私が希に応えると私たちは自然と海に入ることを決断していた。
今ここで行動を起こさなければ多分もう心中をすることはできなくなってしまう気がしたから。
それは私たちの想いを穢してしまうことになる。そうして生きていったとしても、待つのは互いへの罪の意識だけ。
「……冷たい、わね」
「……せやね」
足に波が打ち寄せる。
冬の海は予想以上に冷たくて、すぐに感覚を奪っていく。
希と二人前を見つめている。
ぎゅっと手をつなぎ、靴を脱いだ素足で海に入っている。
茫漠とした海を見据えながら、私たちは少しずつ前に進んでいった。
身に着けた服が海水を吸って重くなる。濡れた衣服と髪が体温を奪っていく。
手は離さない。
(……これも、愛、なのよね?)
見つめあうことはなく、二人で決めた道を見つめている。この気持ちを永遠とするための死という道を私たちは歩いている。
ある有名な本で言っていた。愛は見つめあうことではなく、互いに同じ道を見つめることだと。
そうであれば私たちの行為は愛と呼んでいいものなんじゃないのかしら。それがたとえ死へ向かうものだとしても。
(っ……)
もう腰まで海につかり、足に徐々に力が入らなくなっていく。
少しずつ速度を緩めているのは、足の感覚がなくなってきているから? それとも、死にたくないって思っているから?
(……怖いに、決まっているわ)
死を恐れない生物はいない。
そういえば、自殺ができるのは人間だけらしいわね。死よりも大切なもののために死を選ぶことができる。それは人間だけの特権っていうこと。
それを行使する立場になるなんてね。
後悔してるわけじゃないわ。ただ、なんて言っていいのかはわからない。
ううん、私のことはどうでもいいわよね。私は希に応えるって決めたんだから。
それが罪滅ぼし。希を孤独にしてしまった私ができる唯一の贖罪なのよ。
「っ……」
いつの間にか胸にまで波が押し寄せている。
まだ数分と経っていないはずなのに体の感覚がほとんどない。
「えりち」
希が私を呼んだ。
「手、離さないで」
震える希の声。それは多分寒さからじゃない。
「……もちろんよ」
私は頷いて、ぎゅっと手に力を込めた。
(あ……)
希の手を握り返したつもり。でも、力が入らない。ほとんど繋いでいる感覚すらなかった。
手を繋げた先に希を感じることができない。
(………………………………死ぬの?)
希を感じられないという一事に私はそのことを改めて意識した。
本当に死んでしまうの?
もう希のことを感じることができなくなってしまうの? 希を想うことができなくなってしまうの?
「えり、ち?」
足が止まる。
波が打ち付ける。冷たさが体の感覚を奪っていく。それはさっきと一緒なのに、死を意識するとまったく別の意味を持っている気がした。
波が打ち寄せるたびに、希との時間が消えていくような感覚。極寒の冷気が体温だけでなく希との想い出を奪っていくような空虚感。
(……死ぬ、の?)
やっとそのことを本気で意識した。現実のこととして思うことができた。
(……怖い)
そして、恐ろしくなる。それは死ぬことがじゃない。
私たちが見つめる先には何もない気がしたから。
死という逃避を選んだところで、そこにあるのは愛じゃない。このまま二人でこの道を歩んでもそれは愛の証明じゃない。
自分勝手な論理に身を任せ、形のない不安に膝を屈しているだけ。
これが愛? これが贖罪?
「……違うわ。こんなの」
力の入らない手で希の手を握り締め、私は小さくそう言った。
その瞬間に体に力が戻った気がした。
「希!」
私は大きな声を出すと、希の手を引いてきた道を逆にたどる。
「えりち!?」
驚いた希の声を受けながら、力強く一歩一歩を踏み出して砂浜へと向かった。
そして、波打ち際まで戻ると
「希!!」
希を抱きしめた。
「私、死にたくない!」
希を抱く腕に力を込めて叫ぶ。
「……本当に一緒に死んでもいいって思った。希が心から心中を願っているのなら、それでもいいって……」
そうこれも嘘じゃない。私だって不安もあったし、希のためならって本気で思ったの。
「でも……違う。そんなのは愛じゃないのよ。不安だから一緒に死ぬだなんて、逃げてるだけ。私は希とそんな風になりたくない」
「けど……えりち……」
「……貴女が軽い気持ちで言ったんじゃないなんてわかってる。でも、私がしたいのは希と一緒に死ぬことじゃない。私は……」
そう、私が本当にしたいことは
「貴女と生きていきたいの」
愛する希と生きていくこと。
「っ……」
「これまでがそうだったみたいに、これからも貴女と一緒に生きていきたい。簡単な道じゃないかもしれない、くじけそうにもなるかもしれないわ。それでも私は希とその道を歩いていきたい。手を取り合って、希と一緒に生きていきたいの」
綺麗ごとだけじゃ生きてはいけないかもしれない。決意を言葉にしたところで実現ができるかは別の問題。
それでも、私は希を愛しているから。
「そして、人生の終わりにはこう思うの。二人で同じ道を歩むことができてよかったって。しわくちゃのおばあちゃんになったときに私たちはそうやって思うの」
ここは道の途中。私たちが歩んでいく長い道のまだまだ最初の部分。そんなところで歩みを止めるわけにも、道を外れるわけにもいかない。
これから先のすべてを私たちは一緒に生きていくのだから。
「だから、希」
希の肩に手を置いて距離を取ると希と見つめあった。
綺麗なエメラルドの瞳。その瞳が潤んでいる。それが哀しみの色ではないことを確信して私は次の言葉を伝えた。
「貴女を、頂戴」
決して後悔のない想い。
「もう二度と貴女を独りになんかしないわ。不安も喜びも全部二人で分け合っていく。そうやって私と一緒にこれからをずっと生きて欲しいの」
それは私のプロポーズ。
「っ……えり、ち……」
瞬間、溢れだす涙。
「愛しているわ。希」
そうして、私はもう一度希のことを抱きしめた。
「……愛してる。……えりち、愛してる」
「えぇ。知ってるわ、希」
「えりち……えりちぃ……」
「希……のぞ、み……」
希が抱擁を返してくれる。
冷え切った体は冷たかったけれど重なった心が暖かい。
これから先、生きていくことは簡単じゃないのかもしれない。再び同じように死を望みたくなることもあるのかもしれない。
でも、もう二度と絶望に身を委ねたりなんかしない。
希を愛しているから。
絶望をしない理由はそれだけ。それだけで十分なの。
手を携えながら、二人の未来を作っていく。
私たちはそれを
「……んっ」
重ねた唇に誓い合った。