静かな夜。すべての音が消えて、眩しいくらいの月光もあたしたちだけを照らすためだけにあるみたい。
どれくらいたっただろう。もう空いているほうの指の感覚が怪しくなってる。それだけじゃなく、顔も足も、毛布に包まれている体さえも夜の冷たさに熱を奪われている。
唯一はっきりしてるのは、美咲と繋いでいる手だけ。暖くて強い、ぬくもり。まるで溶け合ってるかのように暖かく、ううん、熱く感じる。美咲の熱を。
「……………」
話もしないで、ただ空や住み慣れた町並みを見つめる。虫の声すらしなくあまりにも静かで本当に世界から音がなくなったような錯覚さえ受ける。
今のあたしには美咲から伝わる美咲の鼓動は世界のすべてだ。
聞こえるじゃなくて、伝わってくる美咲があたしの隣にいる証が、トクン、トクンという美咲の音が。
「……そいや、さ」
「ん?」
「最近夜電話しても、中々出なかったのって、やっぱ」
「泣いてたのよ。ずーと、朝まで。電話出ると泣いてるのわかっちゃうでしょ」
「じゃ、なんで昨日は出たの?」
「さぁ? 自分でもよくわからない。彩音の声が聞きたかったんじゃない?」
「そ」
美咲が頭を傾けてきた。それを無言で受け止めるあたし。
あたしたちの周りを包む空気は確かに冷たい。でも、例え世界の終わりのような寒さがこようともあたしたちを繋ぐぬくもりだけは凍りつくことはない。だから、美咲の言うとおり、寒いけど寒くない。
手を繋ぎあって、ただお互いの鼓動を感じる。それだけで世界中の誰よりも幸せになれる。
「あ、そだ。ゆめにはどうすんの? 言ってないんでしょ?」
「あらあら、こんな時にゆめの話するわけ?」
美咲はクスクスと小悪魔のような微笑みを向けてきた。
「今はまさに二人の世界って感じなのに。だーれも私たちの間には入れない、花も恥らう具合な時に他の子の話なんて、それこそ相手がゆめだったらふぐみたいにほっぺ膨らませて怒るんじゃない?」
「ゆめがそんな風になるんだったら是非見てみたいけどね。ま、怒りはするだろうけど」
「あら。怒るのはゆめだけとは限らないわよ?」
含みを持たせた笑顔のまま美咲は楽しそうに繋いだ手に痛いくらいに力を込めた。
怒って、んかな? ま、ね。確かにもう【どうして世界にいるのがあたしたち二人だけじゃないんだろ】ってセリフが自然に出てきちゃいそうな雰囲気だし、その雰囲気を壊すのが例えもう一人の親友の名前だろうといい気分はしないかも。
「怒っ、た?」
「冗談よ、半分は」
「半分、ね」
やっぱ、そこらへんは微妙な乙女心かな。夢見る乙女の。確かに軽率でしたっと。
「でも、ほんとどうしようかしらね? ゆめに、か……」
何だかさっきまでいた二人の夢の世界にいたかのように美咲は、現実に引き戻されて憂いを帯びた顔で心から困ったような様子になった。
「ゆめだもんねー。しょーじき、何してくるかわかんないよね。いなくなるくらいならいっそって刺されちゃうかもよ?」
「ゆめにそんな度胸ないわよ。意外に臆病だし」
「そかもね」
あの何でもはっきり言うゆめが臆病。何言ってんの? って気もするけど、ゆめは実は結構臆病だ。あの何でもいうっていうのは逆にその証。強がってるわけじゃないけど、ああやってはっきり言ってるって見せかけて意外にも本当の気持ちを隠したりする。
もっとも、あたしと美咲はそれをわかりながらからかったりするわけだけど。
「まぁ、考えても仕方ないわよ。正直に言うしか、ね。彩音も一緒に来てくれるんでしょ? 彩音がいれば、どれだけ辛いことも、難しいこともできるから。でも今度は三人で泣いちゃうのかしら?」
あたしにはあれだけ事実を隠そうとして、知られた後もあれだけ涙した美咲が今はあっさりと口に出せている。溜め込んでた想いを吐き出して少しは心が楽になってるのか、あたしに知られて踏ん切りがついたのか、それとも、別の理由かはわからないけど、その姿に寂しさが募る。
