なぜこんなところに? というのが最初の疑問で手招きをする桜坂先生へと近づいていく。
そのことを口にすると、桜坂先生は懐かしそうに笑って
「クリスマスはときなとよくここにいたから」
そう言う姿に心の中で(あぁ……)と納得する。寮からの外出は禁止されている。恋人と過ごすには桜坂先生の方がこちらに来るしかなく、人目を避けた結果ここに来たということだろう。
(にしても)
私にとっても屋上は特別な場所。ときなさんと桜坂先生の思い出がどの程度のものなのかは知らないけれど、何も想い出の場所まで姉妹で同じくしないでいいと思うけれど。
「? どうかした?」
「いえ、何でもありません」
「そう? 何か考えてたみたいだったけど」
「大したことではありませんよ。さて、先生のお邪魔しちゃいけないですし私は行きますね」
別にせつなさんとの想い出に浸りに来たわけではない。先生の感傷を邪魔する必要もないだろうと、私が来た道を戻ろうとすると
「あ、待って」
声をかけられる。
「少しお話ししていかない?」
「それは……かまいませんが」
「ありがと」
月明かりの下で大人の女性の笑顔をみて迂闊にもドキリとした。
しかも寒いでしょと手を引かれ、体を密着されると着ていたコートを脱いで片側をかけてくれる。
「ちょ……」
またしても胸が高鳴ってしまった。
「これで少しは暖かいかしら?」
私のドキドキなどお構いなしに、桜坂先生はニコリと微笑むと大人の女性を感じさせる甘い香りが漂い。ドキドキが体に伝播していく。
「そういえばあんまり話したことなかったわよね。結構接点も多いのに」
「そう、ですね」
授業を受け持ってもらったことはないけれど、この人とは浅からぬ関係ではある。もっと恋人たちについて話しててもいいのかもしれない。
実際はほとんどそんな機会のないままに今この時を迎えてるのだけど。
「卒業する前に一回はちゃんと話しておきたかったんだ」
「何を、でしょうか」
話す話題、はあるかもしれない。けれど、わざわざ話したいと言うほどの話題もないような気がするけれど。
「水谷さんから見たときなのこととか、せつなちゃんのこととか色々話すことはあるじゃない?」
「それは、まぁそうかもしれませんが。別に話したかったということのほどではないのでは?」
「あは」
「?」
何も笑うところはなかったはずなのに笑われて首をかしげる。
「ときなの言うとおり、水谷さんは面白い子だなって」
「ときなさんからは私のこと聞くんですか?」
「えぇ、ときなは貴女のこと好きみたいだから。結構色々聞くわよ」
「それは……光栄ですね」
あの人はどこか底が知れないところはあるけれど、せつなさんの大好きなお姉さんではあるし気に入られて悪い気はしない。
「それで、私の話だけど」
少し雰囲気が変わった桜坂先生に私は自然と視線を奪われる。
「私もありがとうって伝えたかった」
「? 意味が、よくわかりませんが」
お礼を言われる理由がない。そもそもこれまで深く関わってこなかったというのに。
「せつなちゃんのこと、救ってくれてありがとう」
それを伝える顔はどこか清々しいものだったけれど私としては意味が分からずに首をかしげるしかない。
「ずっとせつなちゃんのことは気になってた。ときなの妹だからっていうのもあるけれど、私にとっても初めて担任した子だしそれに……もしかしたらだけど、あの子を苦しませた要因は私にもあるかもしれないから」
「? どういう、意味です?」
要領の得ない言葉に桜坂先生は説明を続け、大体を理解する。
せつなさんが入学する前からせつなさんの苦しみを知っていて、それをどうにかしたくて友原先輩との交流を持たせたということらしい。
当時のことを知らない私にはそれがせつなさんが友原先輩を好きになったきっかけなのかはわからないし、たとえそうだとしてもせつなさんが友原先輩を好きになったのはせつなさんの意志だし、桜坂先生が責任を感じる必要はないと思うけれど、それは多分私が当事者じゃないからよね。
「……なら、私は先生にお礼を言わなければいけませんね」
「え?」
「私がせつなさんの恋人になれたのは先生がきっかけになっているということですから」
「…………………」
不躾なことを口にする私の顔を桜坂先生はしばし無言で見つめていたけれど
「あはっ」
と破顔した。
「貴女って本当面白い子ね」
「これが私ですから」
強気に返すとふふふと笑われる。
「やっぱり渚ちゃんと話せてよかった」
「っ……」
「いい? 渚ちゃんって呼んで」
「それは……なんというか……」
あくまで生徒と教師の関係では問題があるような気がするけれど……
「あ、それともなぎちゃんの方がいい?」
「……渚ちゃんでお願いします。ただし、みんなの前ではやめてくださいね」
「はーい。あ、私の事はお姉さんって呼んでもいいのよ?」
「…………」
その言葉の意味を察したけど、さすがにそれは急すぎるような気もして乾いた声で遠慮しますと返した。
「あはは、残念」
さっきまで大人だなと感心していたのに今度は子供っぽく笑う。そういえば、この前ときなさんと話した時少し聞いたけれど、意外とそういうところがあるらしい。
それからはしばらくの間、他愛のない話をした。受験のことやときなさんやせつなさんのこと姉妹に共通して思うこと、様々。
今ここで話す桜坂先生は教師というよりもお姉さんという印象で私にしては珍しく饒舌に言葉を交わした。
ただ真冬ということもあり、そろそろ寒くもなってきたと思っていると
「そろそろ戻ろうか」
敏感に私の様子の変化に気づいた桜坂先生が私の手を引いた。
「そうですね」
短く返して私も歩き出し、屋上の扉を閉じると思い出したかのようにそうだとつぶやかれる。
「渚ちゃんが卒業したら、旅行行かない?」
「旅行、ですか?」
「そ、ときなとせつなちゃんを誘って四人で旅行」
「……いいですね」
唐突な申し出で一瞬固まってしまったけど、私は頷いた。
一瞬でその姿を想像して笑顔になれたから。
「とても楽しそうです」
「うん。ときなと一緒に候補探しておくから」
「はい。お願いします」
そのためにまずは受験も頑張ってねというようやく聞いた教師らしい言葉に頷きながら私は並んで歩いていった。
その道中で改めて思う。
繋がりや人の想いとは不思議なものだと。
私は今の自分が好き。今の人との関係が好き。
それらは全部この学校に来てから培ってきたもの。多分誰が欠けても今の私にはならなかった。
せつなさんはもちろん、陽菜や友人たち、同級生、友原先輩を初めとしてとした先輩たち。
ときなさんや桜坂先生。
色んな人と出会い、関わり、私は自分を変えてきた。
私にとって人生でなによりかけがいのない場所になった天原女学院。
「渚ちゃん? どうかした?」
「いーえ、なんでもないですよ。お姉さん」
私はこの場所にこれたことを心の底から感謝しながら桜坂先生をそう呼んではしゃぐあねと一緒に友人たちの待つ場所へと戻って行った。