして何が言いたいかわからないはずがない。わからないはずないのに美咲はそのことに一切触れようとせず、顔色を変えることもない。

 冷静ないつもの美咲。

 それがあたしを苛立たせる。

「……ふぅ。はいはい、彩音の言いたいことはわかるわ。私の引越しのことでしょ?」

「っ!

「知ってる人には絶対に口に出すなっていってあったけどね。まぁ、人の口に戸は立てられないってことね」

「本当、なんだ……?」

「そうわかってるから私に言ってきたんじゃないの?」

 な、んで、なんで美咲はこんなに落ち着いてるの? あたしなんて、今にも、涙が出てきそう、なのに。なんで美咲は何ともない風なの?

 美咲はさて、というとバックを持って立ち上がった。

「テスト、終わってるんでしょ? じゃ、帰るわよ」

 さっきまでの話なんてなかったかのように美咲は教室の出口にむかって歩き出した。いつもみたいに、まるであたしが美咲の引越しを知ったことを気にしないかのように。

「ま、ってよ」

 一方あたしはその場から一歩たりともうごけない。動けるわけがない! もっといっぱい話したいこと、話さなきゃいけないことがある。あるのに! 

 何を言っていいのかわからなくて、言葉が、紡ぎ出せなくて、心が震えてそれが体中に広がって何も、続けられない。

「なに?」

 あたしに転校を知られてすら平然とする美咲。

信じられなかった。

 わかんない、美咲が、わかんない。何で美咲はこんなに普通にしていられるの? あたしに知られたって美咲にとってはなんでもないわけ? ううん、それ以前にあたしと離れるってことが美咲にはなんともないわけ!?

 嫌、いや、嫌! やだ、美咲と離れ離れになるなんて絶対やだ。

「みさ、き……」

 心の震えが涙腺を刺激していって、涙があふれ出た。ポタ、ポタっと美咲の机の上に染みを作っていく。

「……彩音」

「っ」

 いつのまにか近づいていた美咲の手があたしの手を取っていた。

 細くてすらっとしてて、あたしよりも少し暖かな美咲の手。小さい頃、それこそ赤ちゃんのときから何度も握り合ったぬくもり。

「……帰ろう。ここじゃ、話したくない」

 美咲が耳元で小さく囁いた。あたしがここに来てから見せていたいつもじゃなくて、あたしと同じ……怯えた声で。

「……うん」

 それを聴いた瞬間、あたしも美咲の手を握り返していた。

 

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