「……ふぅ」
気まずさもあった私は話をそこそこに切り上げ部屋に戻っていった。
陽菜は部屋にいなくて、私はテーブルの前に腰を下ろしながらため息をつく。
「……………まったく」
目の前には今の状況を作り出すことになった本が置いてある。
「……………」
読むのではなく、パラパラとめくると
「っ………」
一瞬見えた挿絵に手が止まる。
それはキスシーンだった。背の高く綺麗な髪の女性が小柄な女の子の頬に手を添え、口づけを交わしている。陽菜から借りる小説には大抵こういったシーンがある。そのたび私は、思わず赤面しながら読み進めてしまうが、今は、それにどう反応していいのかわからず表情を曇らせた。
「キス、か………」
無意識に唇をなぞる。
暖かくぷにぷにとした唇。自分のものということもあって、別段何かを思うことはない。人の唇なんて触ったことはないし、これが触れ合うという感覚は想像できなかった。
(………ほっぺには、された、けど)
その時の感覚ももううろ覚えでしかない。
(………もう、半年以上付き合ってるのよね)
いつだったか、同学年の集まりに参加したときには、その一か月でキスをしてもおかしくないといっていた。
さすがに、それはどうかと思うけれど半年も付き合ってキスしないというのは、特殊なのかもしれない。
手はつなげるけれど、それだってせつな先輩からがほとんどだし、私からはたまにしかない。
まして、キスをするのなんて………
「……………」
恥ずかしいのはもちろん想像ができなかった。
「…………キス、か」
閉じられないままのページを開いたまま私は同じことをつぶやいて
「あれ? なぎちゃん?」
ドアを開けて入ってきた親友に思考を中断される。
「せつな先輩と約束があるって言ってなかったっけ?」
「せ、せつな先輩は、ちょっと用事ができたっていうから」
間接的には陽菜のせいで逃げるきっかけとなったのだが、それを口にするわけにもいかない。それにそれは八つ当たりに等しいものだろうし。
「ふーん?」
陽菜にはそれが本当か嘘かなんて確かめるすべはないから、特に反応は示さずに私に近づいてくると、
「あ、それどう?」
開かれていた本に注目されてしまった。
「ま、まぁ、つまらなくはないわ」
「そう。よかったー、あ、そこ私好きなんだー」
「え?」
「やっぱり、キスって憧れるよねー」
「そ、そうね」
陽菜が相手だろうと、やっぱり私はこういう話は得意ではなくて反射的に本を閉じた。
けれど、さっきのせつな先輩との会話と陽菜が来る前にしていた思考が頭に入ってきて
「……ね、ねぇ、陽菜」
普段なら絶対に聞かないようなことを聞いてしまう。
「陽菜は、その……キス、したこと、あるの?」
「え?」
陽菜が調子の外れた声を出すのを聞いて、しまったと思う。私がこんなことを聞くなんて……やっぱり、変だ。
「うーん、と……まぁ、一応、ね」
「え!?」
しかも、陽菜からそんな答えが来るとは思ってなかった私は、さっきの陽菜よりも調子の外れた声を出してしまった。
(ひ、ひな……陽菜、が?)
子供っぽいところは多いし、こんな小説ばかり読んでるし、そういう話だって全然聞かないのに。まぁ、なんか下級生とは仲がいいみたいだけれど、でも、陽菜が……
私のほうが、いろんな意味で【子供】というのはわかっていたつもりだけれど、でも……
そんなこと全然考えられなかった。陽菜が誰かとキスをする、なんて……そんなの……
(も、もしかしたら、キス、だけじゃなくて……)
直接そういうシーンがあるのは読まされたことはないけど、そういうのをほうふつさせるようなものはいくつも、あったし……で、でも、まさか、陽菜が。
「あはは、なぎちゃん何か勘違いしてるみたいだけど、なぎちゃんが考えてるようなことはないと思うよ?」
「え?」
「キスっていっても、んー、なんていうかな、お遊びみたいなっていうか」
「あ、遊び……」
そ、そんな気持ちでキスをする、なんて……
だ、だって、キ、キスよ!?
「そ、そんな、簡単にキス、なんて、す、するものじゃないでしょ」
陽菜に限らず他の人の話を聞く限り、私は【乙女】なのだという正直言って劣等感のようなものを持っている。だから、またそれを思い知らされるんじゃと多少怖くもあったが、キスをそんな風に言われ、口を出さずにはいられなかった。
「んー、まぁ、小学生のころだったしね」
「しょ、小学生!?」
陽菜は別段恥ずかしがるわけでも、赤面するわけでもなく、ただ懐かしげに振り返っているようで、それもまた私には理解できないことだった。
「だから、そんなに驚くようなキスじゃないってば。小学生のころね、宿泊学習の時って、なんかそういう話するでしょ」
「え、あ……ま、まぁ、そう、かしら?」
そういう時は、さっさと寝てしまう人間だったので実際にはわからないけれど。
「それで、キスってどんなかなーって話になって、じゃあ、してみよかっていうことで」
「し、したの? それで、キス……」
「まぁ、子供だったしねぇ。でも、一応、ね」
「そ、そう……」
確かに、想像したのとは全然違った。ただ、実際にキスをしているのと、それにそのころからそういう話を避けていた私にとっては十二分に衝撃的な話だった。
(陽菜ですら、小学生の時にキスしてるのに……)
私は、この年になり、付き合っている人がいて、付き合ってから半年も経っていて……
「……………なぎちゃん?」
別に、それは何も悪いことではないはず。それは自分でも思っているけれど、
(……けれど)
そう心で続けてしまうのも事実だった。
「なぎちゃん、せつな先輩とキスできてないの気にしてるの?」
「っ!! な、ななななな!」
こういうことに関してはいちいちネガティブな私に陽菜はいきなりとんでもないことを聞いてきて、一気に頬が真っ赤に染まる。
まだ、キスをしていないというのはばれてはいるのはわかっていたけれど、面と向かって言われるとこうなってしまう。
それはやっぱり私がまだまだ子供で、恋人ということも恋愛ということもわかっていないのだと思い知らされるから。
「べ、別に、気にしてなんかないわよ。せつな先輩が待ってくれてるのはわかってるし、先輩は、そんな義務感、みたいなのを望んでるわけじゃないんだし……」
言いながら、義務感のようなものを持っているのは自分だと嘲る。せつな先輩は待っててくれるといっているのに、私は、こうして恋人だから、付き合っているから、半年以上もたったからと思っている。
「そう?」
「そ、そうよ! 別に、キスしなきゃ恋人じゃないなんてこと、ないでしょ!」
「それは、もちろんそうだろうけど……」
「でしょ。だから、別に気にしてなんかないの!」
語気を強めてしまうのが自分でもそれを言い聞かせているからだと、思い知らされて、それが余計に私に強情な態度を取らせた。
「…………〜〜〜」
自分で自分がおかしいとわかるのは、あんまりおもしろいことではなく、理由のはっきりしない羞恥心が私を焦がす。
「……あのね、なぎちゃん。思うんだけど」
その羞恥心に堪えられなくなっていた私はまだ陽菜が何かを言おうとしているのにもかかわらず、いや、何かを言おうとしているからこそ、
「とにかく、もう、いい、でしょ……それは……」
力のない声でそれを遮った。
「……………うん、なぎちゃんがそういうなら」
陽菜は明らかにまだ何かを言いたげではあった。
でも、それを言わなかったのは陽菜もまた何かを決めきれていないことだということに私は気づくはずもなく、この場は微妙な沈黙が訪れてしまうだけとなった。
そしてこの話の続きを意外な場所でしてしまうことになる。