「……………」

 静かな車の駆動音に、心地いい振動。

 冬の寒さの中でも窓から暖かな日差しをもたらす空は、私の心と異なり透き通っている。

「………………」

 そんな街へと向かうバスの中でせつな先輩は私と並んで座りながらも、ずっと窓の外ばかりを見つめていた。

 いつも凛とした雰囲気を感じさせる横顔は、どこか寂しそうで、懐かしそうで、少なくとも私のことを考えているのではないことはわかった。

(……やっぱり、【今日】に何かがあるのかしら?)

 今日せつな先輩は朝からこんな調子だった。

 言われたとおりに学校を休んだ私は、約束の時間に待ち合わせ場所である寮の入り口に向かった。

 時間は少し早かったけれど、せつな先輩はもうそこにいて、学校をサボるっていうのに制服に深い青のコートという姿で、私服姿の私を出迎えた。

 私がお待たせしましたというと、せつな先輩は少しの間じっと私を見つめると小さく、「行くわよ」と歩き出してしまった。

 話しかけられる雰囲気でないということや、なにより先輩の口から今日のことについて説明して欲しかった私はこちらからは何も聞くことなく、先輩の背中を追いかけていき

「……………」

 今に至る。

 無言で外を見つめるせつな先輩。

 見ているのは外の風景ではなく、心の中にある何かだろう。

(誘ったんだから、私を見てくださいよ)

 などとは口が裂けてもいえるはずもなく、また、そんなガラでもなく私は自分のすべきこともわからずに先輩の隣にいることしかできなかった。

「…………渚」

「っ!? はい」

「今日は、付き合ってくれてありがとう」

「何を、言ってるんですか? いきなり」

「言っておきたかったの。学校休ませちゃったし、あなたには色々気を使わせてるだろうから」

 顔を背けたまま急に話しかけてきたかと思えばらしくないことを口にする。

 なんなのだろう。

 何がせつな先輩をそうさせているのだろう。

「……………」

 知りたい気持ちは昨日からある。けれど、それを私はせつな先輩のほうからして欲しいと思っていた。

(……でも、それは違うのかしら?)

 恋によりいつのまにかに少し臆病になっていた私。聞きたいという気持ちはあっても、それを拒絶されることの痛みに臆してしまっているのかもしれない。

 でも、私なら

「………すぅ……」

 せつな先輩に気づかれないよう、心を落ち着かせるためにひとつ深呼吸をした私は

「渚」

「っ!?」

 はばかれることを問おうとした瞬間に逆に名を呼ばれてしまった。

「……後で、ちゃんと話すわ。【今日】のこと」

「っ!? は、い」

 ちょうど聞こうと思っていたことを、計ったように制されてしまったが、せつな先輩が私が気にしていることに気づいてくれたことと、話してくれるという言葉を今は単純に嬉しく思うのだった。



 やっぱり、今日一日せつな先輩の様子はおかしかった。

 訪れた場所も理由のよくわからないところばかりだ。

 駅を訪れては、電車に乗るわけでもなく駅舎の周りをふらついたり、美容室の前まで来たかと思えば、入るわけでもなく店の中を見つめるだけだったり。

 ある公園に行ったかと思えば、見晴らしのよい高台で、ちょうど見ることのできる天原の校舎を見つめたり。

 それもほとんど無言で、顔には常にせつなそうな色が浮かんでいた。

 私ではない何かを思っている。

(……何か?)

 その理由をわかってるくせに、はっきりとした言葉にしたくないんでしょ? 臆病になったものね。

(……友原先輩のこと、か)

 初めから答えの出ていた自問をした私は、初めから用意していた答えに胸を痛める。

 せつな先輩がこんな顔をするとき、それは恋を思っているときだ。

 終わってしまった恋。

 友原先輩への恋を思っているときだ。

 二人きりで話すときですら、こうして私ではなく友原先輩を見つめることがあった。

 【今日】が何か特別な日であるのなら、友原先輩のことを想うのは当たり前なのかもしれない。

「………せつな、先輩」

 それほど車の通りの多くない交差点。

 近くにはバス停もあって、もしかしたら帰るのかとも思ったけれど。

「……………」

 せつな先輩は黙ってある交差点を見つめているだけだった。

(……私は、何をしているのかしら?)

 恋は人を強くすると誰かに聞いたことがある。

 もちろん、すべての人にあてはまるというわけではないのだろうが少なくても私には当てはまらない。

 それどこか

「……先輩」

 弱くなっている。

 初めて二人で出かけたというのに、好きな人が見つめているのは私ではない。それを不満に思ってしまう。いや、不安に思ってしまう。

 以前の私ならためらいもせずそれを口にできただろうに。

 だが、それもしかたないのかもしれない。何せ、好きな人が私の目の前で思っているのは、以前に恋をしていた人だ。

(……以前?)

 今も、か。

 きっと今も、恋をしているのよね。友原先輩に。



「私の一番は涼香、なのよ。少なくても今は。これからだって、きっと。私はそうしたい。涼香のことを思う気持ちが小さくなってるってわかっても、そうしたいの」



 私たちの関係が始まった日せつな先輩が言っていた言葉だ。

 私はそれを受け入れていたし、その覚悟だってあったつもりだ。

 なのに。

「せ……」

 せつな先輩が見つめている何かから先輩を呼び戻そうとした私は、その寸前で思いとどまる。

(話してくれるっていったんだから)

 それを信じなくては。好きな人を信じられないようでは、恋をする資格などない。

 結局理屈で考えようとするのはまだ私が恋をわかっていない証拠なのかもしれないが、やっぱり信じなくては始まらないと思う。

「…………ぎさ」

 自分ひとりのことではないのだから。

「渚? どうかした?」

「っ!?」

 いつの間にか視界を覆っていた、長く美しい髪と吸い込まれそうな綺麗な瞳。せつな先輩が私の顔を覗き込んでいたらしい。

「いえ、何でもありません」

 私は穏やかではない心中を隠し、何事もなかったかのようにそう告げると風に揺れる髪を抑えて先輩から顔を背けた。

「そう。ねぇ、お茶でもしない?」

「え?」

「奢るわ」

 今日はこんなのばっかりだ。唐突に、次にすること、行くところを口にする。

 次に行きたい場所も、これまで訪れた場所も、せつな先輩の気持ちが、今のせつな先輩を作ってきた想いが宿る場所などしるわけもなく、ここでも理由もわからずに私はうなづくしかなかった。


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