「ぅ……んっ……」

 頭が、重い。

「ん、く……」

 喉が痛い。

 布団に入っているというのに背筋が震え、足と言わず腕と言わず悪寒をもたらす。

(最悪)

 朝から何度それを思っただろう。

 だって、本当に最悪なことなんだから仕方ない。

 今は旅行二日目の午前中。本来なら旅館の部屋で布団にくるまっている時間じゃない。

 それでもこんなことになっているのは、体調を崩してしまったから。

 本当は昨日から少し予兆はあった。車でこちらに向かっている時から寒気は感じていたし、せつなさんと散歩に出たときも、夕食の時も食欲があまりわかなかった。

 耐えられる程度だって我慢した結果がこれ。

 本当は朝から観光に出かけて今頃なら湖で遊覧船に乗っているころだったのに、朝と変わらず布団の上でしばりつけられている。

 朝からせつなさんをはじめ、ときなさんと桜坂先生にも迷惑をかけてしまうし本当に最悪な気分。

 そして、なにより私の心を悩ませるのは

「あ、起きた?」

 ときなさんと桜坂先生と出かけることなく、私の看病にせつなさんが残ってくれたことだ。

「……はい」

 せつなさんは朝起きていち早く私の体調不良に気付き、旅館の人に特別に軽い朝食を用意してもらって、心配するときなさんや桜坂先生を予定通りに出発するように促した。

 私のことをわかった行動。豪奢な食事も、心配されすぎることも私には重荷になる。せつなさんはそれをわかっていた。

 ついでに言うのなら、せつなさんは私がせつなさんにも出かけてほしいと思っているのを知った上で残ってくれることも。

「待ってて今お茶入れるから」

 そう言ってせつなさんは布団の隣にあるテーブルでお茶を淹れてくれて、私はその背中を見つめる。

 優しさを感じる背中。後ろ姿を見つめるのも好きだけれど、今はやっぱり胸が鬱ぐ。

 冷静になって考えれば私を放っておいてみんなで出かけるなんてできないのはわかる。

 見知らぬ土地で病気の人間一人残すなんてできるわけはない。

(それはわかっても……)

 この胸にざわめく罪悪感は消しようがないわよ。

「はい、どうぞ」

「……ありがとう、ございます」

 重く感じる体を起こし顔は見ないで湯呑を受け取った。

「んくっ。ん」

 ごくごくと痛む喉にお茶を流し込んでいく。

 喉は痛い、けれど何かをしていないと間が持たなくなってしまいそうですぐに飲み干してしまった。

「…………」

 そして沈黙が訪れる。

 せつなさんの様子を窺うと、せつなさんもちびちびと湯呑に口をつけてあまり私のことを見ようとしていない。

(せつなさんだって、私と一つしか違わない女の子だものね)

 私からしたらいつも大人っぽく見えては言ても普通の女の子。旅行先でこんなことになってどう私に接したらいいかなんてわかるわけがない。

「……………」

 それに私はせつなさんが楽しみにしていたのを知っている。そもそも観光のルートを考えたのはせつなさんなのに

(……なのに……)

 私のせいでこんなところにいて、楽しみにしてた気持ちなんて表情に出さないで私を心配して……

「っ……ごめんなさい」

 胸に抑えきれない罪悪感が膨らみ自然と声が出ていた。

 それはどちらも幸せにしない言葉なのに。

「渚が気にすることじゃないわよ。って言っても、無理かもしれないけれど気にしすぎないで。仕方ないじゃない」

「っ……そうやって、大人な振りしないでください」

 たぶん、体調が万全だったらこんなこと言わなかった。でも、罪悪感と自分が弱っているという現実が許せなくて心が上手く制御できない。

「楽しみにしてたじゃないですか。一緒に見に行こうって、約束してたじゃないですか。私のせいで台無しになったのに、平気な振りしないでください」

「渚……」

 私が反撃するなんて思わなかったですか? 私だってなんでこんなこと言っちゃってるのかわからないですよ。

「楽しみにしてたのは本当よ。でも渚が苦しんでるのに放っておくなんてできないわ」

「っ……」

 やっぱり、せつなさんも子供だ。

 その言葉が余計に私を追い詰めるってわからないんだから。

「そんなことわかってますよ!」

 言っちゃいけないことだってわかってた。けれど抑えられなかった。放っておけるわけがないのはわかっている。でも……その優しさが私をみじめにさせるの。

「……………っ」

 せつなさんが寂しそうな顔をしている。お互いの気持ちが完璧にわかるわけではないけれど、それでもある程度はわかってしまって互いに互いを想うことが傷つける原因にもなるという悪循環を生んでいる。

「…………ごめん、なさい」

 絞り出すようにそれだけを言って俯く。

(……最悪)

 体のつらさとは別の理由で瞳の奥が熱くなってきた。

 泣きそうなことを気づかれたくなくて布団へと潜ろうとする。

「渚」

 とその前にせつなさんの手が私へと延びてきたかと思うと

「っ……!!?」

 ほんのりとお茶の香りが口腔から鼻孔へと通り、次いで唇の暖かな感触に気づいた。

 キスを、されたんだ。

「なぁ……っ!」

 一瞬で熱以上に頬が染まり、胸の鼓動が高鳴る。

「そ、そんな嘘ばかりつく唇はふさいであげたの」

(ん……?)

 少しきざったらしい言い方に疑問を持つ。それが昨夜のときなさんと桜坂先生のやり取りの影響だとはもちろん気づけない。

「それにいくら言葉を尽くしてもきっとうまくは伝わらないから……だから、こうするのがいいかなって」

 子供らしく悩んだ答え。正しいかなんてわからないけれど、どうしたら私が傷つかないか、悲しまないかを考えてくれた接吻。

 そんなせつなさんは今度は私を正面から抱きしめてきた。

 暖かく、何より優しい感覚が私を包み込む。

「渚。確かに今日外に行けなかったのは残念よ。貴女と一緒にいろんなところに行きたかったし、見たいって思ってたから。でも、渚が苦しんでるのならそれを心配するし、渚の看病を優先するのは当然なの。私にはそれが今一番したいことだもの」

「………っ」

 ぎゅっと強く抱きしめられ【わがまま】を言うせつなさんの抱擁から心が伝わってくる。

「渚がそんな私に申し訳なく思うのも、私に心配されるのを嬉しく思ってて、同時に苦々しく思うのも、それはきっと正しいことなのよ。でも、渚が嫌がってても私は渚のそばにいたいの。考えは違ってもそんな私を渚は否定しないで。今の私を疎ましく思ってもいいから」

「…………」

 それは今の私には反論できないほどの正論で、その正しさを理解してしまうと何も言えなくなって。

(せつなさんは大人ではないかもしれないけれど子供でもなくて……なにより)

 私を理解してくれてくれる。

 もうそう思ってしまうと、生意気な口なんてきけなくて

「……好きです、せつなさん」

 しおらしくこんなことしか言えず、

「私もよ、渚」

 再び強く抱きしめてくれるせつなさんのことを愛しく思うのだった。  

 

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