「そりゃ、もちろん。美咲がいるところにあたしはいるから」
「ありがと」
美咲は特別なんかいらないって言ってた、それを違うって否定もしたけどいつもが欲しかったのはきっとうそじゃない。
だけど、あたしが美咲と一緒っていうのは【いつも】で、何より【特別】なことだ。美咲の引越しをしってから数時間、心からそう思う。だから、美咲の行くところにはあたしも一緒に行く。
それがあたしたちの【いつも】だから……もう続けられない【いつも】だから。
「さて、そろそろ戻る? もう流れ星って気分でもないし」
「そだね。早寝早起き。一日を大切にしなきゃ」
「もう早寝って時間でもないでしょうが」
また小さな笑いが起きる。何気ない会話から生まれる何気ない笑顔。いつもの、笑顔。
「っ?」
あたしは部屋に戻るため立ち上がろうとしたけど美咲は座ったままで若干引っ張られて、そのまま美咲のせつなさの中に歓喜を含ませた顔を見つめた。
「……彩音。さっき、って言っても結構前な気がするけど私、特別なんていらないって言ったわよね。いつもが欲しいって」
「うん」
「あれ、嘘じゃないけど、今この特別な思い出が出来てすごく嬉しい。胸があったかい。月並みだけど、一生忘れないって思う。でも、これは特別だけど、よく考えたらこの【特別】が私たちの【いつも】なのよね」
「…………」
「何よ、黙って。茶化すのなら受け付けないわよ」
あたしはクスっと笑いながらんーんと首を振って、
「あたしも似たようなこと思ってた」
と答えた。
「そ」
美咲も幸せそうに応える。
「……彩音、大好きよ」
「あたしも」
二人してこれ以上ないほどの至福を感じながら見つめあった。
「さーて、大分冷えたしさっさとベッドであったまろっか」
「そうね」
そして、かけがえない相手とぬくもりを重ねあいながらあたしたちは【いつも】で【特別】な一日を終えるのだった。
「……うそ」
次の日、ゆめに話をしにいったあたしたち。ゆめは美咲からその話をされると、小さく呟いた。
「ほんと、なの……」
ゆめの部屋で三人床に座って、あたしたちはゆめを挟む。
「うそっ!」
そんなゆめは珍しく声を荒げて、美咲からの話を否定しようとした。
「……ふたり、とも、すぐ、私のこと、からかう」
顔を下に向けて、小さな体を震わせながら必死に耳に入ってきた言葉を振り払おうとする。
「……だから、今度も、嘘。また、からかおうと、してる、だけ……騙されない」
ゆめは、わかってる。美咲が決して、からかいや冗談でこんなこと言ってるんじゃないって。そんなのあたしと美咲の様子を見ればわかる。
今のあたしと美咲はひどい。寝不足と涙で目は腫れちゃってて今だって少しのきっかけでいつでも泣きそう。
でも、ゆめはそんな外見じゃなくて美咲の言葉や雰囲気に真実を嗅ぎ取って、ゆめも泣きそうになりながらとにかく否定、ううん、拒絶しようとしてる。
「ゆめ、……嘘じゃ、ないのよ」
「嘘ッ! いじわる、しないで」
「ゆめ……」
見てられない。でも、どうしようもない! だって、美咲が決めたの! 覚悟を持って決めたの! だから、あたしたちが今さら……言ったって……
「……約束、した、のに。大学生に、なったら、一緒に住むって」
「それは…もちろん、破る気なんてないわよ。それまで、ちょっとお別れするだけ」
「やだッ! ちょっと、なんかじゃない」
「彩音がいるじゃない。彩音はちゃんとゆめのこと大切にしてくれるわよ」
「……美咲もいないと、だめ」
「ゆめ………」
美咲が困惑してゆめを見つめる。あたしは、ほとんど黙ったまま。気持ちはゆめと同じでも、美咲の気持ちも知ってるからその二つの想いに挟まれて言葉が出てこない。
……美咲は大人、だ。当事者ですでに覚悟を決めてるっていうのもあるんだろうけど昨日はあんなに泣いたのに今は一段上からゆめに向かってるように見える。
