少し場所を変えて、高原を見渡す高台へと来た。
さっきのベンチでもいい眺めだったけれどここから見るとさらに高くてずっと遠くまでも見渡せる。
開放感と高揚感をもたらす景色を見ながら、一度視線を下に向けるとときなさんとせつなさんがさっき私が座っていたベンチにいてこちらに軽く手を振ってきた。
「それで、なんのお話し?」
私は何もせず桜坂先生だけが二人に手を振り返し、私の顔を覗き込んできた。
(こんなの聞くのは恥ずかしいし、はしたないかもしれないけれど)
もう決意はしたんだからと、自分を鼓舞した私は
「さ、桜坂先生は、ときなさんとは、はじめ、てしたのってい、いつですか?」
結局そんな言い方しかできずにそれでも意味は通じるであろうことを伝えられた。
「はじめてって?」
しかし桜坂先生は意味をつかみきれずに首をかしげている。
「こ、恋人がすること、です!」
決意はしていたはずなのだけれどいざ言うと恥ずかしくてすでに顔は真っ赤に染まっている。でももう後には引けない。
「っ……恋人のすることって……その……」
「き、キス、じゃなくて……それ、以上の、ことです」
「え…ぇぇえ!?」
「い、いつですか」
「ちょ、ちょっと待って、どうしたのいきなり」
思わず距離を詰めた私を桜坂先生は肩をつかんで止めた。
「き、気になったんです。旅行中もお二人はすごく……仲よかったし、私もいつかはって思うけれどでも想像できないし」
深読みされると昨日のことを覗いていたのかとバレかねないことを言っているけれどとにかく私は止まれない。
「そもそも、もう付き合って二年たつけどそういうことっていつするのかわからないし、これから一緒に住むと考えなきゃいけないことなのに、私そういうのわからなくて、だ、だからお二人のことを聞いて参考にって」
もともと何を聞けばいいのかわかっていなかったけれど、支離滅裂になってしまい、それが自分を焦らせて余計によくわからなくなる。
「え、えーと、ま、まずは落ちついて、ね」
私の勢いに困惑し、桜坂先生は私をなだめるように体を撫でた。
「っ…、ご、ごめんなさい」
「ううん、気にしなくてもいいけれど。えーと」
あ、先生が困っている。
よく考えたら当たり前よね。いきなりこんなこと聞かれても困るに決まっている。
私はまだまだ子供で純粋で桜坂先生が実は高校を卒業してから悩んでいる私相手に、自分はときなさんが一年生の時に手を出していたなんて正直に言えるわけがないなんて思っているとはつゆ知らず真剣な瞳で先生の答えを待った。
「そう、ね。貴女には隠すことじゃないからはっきり言うわね」
「は、はい」
「私たちは少し特殊かもしれないけれど、ときなが一年生の冬にね」
「一年生って……大学の、ですよね」
聞くまでもないことだけどそれでも確信が欲しくてそう問いかける。だって、条例とかで決まっている時もあるし、いくらなんでも出会って一年目でそんなことはするはずないのだし。
「大学の……えぇ! もちろんよ!」
なぜか少し意表を突かれたような顔をしていたけれどその言葉に私は胸をなでおろす。
もしかしたら、私たちは遅いのかって不安だったから。
「きっかけはときなに内緒で言うことじゃないんだけど、私たちの場合は自然とっていう感じだったわ」
「自然……ですか」
わかるようなわからないような。
「そ、そう。ときなのことをいとおしく思って、愛してあげたいと思ったの。考えてっていうよりは本当に心が相手を求めたの。ときなも同じだって思う」
「……そう、ですか」
やっぱりよくはわからない。理屈としてそういうことが起きるのはわかる。私からした初めてのキスは、自然と、という感じだった。
せつなさんのことを愛したくて、守りたくて体が勝手に動いていた。
でも、そういうことなら
「やっぱり……きっかけがないとだめ、なんでしょうか」
「………………」
再び不安な顔をした私を桜坂先生は、「先生」という顔で見つめる。
「こういうことは誰かから聞いて、どうするってことじゃないと思うわよ」
「それは、わかっています……けど」
「……………」
「ふぁ!? な、なんですかいきなり」
頭を撫でられ私は素っ頓狂な声を上げてしまう。
「可愛いなと思って」
「なっ、わ、私は真剣なんです」
「そういうところが可愛いって言ってるの。馬鹿にしてるわけじゃないわよ。ただまっすぐで一生懸命だなって思ったの」
「…………」
私は撫でられている手をはねのけるまではしないけれど、むすっとした顔でうつむいた。馬鹿にはされていないかもしれないけれど、子ども扱いはされている気がしたから。
「渚はそういうことせつなと話してみた?」
手をどけた先生はいきなりとんでもないことを聞いてくる。
それだけで私は再び真っ赤になってしまう。
「そ、そんなことできるわけないじゃないですかっ!?」
「どうして? 二人のことなんだから二人で話し合うべきでしょう?」
「それは……そう、かもしれませんけど。で、でも、できません」
「なぜ?」
「何故って。い、いやらしい子だって思われたら……」
「……なるほどね、渚はそういうのがいけないことって思ってるんだ」
さっきから先生は一段上から私を見ている感じで、それが少し気に食わないけれど反論できるわけもなくて私は感情をうまく表現できず表情を崩す。
「いけない、とまでは思いませんけど……で、も……よく、わからないし」
「それだったら、そういうことをちゃんとせつなに伝えるべきって思うわよ。でもね、少なくても私はいけないことなんて思わないわ。それは相手を愛しく思う行為だもの。肌と肌を重ねて、心を触れ合わせることだって私は思ってる。要は好きって伝えあうことなの。自分のすべてをさらけ出せるほど相手のことを好きってね」
「好きって伝えること……」
先生が伝えようとしていることをきちんと理解できているかはわからないけれど、でもなんとなくわかるような気もする。
「例えば、渚はキスしたことはあるのよね」
「は、はい」
「その時、どう思った?」
「……恥ずかしかったです。けれど……嬉しかった」
本当のキスが出来たとき、胸に花が咲いたように心が弾んだ。それに今は、羞恥よりも喜びが勝る。
「それと、同じことなのよ」
「同じ……?」
「そう、特別なことだけど特別なことではないの。しなきゃいけないことでもないけれど、避けなきゃいけないことでもない。ただ、二人で納得して決めていけばいいのよ」
「先生……」
不思議と心が軽くなった気がする。私の悪い癖なのかもしれないけれど、こうあるべきだっていう考えにすぐ囚われて視野が狭くなってしまう。
でも、意識しすぎる必要がないということを悟ると楽になった。
「ありがとうございます。……絵梨子、さん」
初めてそう呼んだ。そう自然と呼べてしまった。
「っ……渚」
私が心を開いたということが嬉しかったのか絵梨子さんは私を抱きしめる。
その優しい匂いと感触に包まれて私は素敵な人に囲まれいるんだなぁと絵梨子さんのことを抱きしめ返すのだった。