「渚。改めて、卒業おめでとう」
卒業式を終えて講堂から外に出た私は人波の中、すぐに会いたかった人を見かけて駆け寄っていった。
「はい、ありがとうございます」
卒業証書の筒を大事に抱えせつなさんへと屈託のない顔で御礼を述べる。
せつなさんはそんなわたしのことをじぃっと見つめてくると
「目、赤いわね」
「っ……いきなりそれですか」
どこかはしゃいだように言ってくるせつなさんに頬を膨らませて返す。
「ふふ、ごめんなさい。渚も泣いたんだなって」
「泣いても不思議ではないでしょう。ここには……いろんな思い出がありすぎるんですから」
声に切ない感情が乗る。
涙を流すことで多少は雲散したはずの気持ちが再び胸の裡に湧き、心が切なさを抱く。
「……そうね」
せつなさんも自分の時のことを思い出したのかかみしめるように頷き、私の頭を撫でた。
いつもであれば子ども扱いされているようで少し不満に感じることもあるけれど、今は悪くない気分でその手の心地よさにそっと瞳を閉じてせつなさんへと心を委ねた。
暖かな日差しと、春を感じさせる風を受けながら私はすでに充足感を得るけれど、これだけでは物足りない。
「せつなさん」
私は一歩後ろに下がってからせつなさんの手を取る。
「ん?」
そのまま指を絡めていき、体を寄せた。
(……せつなさんの匂い)
甘くて優しくて……幸せ。
好きな人を感じられることが嬉しくてぎゅっと握る手に力を込める。
「少し歩きませんか? 一緒に見て回りたいんです」
「もちろん」
そうして私は大好きな学院を大好きな人と一緒に歩くのだった。
手をつないだまま私たちは校舎の中を巡った。せつなさんが知らない三年生の私の教室とかせつなさんが三年生の時にいた席とか。よく一緒にお昼を食べた学食や、中庭とか。校舎の中ではそのあたりが思い出の多い場所ではあったけれど、こうして歩いてみるといろんなところに思い出がある。
調理実習でせつなさんへとお菓子を作った家庭科室や、半年だけ一緒の委員会をした特別教室。三年生と二年生の階をつなぐ階段の踊り場。
意識はしてなかった場所にも当たり前のようにせつなさんとの思い出はあって、話は尽きない。その話の中、私は笑顔だけれど胸の中には上手くいえない気持ちが渦巻いている。せつなさんとこの場所を歩けるのは嬉しい。でも……去来するせつなさには抗えない。
(涙も出そうだったけれど……あれじゃあね)
すでに校舎を離れた私は数分前のことを思い出し苦笑する。
校舎の中には私たちと同じように思い出を巡っている子たちも多くて、なんというか……にぎやかだった。
まぁ、涙を流して別れを惜しんでいる子も見かけたけれど私は人前でああはなれないって思う。
だから私たちが向かっているのは人前ではなくなれる場所。
この学院でもっとも思い出がある場所。
「渚とまたここを歩けるなんてね」
学院から寮へと向かう並木道を歩きながら、ずっと手を握ったまま隣を歩くせつなさんは感慨深げに言う。
「私は嬉しいです。だってせつなさんが来てくれるなんて思ってなかったから」
「渚が来てほしいって言ったんだもの。来るに決まっているでしょ。それに、私も渚がいなくなる前に一緒にここを見ておきたかったから」
「……はい」
同じように考えてくれていたということが嬉しくて私はせつなさんへと体を寄せた。
「桜でも咲いてればもっと絵になったんでしょうけどね」
「確かにそうですけど、そんなのがなくなって私はせつなさんとまたこの道を歩けたことを嬉しく思うし、二人で見た世界を絶対に忘れないです」
「渚……」
喜色の混じった声。それが嬉しい。
恥ずかしいことを言ってしまった自覚はあるけれど、せつなさんが喜んでくれるのなら悪くない。
そんな今、この時しかない会話をしながら普通なら十分もかからない道をゆっくりと歩いて行った。
「…………」
寮につくと外から建物を二人で見上げた。
屋上付きで地上四階、地下一階の木造の建物。私たちが生まれる前からここにたたずむその建物はところどころに年季を感じさせる。
(……三年間ここで過ごしたんだなぁ)
改めてそう思った。再び卒業式の様な気持ちになって涙が出そうになったけれど私は軽く首を振ると行きましょうとせつなさんへ声をかけた。
寮にこそ二人の思い出はいくらでもあるけれど、私たちはまっすぐにある場所を目指した。
一つ一つを見て回るよりもその場所が卒業をする私たちにとって一番の場所の様な気がしたから。
手をつないだまま私たちは少し早歩きになって階段を上がっていって………
「んっ……」
屋上へと足を踏み入れた。
私たちには思い出深い場所。恋人になった場所だから。
「ここから見える景色は変わらないわね」