「み、さき」
ゆめは美咲の名前を呼ぶとすがりつくように美咲を細い腕で抱きしめた。
「ゆ、ゆめ、痛い、わよ」
美咲は抱き返さない。せつなそうに自分の体を抱きとめるゆめを見つめるだけ。
「……もう、離さない。どこにも、いっちゃ、だめ……ずっと、こうして、る」
(ゆめ、美咲……)
あたしは胸を押さえて、つられて美咲を抱きしめ、抱き止めそうになる気持ちを抑えた。
美咲が、決めたってことなんかよりそもそもどうしようもないこと、なんだから。あたしと一緒に住もうなんてただ非現実的なだけ、なんだから。
そう、割り切んなきゃ。
「ゆ、ゆめ? そんなことしたって、美咲が困るだけだって。いつまでも子供じゃないんだから。ほら、ゆめって子供扱いされるのいつも嫌がるじゃん。だから、さ……」
「……子供、だもん。子供、でいいもん。美咲が、いなくなっちゃうくらいなら、ずっと、子供でいい」
「で、でも、さ……」
「……なんで、彩音は、平気、なの? 美咲が、いなくなっちゃう、のに……」
「べ、別に二度と会えなくなる、わけじゃ……メールも電話も、できるんだし……」
こんなこと自分を納得させる言い訳だって、知ってる。だって
「……そんなの、意味ない。直接、会えなきゃやだ」
その通りなんだもん。メールや電話なんてどうしても制限される。会って、生の声が聞けて、話せて、触れて。だから、なによりも嬉しいのに。メールや電話なんかじゃ本当の気持ちが伝えられない。
(……美咲)
大人だ子供だって関係ない。大切な人との別れを割り切れるわけ、ない!
「……平気な、わけ、ない、じゃん」
気付けばあたしも美咲を抱きしめていた。
「ちょ、彩音まで……」
「美咲!!」
嫌、やだ。やっぱり割り切れなんかしない。昨日、泣いて手を繋いで。あれだけ美咲を感じても自分の本当の気持ちを偽ることなんてできない。
ゆめや美咲の言うとおり、ずっと一緒にいたい。毎日でも会いたい。好きな人とずっと一緒にいたい。
「っく、み、さき……みさき」
「……みさき、やだ」
二人して涙を流しながら力いっぱい美咲を抱きしめる。どこにもいかせないために。
やわらかくて暖かくて、いい匂いがして、赤ちゃんの頃からずっと感じていた美咲のぬくもり。
離したくなんかない、離せるわけがない。
「ふ、二人とも、痛いってば……」
美咲の声も、体も震えて、
「まったく、二人とも、子供なんだから……泣いてるんじゃない、わよ」
美咲も涙を流し始めた。
「彩音、ゆめ……」
あたしたちに抱かれてるせいであたしたちを抱き返すことはできない。でも、まるで言葉で包みこんでくれるような気がした。
「ふふ……もう、ほんと二人とも……」
抱きついているあたしには見えないけど、美咲は泣いているところから一瞬、口元をほころばせた。
「……………」
そうして、美咲だけがしばらく無言になる。
その間もあたしとゆめは嗚咽を漏らし続けてた。
「……大好き」
美咲がポツリとそう漏らす。
「っ、美咲」
「……みさ、き」
それを皮切りにあたしたちは身を寄せ合いながら互いへの想いをもらし続けた。
ひとしきり泣いたあと、あたしたちは三人で身を寄せ合っていた。
「ね、二人ともさ」
「ん?」
「……なに、彩音?」
「なんで、世界にはあたしたち三人だけじゃないんだろうね」
「そうね、それだけでいいのにね」
「……二人がいれば、なんにも、いらない」
「そう、よね。私もそれが、一番……」
「美咲? 何かいった?」
「ううん、なんでもないわ。また、今日も【いつも】で【特別】な思い出が出来たなって」
「三人でいられるってだけで特別だからね」
「そ。そういうこと」
「……二人の世界は、駄目」
「はいはい」
「ごめんね、ゆめ」
私たちは三人で互いのぬくもりを感じながら、この残り少ない、何より愛しい時間の中を過ごしていった。