図書室を出た私たちは、当てもなく廊下を歩いていって校舎を出て行った。 外へ出た先輩は少し頬をほころばせ空を見上げる。 その仕草の意味がわからず、私は隣に立ったままそんな先輩を見つめるだけ。 (何が、嬉しいのかしら?) まるでわからなく、私はそれがどことなく面白くなくて少しむすっとなってから今度は不意に不安になった。 結局、どうなのかということを答えてもらってはいない。この先輩の反応も恋になれたものならわかるのかもしれないが、私にはまるで及びつかない。 これが、せつな先輩のことでなければ冷静に分析を出来る自信はあるけれど、せつな先輩のことをなってしまうとそれをできる自信は、ない。 (……私がこんな、だから先輩は、何もしてこないのかしら?) 何も知らない子供だから。 私は、先輩と付き合ってはいても、恋人ではないのかもしれない。 「……渚」 私が一人で勝手に落ち込んでいると、先輩は少し呆れたように私のことを呼んだ。 「……はい、何でしょうか」 「なんだか、また可愛いこと考えてそうね」 「い、いきなり、わけのわからないこと言わないでください」 「私とキスがしたいとでも、考えてたんじゃない?」 「なっ!!?」 少しいたずらっぽく笑う先輩は今までほとんどみたことのないものだったけれど、心から楽しそうにしているような笑顔だった。 「ふふふ、冗談よ」 「……む、ぅ」 そんな姿に私は一瞬で毒気を抜かれてしまう。 「にしても、変われば変わるものね。あの渚がこんなこと言うようになるなんて」 「別に、いいじゃないですか」 「恋人としてどうか、なんて中々真正面から聞けないものじゃない。それに、取り方によってはあっちの意味にもとれちゃうし」 「あっち………っ!!!?」 いくら恋に鈍感でも、年頃の乙女でもある私はせつな先輩がいったあっちの意味を察して顔を突沸させてしまった。 「な、ななな、そ、そんなわけないじゃないですか!! な、何考えているんですか!!」 「冗談よ。冗談。でも、渚ってばほんと可愛いわね」 なんだかこの短時間に言われた可愛いはバカにされているような気がして、少しむっとした。 「けど、渚もそういうこと考えるのね」 「だ、だから、そんなことは」 「キスのことよ」 「あ、う………」 湯気が出そうなくらい、恥ずかしくて、ほんとこんなの私じゃないみたいだ。まぁ、驚きはしても不快には感じないけれど。 「べ、別に、したいなどとは思っていません。……まぁ、先輩がどうしてもというのであれば……考えないでも、ない、ですが」 「私がしたいって言えば、させてくれるの?」 「っ……ど、どうしても、というのであれば、です」 自分があまりにもバカなことを言ってしまっている気がして私は頬が染まるのを止められず、先輩の顔を見つめることもできなかった。 「そう。じゃあ……」 「え?」 先輩は小さくつぶやくと私の腕を取り、自分のほうへと引っ張った。 「あ………」 その反動で思わず、先輩を見つめてしまい、もう目が離せなくなる。そして、取られた腕と逆の腕では手を繋がれてしまっている。 ドクンドクンドクン。 一瞬で心臓が早鐘を打ち始める。 「渚」 先輩の甘い声。 先輩が何をしようとしているか、わかってしまう。 あの屋上での一件と同じ、こと。 (キス………) う、嘘! こんな、こんな簡単に。 (だ、め……) だけ、ど…… さっき、言ってしまった。いいって、させてあげると。いや、そういう問題ではなく、今ここでだめなどといってしまえば、それはやはり先輩を傷つけることになるのではないだろうか。 仮にも付き合っている相手からの口付けを拒絶することは……… 「………?」 先輩の鼓動とぬくもりを感じながら頭の中では色々考えながらも無意識に目を閉じてしまっていた私は予想していた衝撃が訪れないことに、恐る恐る目を開けてみた。 「?」 と、先輩はなんというか癇に障る顔をしていた。余裕の笑みというか、私をバカにしているというか、そんな年上を感じさせる笑顔。 「な、何なんですか」 「渚がまた、面白いこと考えてそうだなと思って」 「そ、そんなことは考えていません」 「キスされるのは嫌だけど、言った手前自分からは断れないし、どうしよう。とか考えてたんじゃない?」 「なっ……」 ほとんどそのまま心の中を見透かされてしまい、私はさっきまでとは違った意味で顔を赤くする。 い、今まで考えていることを見抜かれるなんて屈辱ほとんどなかったのに。 「ち、違いますよ」 私はそれが妙に不快で、思わず反論を述べてしまう。 「嫌……ということは、ないです。恥ずかしいとは、思いましたけど」 また、先輩を喜ばせてしまうようなことを。 「…………ふ、ふふ、……ふふふ」 「せ、先輩?」 それまで私を見つめていた先輩が耐えられなくなったといわんばかりに私から顔を背け、体も離した。 「どう、したんですか?」 顔をそらしてはいるものの、もれる笑い声はどう聞いても嬉しそうといったもので、それが逆に私を不安、というよりも面白くなくさせる。 「ふ、ふふ……たいした、ことじゃない、わよ」 「……だったら、そんな人をバカにしたように笑わないでください」 「ふ、ふふ。そ、んなんじゃないわよ。ただ……」 「ただ、なんですか」 「…………私は幸せだなって思ったのよ。こんな可愛い恋人がいて」 「っ………」 恋人。 自然にそういわれてしまうのは、こそばゆくて、恥ずかしくて、やっぱり…… (……私……こんな簡単な人間だったの?) 嬉しいと思ってしまう。 幸せそうに笑う先輩を見ながら、反対に私はむっととしてしまうが心ではそんなことを思っていた。 しばらくすると先輩は嬉しそうにはしたまま笑うのだけはやめてもう一度私に向き直る。 「渚。一つ言っておくけど、無理する必要はないわ」 「?」 「周りがどうとか、普通ならとか、そういうのはいらない。あなたが準備できたら、受けれてくれればいい。私だけが望んでも仕方ないのよ。渚の気持ちが欲しいんだから」 「…………」 的確に昨日からの私の悩みを包んでくれるような言葉だった。昨日のことを話したわけでもないのに、私の気持ちを汲んでくれる。 それが、先輩にはできる。 「私たちは私たちのペースで進んでいけばいいのよ。一歩ずつね」 (……幸せなのは、私も同じだ) 先輩と同じことを思える、それもまた幸せだと思って 「っ? 渚」 「帰りましょうか」 付き合い始めてから初めて、自分から先輩の手を握り幸せをかみ締めるのだった。