選んだ場所ははあたしの部屋。美咲が、片付けが進んでる家を見せたくないって言うから。……あたしもそんな美咲の家を見たくない、から。

「……………」

 二人とも荷物を置いて、黙ってベッドに並んで座る。肩と肩が触れ合いそうなくらいの距離で。でも、まるでお互いのぬくもりを感じるのが怖いみたいに決して触れ合わない。

 怖いよ。美咲の熱を感じるのが、それがなくなるのが。

「………………………」

 言えない。何も、言えない。

 あたしは油断するとまた涙が出てきそうな瞳で正面の窓を見つめていて、美咲はベッドの縁をぎゅっと握り締めながらあたしを見たり、反対の部屋の出口を見たり、やっぱり落ち着かない様子。

「…………」

 何言えば、いいのか。何言えば、今の美咲に届く言葉になるのだろう。

 わかんない。わかんなくても美咲と話がしたい。一つ、一つ、聞いていくのが一番なのだろうか。わかんなくても止まりたくない。

「……なんで、あたしに話してくれなかったの?」

「……………」

「ゆめにも、か。知ってれば、いくら口止めしたってあのゆめがあたしに言わないはずないし」

「……………」

「学校の人はなんで知ってたの? つか、まぁ明日いきなり転校しますって言われたらびっくりするだろうから事前に伝えておくのが普通だろうけど。今思うと、友だちとか親とかもちょっとおかしかったかもね。つか、美咲もか。毎日、しかもあんなに早くあたしのこと起こしにきてたし、いつもあたしと一緒にいようとしてたし……」

 美咲が黙ったままでもあたしはかまわずに続けていく。

「…………彩音なら、言えた?」

「え?」

「彩音なら、私やゆめに言えた?」

「そ、そんなの当たり前じゃん! 美咲に言わないで誰にいうの!?

「……本当?」

 美咲はここで初めて顔を上げて涙に濡れた瞳であたしを見つめてきた。

「言えた? 引越ししなきゃいけないって。もう、毎日会えなくなるんだって、一緒に笑えなくなるって、泣けなくなるって。言え、るの? 彩音は、私にそんなこと言えるの?」

「っ……」

 何も言えなかった。さっきまでの、何を言っていいかわからないから言えないんじゃなくて、正真正銘何も言える言葉がないから黙るしかなかった。

 わからない。言えるとは、思う。この美咲の様子を見せられた今でもそう、思う。なによりも美咲に話すって。けど、それは想像でしかないから本当にそうなったわけじゃないから、わからない。

「私は、言えない。言えなかった。いらないの、そんな、時間私は欲しくなかった。そんな特別、いらない。同情も、哀れみも、憐憫もそんな気持ちで……残り少ない彩音との時間を過ごしたくなかった。【いつも】がよかったの、いつもの普段どおりの思い出。私がそれが欲しかった」

「美咲……ッ!?

 あたしはどうしていいかわからないまま美咲を見つめるしかなかった。美咲はそんなあたしの膝の上にある手を強く握り締めた。

 そして、声を震わせる。

「でも、違う、本当は、違う。彩音に知られて、気付いた。わかった。ううん、わかってた。いつもがよかった、いつもの思い出が欲しかったなんていったけど、本当は全然、違う。っ…く、思い出が、欲しかったんじゃ……っ、ない」

 あたしは黙ったまま肩を寄せて美咲の手を包み込む。

「認めたくなかった、だけ……怖かっただけ、彩音と離れるってことを……ひく、受け入れなれなかった、だけ……」

 完全に涙を溢れさせながら美咲もあたしに体を預けてきた。そこから、ありえないのかもしれないけど、美咲が今までどれだけ悩んで苦しんだか、夜一人になった部屋でどれだけ涙を流したか、全部わかっちゃう気がした。全部、美咲の体から流れ込んでくるような気がした。

「…………彩音のいない世界って、何?」

 美咲は抑えきれない感情の波に震えて涙を流す。その悲しみそのものっていってもいい熱い雫が美咲の手を包むあたしの手に落ちてきて伝染するみたいにあたしも涙があふれ出た。