せつなさんは言いながら屋上のフェンスまで歩いていく。
ここから見える変わらない景色。学校が見えて、山を下りた先に街が見えて、遠くには周りを囲む山々。
春らしい暖かな風と、それに揺れる青々とした木々。
誰もが琴線に触れる景色というほどは言わないけれど、私たちには何より心に触れる景色だった。
「この景色を見られるのも最後なのかしらね」
「かもしれませんね」
私に背を向けたままのせつなさんの隣に歩を進め言葉に頷く。
「それだけじゃなくて、もう天原に来る理由だってなくなっちゃうのよね。私も渚も卒業してここには来る理由がなくなっちゃうから」
「…………」
「だから、今この瞬間が私の天原での最後の思い出」
そう語るせつなさんの横顔は寂しそうではあっても悲観は見られない。それどころか凛々しく前を向いていて、気高ささえ感じた。
「けど、それでいいって思うわ。ここは私と渚を出会わせてくれた大切な場所だけど、私たちはここだけの関係じゃないんだから」
「あ……」
私は正直言って、寂しさや悲しみの方が強かったけれどせつなさんのその言葉にようやくせつなさんの言いたいことを察した。
「私はねこの場所を……私と貴女が始まったこの場所での最後の思い出を寂しさじゃなくて喜びで埋めたいの。ここから貴女と新しいスタートを切りたい」
だから、と続けせつなさんはバックから小さな箱を取り出すとそれを開けて
「受け取ってくれる?」
「わ、ぁ……」
そこにあったのは可愛らしいレースの入ったペアリング。
「もちろんですよ。せつなさんからのプレゼントを……っ!!」
言葉の途中だったけれどせつなさんの言葉に私は固まってしまった。
せつなさんは私が了承した瞬間に私の左手を取って……
「……ん。似合ってる」
薬指にペアリングをはめた。
「あ……の」
数拍おいてから顔が真っ赤に染まり、混乱した頭でどうにかそれだけを声にした。
「渚からもして」
せつなさんは多分あえて私が欲しい答えはくれずに左手を差し出す。
「……………はい」
混乱はしている。どう受け取っていいのか迷ってる自分もいる。でも私は吸い寄せられるようにリングを手に取るとせつなさんの綺麗な手に触れて、薬指に指輪をはめた。
「どう?」
「とても、よく似合って、います」
どこかまだ現実感がなくて私は呆然とそう言うとせつなさんはありがとうとほほ笑んだ。
「私たちにはまだ早いのかもしれないし、こんなアクセサリー屋さんで買えるようなものじゃなくてちゃんとしたものじゃないとだめなのかもしれない。でも、これが私の気持ちなの。この場所で最後の思い出と、新しい渚との関係を始めるための、そのための私の気持ち」
「……ふ……ふふ、そういうのは渡す前に言うべきですよ」
プロポーズに等しい行為を受け入れながら私は瞳を滲ませながら抑えきれない笑顔で告げた。
「あ……はは……まったく、涙が……止まらないじゃないですか」
せつなさんが私のことを大切に想ってるなんて知っていた。でも、せつなさんがくれた本気の気持ちが嬉しくて、嬉しいなんて言葉じゃ表現できないほどの喜びで。
(泣いちゃうとは思っていたけど)
この学院はあまりに大切なことが多すぎて、その場所から巣立つということにも、せつなさんともうこの場所にこれないことも寂しすぎて、最後には必ず泣いてしまうなと思っていたけれど。
「嬉しいんだから、泣いたっていいじゃない」
そういうせつなさんの瞳も潤んでいて、けれどその笑顔は春の光のように輝きに満ちている。
そうだ、卒業ってこういうことだ。終わりなんかじゃない。育ててくれた場所に感謝をしながら、未来へと進むための儀礼。それは悲しみやせつなさもあるけれど、私たちが見なければいけないのは、その先にある未来。
大好きな人とともに歩む未来なんだ。
「せつなさん!」
それに気づいた私はせつなさんの胸に飛び込んでいった。
暖かく柔らかなせつなさんの体の感触。果実のような甘い香り。
「大好き、大好きです」
「私もよ、渚」
それはせつなさんが抱きしめ返し、頭を撫でてくれると一層強くなる。私の大好きな瞬間。
そのまま春の風を感じて、私たちは互いの存在を確かめ合うかのように抱きしめ合う。
その中で私は思う。
私はこの学院に来てよかった、と。
大切な友達に出会うことができた。かけがえのない三年間を過ごすことができた。
そしてなにより
「……………愛してる、渚」
耳元で愛を囁いてくれた人と、朝比奈せつなと想いを通じ合わせることができた。
だから私がこの学院を卒業するのに向ける言葉は、さようならじゃなくて
(ありがとう)
せつなさんのことを強く抱き返しながら私は三年間のすべてのそう伝えるのだった。