作業が終わると外は落日の微かな陽光が漏れているに過ぎなくなっていた。あと十数分で完全に沈んでしまうだろう。
絵梨子とときなは会議室から出るとがちゃりと鍵を閉める。
「本当にありがと、助かったっていうより、朝比奈さんのこともちゃんと伝えておくね」
そのまま職員室に戻るために歩きながら会話を交わす。
「いえ、必要ありませんよ。私は先生を手伝ったに過ぎませんから」
「ううん、きっとそのほうが喜ぶから。ちゃんと言うよ」
「なら、そうしてください」
「でも、朝比奈さんには色々助けてもらってばっかりよね。そろそろ何かお礼したいんだけど」
最初の頃から困っていると何かとときなに助けてもらうことが多かった。教師としては情けない限りではあるのだが、まだ戸惑うことも多いのでときなの存在は大きかった。
そのたびにそれとなくお礼をしたいと伝えるのだがそのたびにはぐらかされていた。
「ふふふ、テストの問題でも横流ししてくれますか?」
「い、いや、そういうことじゃなくて……」
教師一年目にして、というよりも年数に関わらずそんなことはできるはずもない。
「冗談です。それに必要ありませんし」
その言葉すべてが冗談みたいなものだが、冗談として笑ったのは冗談といったときだけであり、必要ないといったときにはいつものクールな横顔に戻っていた。
(相変わらず嫌味というか……)
実際に出来るのだからこちらとしては閉口するしかない。
「そういうのじゃなくて……あ、これから御飯でも奢ってあげようか?」
「デートのお誘いですか?」
「そう。デート」
向こうとしては絵梨子をからかうために言ったのかもしれないが、いつもそれでは面白くないので絵梨子はあえてそう返した。
が、
「それで、ホテルのレストランにでも誘って、【実は部屋が取ってあるの】ですか?」
「そ、そんなわけないでしょ!」
結局ときなの方が上手であり絵梨子は顔を赤くして反論した。
「まぁ、それはともかくお礼というのなら一つお願いがあります」
「え、何?」
「これから私の家まで来てください」
「へ?」
(それは、つまり……どういう意味?)
これで先ほどの冗談のようにホテルにでも行くような関係であればそういう意味にも聞こえなくもないが、それ以前にそもそもときなは
「家って、寮?」
「はい」
「いい、けど。どうして?」
「今、何時ですか?」
言われて足を動かしたまま絵梨子は腕時計に目をやる。
「えっと、七時、二十分ね。あ……」
時間を口に出してやっとときなが何を言っていうのかに気づき、申し訳なさそうな顔を見せた。
「門限、過ぎちゃってますね。当然無断で。誰か一緒に謝ってくれる人がいたら嬉しいんですけど。たとえば、原因を作った人とか」
「み、宮古、先輩に……?」
「先輩?」
「うん、二つ上の先輩なのよ。というか、部活も一緒で……うー、わかった。ちゃんと私のせいっていうから」
明らかに嫌そうな顔をして絵梨子はしぶしぶうなづいた。職場の先輩とは違って、学校のしかも部活の先輩というものは上下関係が厳しいものがある。
さらには生徒を勝手にこんな時間まで拘束していたということを告げるのは愉快なことではない。
早くも胃が痛むような心地を受けながらも、責任の感謝を持って絵梨子はそこへと向かっていったのだった。
八時。
絵梨子がときなをつれて管理人室を訪れてからすでに三十分近くが経過していた。
ある人物にだけ鋼鉄の扉のように思えたドアがようやく開いて、二人の人間が出てくる。それはもちろん、絵梨子とときな。
同じ部屋で同じ話を聞いてきた割には二人の表情は対照的だった。
絵梨子が半ば憔悴しているのに対しときなは、気まずそうに頬は指の先で掻いていた。
「なんだか、申し訳ないことしてしまったようですね」
「あ、ううん、悪いのは事実なんだし……」
二人で寮の管理人である宮古の元を訪れたのだが、最初は行方不明扱いだったときなが見つかったことに安堵してくれていたものの、理由を聞くと見る見るうちに表情が険しくなっていき、そこからはほとんどときなを無視して絵梨子への叱責だった。
おそらく顔見知りでもなければそこまででもなかったのかもしれないが今の絵梨子のことに限らず生徒だった頃の話までされ、絵梨子としては返す言葉もなかった。
ときなはときなで当事者であることは事実なので出て行くわけにもいかず、延々と怒られる絵梨子を見ては、罪悪感を感じていた。
やっと解放された絵梨子とときなは別々に分かれることなく、今度はときなが寮の出口まで送っていっていた。
「すみませんでした。まさか管理人さんがあんなに怒るとは思わなくて」
部屋出たときと同じように悪くはないはずのときなが心底申し訳なさそうに告げる。
「それはもういいってば。……うん、大丈夫。悪いのは生徒にあんなことさせた私なんだから、朝比奈さんは気にしないで。」
ここで無理に教師ぶる必要はないが、虚勢とばれようともそういう姿勢を見せて余裕があるところを見せておきたかった。
「そんなことより、何回もいうけどありがとう。手伝ってくれたのはもちろん、朝比奈さんのことが少しわかって嬉しかった」
「またご用命の際にはなんなりと」
「そういうところは可愛くないけどね。それじゃあ、またね」
まだ宮古にいたぶられた心は回復しないまま、ときなにだけは弱みを見せたくなく強がりを見せる。肉体的にも精神的にも疲れを感じつつも、今回のことではときなとの絆が深まったような気がして絵梨子笑顔で去っていた。