「……生まれたときから一緒で、幼稚園も、小学校も、中学校も、高校も一緒で……いつでも、どこでも一緒で、彩音はいて当たり前、だったのよ。当たり前すぎたの。会わない日があっても、会おうと思えばいつでも会えた。毎日、どんなときも彩音に会えた、のに……」

 あたしにとって他の誰よりも特別な美咲の感情を抑えようとしながら、全然抑えられてない声があたしの中に入り込んでくる。

 美咲の言うとおり、美咲といない時なんてあたしの人生の中でなかった。いつも一緒、いて当たり前。

 楽しい時も、嬉しい時も、悲しい時も、辛い時もどんな時ずっと一緒。いつでも一緒。それが当たり前、当たり前すぎた。

「それがなくなるって…なに? どうなるの? どうなっちゃうの?」

 美咲の手を握る手に力を込める。絶対に離れることのないように。

(わ、から、ない。美咲がいなくなるなんて、考えたこともなかった。美咲のいない世界って……何? どうなるの? どうなっちゃうの?)

「ふ、ふふ……」

 自嘲的な美咲の笑い声。泣きながら笑う悲痛な声。

「こういうとき、ドラマとか小説だと、離れても心はつながってるとか、いうわよね……。だから何!? 当たり前じゃないそんなこと!! 彩音のこと、好きだもの! 大好きだもの!! でも、それがなんなの!?? 心がつながってれば好きな人に会えなくても平気なの!?

「みさ、き……」

 らしくもなく取り乱す美咲にあたしは……何も、できない。いくらこんな風に手を握ったって、美咲を引き止める力にはなんない。

「そんなわけないじゃない!! 私はずっと一緒にいたい! 彩音やゆめと、好きな人と毎日でも会いたい! 会いたいの、……ずっと、一緒にいたい、のよ……」

 この部屋を取り巻く悲しみやせつなさの渦にあたしたちは飲み込まれていく。

「美咲!!

 あたしはそのせつなさに耐えられなくて美咲を抱きしめていた。

「あ、たし、あたしも……美咲と、一緒に、いたい。大、好きな美咲と……ずっと、一緒、に、いたい、よ……」

 涙を流して、声は震えてまるでだだをこねる子供みたい。でも、言いたかった。

今さらこんなことを言っても、どこへも行かせないために抱きしめても、美咲がいなくなっちゃうことは変わらない。でも、こうするしかなかった。美咲がどこにもいってしまわないように。強く、強く美咲のことを抱きしめるしかあたしは……

「彩音、あやね、あやねぇ……っく、」

 美咲もあたしと同じように強く、強くあたしを抱きしめてきた。

「美咲! みさき、みさきみさき、みさ、き……」

「あ、やね。彩音、あやねあやねあやねぇ」

 そうして、まるで二人の心が溶けあったかのようにおんなじ気持ちで、悲しみで、なにより相手への想いで、いつまでも涙を流し続けるのだった。

 

 

 我に帰ったのはもう真っ暗になってから。

 ベッドに並んだままあたしたちはお互いの顔を見つめあう。

「……彩音」

「なに?」

「今日、泊まっていっても、いい?」

「もちろん。てか、あたしも今そう言おうと思ってた」

「そ。彩音程度と同じ考えなんて私も思ったよりも単純だったみたいね」

「うっさい。一緒の気持ちになったってちっともおかしくないでしょ。わかるよ、美咲のこと、今なら、全部」

「……そうね」

「……あの、さ」

 あたしは繋いだ手に想いを込めた。

「……なに?」

 美咲もぎゅっと握り返してくる。

「ごめん、やっぱり今は、いいや」

「……そ」

 あたしが言おうとしたこと、多分わかってるって思う。今のあたしたちは繋いだぬくもりから心の中まで全部伝えあえるから。

「…………」

 あたしたちは、またしばらく手を繋いだままただ互いを感じあうのだった。

 

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