紅茶の芳醇な香り、柔らかく張りのある唇。

 それが、私の初めてのキス。

「なぎ、さ……?」

 せつな先輩の呆然とした声が響く。まるで現実感を感じさせない声。でも、驚いたままの表情で私に顔を向けてくれた。

 潤んだ瞳に、驚きのあまり閉じられない唇で私を見つめてくれている。

「おそろい、ですね」

 そんな姿に私はこんなことを言っていた。

「え?」

「初めてのキスの味、です」

「っ…………」

 そこでようやくせつな先輩は私になにをされたのか理解したのかおずおずと自らの唇に触れた。

「あ…う……」

 何かを言おうとしているのだと思う。でも、心の中でそれが絡まって声にならない。そういう気持ちはわかる。

「せつな先輩、好きです」

 だから、私はそんな先輩を置いて前に進んだ。

「大好きです」

 まっすぐに目を見て、手を包み込んで、私は心の中にある一番大きな想いを伝えた。

 きっと、せつな先輩が今一番言ってもらいたくない言葉を。

「やめ、てよ……」

 それはきっと事実でせつな先輩はまたうつむいて、今度は涙を流した。

「やめませんよ。私は貴女が大好きなんですから」

「やめて!」

 手を振り払われた。

「今! いま、そんなこと言われて……キス、なんかされて、嬉しいって思う!? そんな言葉を信じられるって思うの!?」

 涙を振りまきながら、肩を揺らしてせつな先輩は叫ぶ。

 それはせつな先輩から事実だろう。

 あんな話をした後にキスをされて、好きだなんて言われても嬉しいはずがない。

 私の気持ちなんか関係なくさせた、言わせたとしか思えるはずがない。

 でも、

「知りませんね。そんなことは」

 私は落ち着いた口調でそう言っていた。

「っ…………」

「初めて先輩にちゃんと告白したとき、言いましたよね。私にできることなんて限度があるんです。私がいくら先輩を想っても、それを信じるかは先輩次第なんです。私にできるのは好きだって信じてもらえるように気持ちを伝えるだけ。だから………」

 肩を抱く。甘く柔らかな肢体に体を寄せ、頬に手を添えてこちらを向かせた。

「なぎ……さ」

 目を閉じて、今度はゆっくり近づいていく。

 拒絶しようと思えば、させていると思うのなら簡単に止めることも避けることもできる速度で。

「んっ………」

 けれどそのまま私はそのまま二度目のキスをできていた。

 今度も短なキス。

 数秒も経たず唇を離して私は

「何度でも伝えますよ。私の好きっていう気持ち」

 この場に似つかわしくない強気な笑顔になった。

「なぎ、さ…………なぎさ」

 きっと自分でも何を言おうとしているかわかっていない。でも、呼ばずにはいられない。

 せつな先輩の心はきっとそんなところ。

「せつな先輩? 先輩は、私にとんでもなくひどいことをしたって思ってるみたいですけど。ううん、ひどいことですね。いくら恋人相手だからって勝手にキスしようとするなんて」

 最初のキスをした瞬間から私の心には泉から溢れだすように気持ちが形になっていく。

 その素直な気持ちがせつな先輩にとって心地いい言葉にはならないかもしれない。でも、きっと二人の未来にとっては必要なこと。

「びっくりしましたけど、すごく戸惑いましたけど……今は嬉しいって思いますよ。友原先輩とのことを聞いたから、嬉しいって思います」

「なに、それ……勝手なこと、言わないでよ」

 乾いた声で反論をしてくる。立場からしたら当たり前の言葉。

 だが、それがどうした。

「傷ついたんですよね。死ぬほど後悔したんですよね。でも、私にしようとしたんですよね」

 気持ちがわかるなんて傲慢なことは言わない。ただ、私は言いたいことを言う。

「私のことが好きだから」

「っ!!」

「キスするなんて怖かったはずなのに、それが原因でまた後悔することになるかもしれないのに。それだけ、キスの重さを知ってるのに。それでも私のことを好きだから、キスをしたいって思ってくれたんですよね」

「そ、れは………」

「反論できますか? できませんよね」

 ううん。させない。

 私のことを好きじゃないなんて言わせない。私はこんなにもせつな先輩が好きなんだから。

「友原先輩とそんなことがあったんです。私にキスをするなんて、簡単なことじゃないんでしょう。ううん、というかできないですよね」

 私にしようとしていたけど、あれはきっとするつもりなんてなかったはず。できるわけはなかったはず。

「そんな勇気なんてあるわけない。友原先輩とのことは私なんかが想像できるような重さじゃないってそれくらいはわかりますよ」

 まして、私は最初からそういうことから逃げていたもの。

「でも、だからなんなんですか」

 今から口にすること。それは言っていいことではないのかもしれない。

「私は……」

けど、言わせてもらう。

 

「私は友原涼香じゃない」

 

 それが深い闇に沈むせつな先輩を照らす光になるのなら。

「――っ!!?」

「私は水谷渚。貴女を想う、貴女が想う、貴女の恋人です」

「っ、なぎ、さ………」

 涙が浮かんでいる。力なくくすんでいた瞳にきらきらとした涙が浮かんでいる。

 私も体も心も熱い。客観的にみたらものすごく恥ずかしいだろうし、不躾でもある。けれど、せつな先輩のためならなんだってしてみせる。

「見るのは、友原先輩との過去じゃない。私との未来です」

 私はせつな先輩へ手を伸ばした。

「…………」

 その手をおずおずとせつな先輩が取る。

 私は強くそれを握って、見つめる。

 綺麗でかっこよくて、でも弱くて儚いその顔を。

「だから、ください」

 そして私は想いを言葉にする。

「先輩の気持ちを」

 それだけでは伝えきれない想いを求めて。

「言葉じゃない方法で」

 私はゆっくり目を閉じた。

 

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