ぎらぎらとした灼熱の太陽が身を焦がす。何もしなくても汗がにじみ、歩けば汗が滴る、油断すると化粧が落ちてひどいことになってしまう季節。
夏。紛れもなく夏。
(はぁ〜、やっと授業が終わった……)
だんだん仕事に慣れてきて、今の生活にも慣れてきたこの頃、仕事ではなく別の問題が生じてくる。
それはもちろん、この暑さ。
歴史もあり、校舎も古いこの学院ではこの季節になると教室中から悲鳴が上がる。 そう、長い伝統と赴きある学び舎の代償としてこの学院の教室にはクーラーが設置されていない。
窓を開けようが、服をぎりぎりにまでしようが暑さをしのぐには足りない。
普通の仕事であれば外回りでもない限りは冷房の効いたところで仕事に望めるのかもしれないが、少なくてもここではこれが普通だ。ほんの少しだけ、この仕事を選んだことを後悔したくもなる。
まぁ、うら若き乙女の汗ばんだ姿が見られるのは貴重かな、と冗談交じりに思いつつ早足に職員室に向かっていく。
まるで、恋人に会いに行くかのように。
なぜなら、
(っはぁ〜〜)
ガララと職員室のドアを開け中に入った瞬間、絵梨子は心で大きな安堵の息を吐く。
授業中にじわりとにじんでいた汗が、スーッと引いていき、全身がさわやかな清涼感に包まれる。
(ん〜。最高)
学院の中、エアコンの設置された数少ない部屋。それが職員室。生徒だった頃、夏や冬にうらやましいと思いつつも、用事もなしに職員室になんて入れなかったが、今は堂々と空調の恩恵を受けられる。
もっとも、居心地の悪さなど気にせずに来てしまう生徒もいるようだが、
「桜坂先生」
絵梨子が自分の席に戻ると突然背後から声をかけられた。
「朝比奈さん」
そこにいたのは朝比奈ときな。
春にあの【宿題】を出されて以来、なんとなく彼女と接する機会が多くなり、今では生徒と教師の一線を越えた仲かもしれない。
「少しお話しててもいいですか? いえ、してるふりでもかまいませんけど」
こんなことを言っているが、つまりは暑いからしばらくここにいさせろ。ということだ。
たまに、何か用事があって職員室に来るとき彼女はこうして絵梨子の姿を見つけるとこんなことを提案してくる。
本来あまり特定の生徒となくよくなってしまうのは問題なのかもしれないが、学生気分の抜けきらない絵梨子はまるで友人のようにときなと親しくなっていた。
(それにしてもこの子、こんな髪で暑くないのかな〜)
まとめれば気にならないだろうに、そのままでは首筋に張り付いたりしてしまうと思うのだが。
(まぁ、確かにそのほうが綺麗に見えるけどね)
なんて髪に目を奪われてしまい本当にほとんど話すふりになってしまったがときなはそれほど気にした様子もなく休み時間が終わるとあっさりと去っていった。
なんだか都合よく利用されているような気がしないでもないが、生徒の役に立つというのはある意味教師の本懐でもあるはずなのでこれでいいと思うことにした。
「……………」
ときなが去った後、授業もなく机で書類と格闘していた絵梨子だったが、ふと顔を上げた際、カレンダーが目に留まり、日付をを確認する。
「そっか、そろそろアレの季節か」
と、一人ごちてまた書類と向き合うのだった。
放課後になってもまだまだ太陽の威光の衰えることのなく不遜に校舎を照り付けている。南中を過ぎたといっても相変わらずクーラーのない教室は蒸し風呂のようになっていた。
そんな中、絵梨子は以前ときなに案内をしてもらった第二会議室の一角で、一心に折り紙を織っていた。
机には赤や青、黄色、緑といった様々な作品が置かれているが、それらはすべて鶴だ。慣れた手つきで一つ一つ、迅速ながらも丁寧に折鶴を折っていく。
「あ、暑い……」
と、突然一人文句をもらす。
会議室ということでエアコンは備えてあるのだが、風が来てしまうと折り紙が飛んでしまうのでクーラーどころか窓すら開けずにただ折り紙を織るというのはある意味拷問にも近かった。
自分の部屋でならもう少し快適にはできるのだが、まだ帰れる時間ではない上、電気代ももったいないので、放課後部活の監督と嘘をついてこうしてコソコソと作業をしていた。
「ふぅ、ねっむ……」
水色の鶴を織り上げると、絵梨子はあくびをして体を伸ばす。
実は昨日も遅くまでこうして鶴を織っていた。期日までは時間がなく、いくら社会人となり忙しくなったとはいえもう少し計画的にすべきだったと後悔しても遅いので、黙々と手を動かすが、少し雑になってきてしまっている実感がある。
「んー」
絵梨子は、残っている折り紙の数と時計を見比べてみる。
「少し、寝ようかな……」
人間十数分仮眠をするだけでも、眠気は取れるらしい。なら少し仮眠をして作業を再開するほうがいいかもしれない。数はもちろんのこと、雑にするわけにはいかないものなのだから。
「おやすみ……」
そう決めた絵梨子は自らの欲求のまま、机に突っ伏すと、すぐに寝息を立てるのだった。
「ん、ん、んん?」
夢を見ることもなく、疲れではなく眠気を取るためだけだった仮眠から絵梨子は目を覚ます。
「あ、れ?」
ぼけやた視界で体を起こすと、机の上にあった光景に絵梨子は首をかしげた。
何十匹という鶴が眠っていた絵梨子を囲むように見つめている。起きぬけにはある意味不気味な光景でもあったが、
(こんなに、作ってたっけ……?)
