せつな先輩の返事はそれから三日ほどたってからだった。
休日前の夜。その日は別に何か特別な日だったわけではなくて、お風呂に入った後何もすることなく過ごしていた時間の中。
コンコン。
少し控えめなノックが聞こえて、陽菜が「はーい」と返事をすると
「あ………」
開いたドアから涼しい顔をしたせつな先輩が入ってきて、テーブルで本を読んでいた私はようやくそこで顔をあげた。
「渚」
「………せん、ぱい」
私が少し驚いてしまうほどにせつな先輩の声は緊張に満ちている。
「時間、いい?」
「……はい」
「あ、じゃあ、私は」
陽菜もそのただならぬ雰囲気を察して部屋を出て行こうとしたけど、それをせつな先輩が止める。
「いいわ。私たちが出ていくから」
「あ、はい……」
「渚、来て」
「はい」
私は呼んでいた本を閉じると早足にせつな先輩とともに部屋を出ていく。
「……こっち」
さっきからせつな先輩は言葉少な。必要最低限のことしか言わずに用件を伝えている。
それはつまりせつな先輩も緊張しているということ。これからする話に、もしかしたら怯えてすらいるような、そんな感じがした。
恋人である私がそう感じるということは、おそらくそれは的外れではない。そのくらいはわかる。
繰り返すけれど、恋人、なんだから。
「……ん」
どこにいくのか、もしかしたらまた屋上にでも行くのかと思っていたけれど、足が止まったのはせつな先輩の部屋の前だった。
「涼香には……出てってもらってる」
言いながら、私に顔を向けてくれることなくせつな先輩は部屋の中に入っていく。
続いて部屋に入っていった私はなぜか部屋を見回した。
内装も家具も一緒で私の部屋と同じ部屋なはずなのに、全然違うように感じる。
それは、三年近くここでせつな先輩と友原先輩が過ごした時間があるから。だから、この寮の部屋は全部同じでも、全部が違う。
「座って」
「はい」
促されるまま私はテーブルの前に腰を下ろすと、せつな先輩も正面に座る。そのまま、ポットを取ってお茶、紅茶を淹れ始めた。
「あ、私が……」
と、手を伸ばそうとすると
「私にさせて」
深い感情を感じさせる瞳でそう訴えかけた。
コポコポ。
紅茶をカップに注ぐ音がして、間もなく部屋の中が香しい香りで満たされる。
(………?)
せつな先輩はよく紅茶を淹れてくれるけど、これは初めての香りなような……?
「はい」
「ありがとう、ございます」
乳白色で光沢のあるカップになみなみと注がれた紅茶。差し出されたそれを受け取る際、一瞬せつな先輩と目があった。
(あの、目………)
この前……そして、ずっと前にしていたあの目。
友原先輩への恋の目。
ここに連れてこられたことそれにどんな意味があるのかなんてわからない。
けれど、せつな先輩は私に本気で向かって来てくれている。それが、わかる。それだけは、わかる。
それに気づいて体に震えが走り、それを沈めるためにも受け取った紅茶を一口飲む。
「んく……」
苦みの中にある甘味。鼻を衝き抜けていくさわやかな香り。
乾いたくちびると喉を潤してくれるそれは味も初めてのものだったけれど、とてもおいしく感じられた。
「おいしい?」
「はい、とても」
「……………そう」
なぜか沈黙を挟んで何かを噛みしめるようにうなづくせつな先輩。
「………これが、私の初めての味なの」
「え?」
何、言って? どういう、意味?
私は、唐突に意味の通じないことを口にするせつな先輩に首を傾げ、次の瞬間にはそれどころではなくなった。
「私の、初めての……キスの味」