何はともあれそこに疑問が集約する。
確かここに来てからほとんど作らないで、眠ってしまったはず。なのに今は絵梨子の周りいっぱいにいて、それらが例外なく夕陽に照らされ……
「あれ!?」
この時期、夕焼けは早くとも六時半ばを超える。放課後になったのは四時半。
「うそ……」
自失したように絵梨子はつぶやいた。つまりは二時間近くも寝てしまっていたということになる。
(うそ〜、そんなに寝てたの?)
疑問に思ったところで現実は変わることない。
早く戻らなくてはとなぜか増えた折鶴をまとめはじめ、ようやくそこで自分を見つめる瞳に気づいた。
「おはようございます」
「あ、さひな、さん」
そこにいたのはときな。絵梨子の隣にイスを置いて座り、両ひじを突いて面白そうに見つめていた。
「お疲れみたいですね。気持ちよさそうに寝てましたけど」
「えっ、っと……」
聞きたいことはいくらでもあるのだが、まだ寝起きで頭が働かず何もいえず困惑顔を浮かべる絵梨子。
「どうして、ここにいるの?」
「ちょっと通りかかったら先生が寝てるのが見えたので、眺めていたんです」
「そ、れはどうも……」
「いけませんね、うら若き乙女がこんなところで無防備に寝ててわ」
(あなたのほうが若いでしょ!)
ときなと話すときなぜかこんな風に、言われてしまうことが多かった。なんというか、子ども扱いのような……
「にしても、あんな顔で寝るんですね。眼福でした」
あんな顔といわれても、自分の寝顔をみることは出来ないのだから困る。
だが、ときなが面白そうに笑っているということは変な顔をしていたのかもしれない。
「そ、そんなことよりも、これ、朝比奈さんが?」
少し赤くなった顔をごまかすかのように絵梨子は話題を移す。
ここにときながいて、鶴がいるということは聞くまでもないことのはずだが。
「えぇ。暇だったもので。でも、なんでこんなことをしてるんです?」
「ちょっと、ね。人に送るの」
「ふーん、誰にです? プレゼントに千羽鶴っていうのも変な話だと思いますけど」
「えっと……」
普通であればすんなりと答えていいはずの質問で絵梨子は、思わず口をつぐんだ。決してやましいことがあるわけではないのだが軽々しくいうようなことでもない。
しかし、絵梨子は数秒悩んだあと、ときなによって織られた鶴を見つめて口を開いた。
「ある病院の女の子。大学の頃、児童演劇やってたときに知り合って、それから毎年送るって約束してるのよ」
「それっ……て、病気か何かなんですか?」
「……うん。もうずっと入院してる」
「そう、ですか」
ときなは予想に反し、重い話が飛び出してきたことに驚いたのか力なく自分の織った折鶴を真剣な目で見つめた。
「ありがとうね、毎年送ってる日に間に合わないんじゃって思ってたところだったから、助かっちゃ……え!?」
それに気づかず絵梨子はときなに礼を言ったが、突然のときなの行動に目を丸くした。
ときなが自分が織った折鶴を取るとそれを一つ、一つ元の【折り紙】の状態に戻し始めた。
丁寧に、複雑なつくりから決して破くこともせず。
「な、なにやってるの?」
「すみません」
「え?」
「これじゃ、その子に送れるようなものじゃないです」
(っ、この子……)
つまりは、絵梨子が織ったのとは違い、形になればいいという程度の気持ちで作ってしまったのだろう。
気高いときなはそんなものを今話に出てきた病気の少女に送るわけにはいかないのだと考えてしまった。
(優しい子なのね)
不覚にも絵梨子は胸から暖かな気持ちが湧き上がりそれが瞳を濡らすのをこらえられなかった。
「……ありがとう」
絵梨子はそれに万感の想いを込めると無言で鶴を解体する作業を手伝い、それが終わると二人でまたその折り紙を織り始めた。
それはほとんど無言ではあったが、なぜか楽しい作業だった。