ピピピピと、目覚ましの甲高い音が聞こえる。
「んっ……う」
鈍痛のする中私は目覚ましを手さぐりに探し当てると音を止めて、ベッドにぺたんと腰を下ろす。
(……懐かしい夢ね)
もう十年近くも昔の夢。
穂乃果と永遠を誓った時の夢。
夢になんか見なくても今でもその光景は鮮明に思い出せる。
打ち寄せる波の音、風の冷たさ、夕陽に染まる海。
穂乃果の温もり、穂乃果の声、穂乃果の鼓動。
……はじめてのキス。
目を閉じればどれもが昨日のことのように思い出せる。
……多分私の一番幸せだった時間を。
ブーブー
「っ!!」
夢の余韻に浸っていた私は携帯へのメールの着信に一瞬体をビクつかせた。
とはいえ、メールの相手はわかっている。
私が起きる時間の少しあと、決まって毎朝メールをしてくる相手なんて一人しかいないんだから。
真姫ちゃん。おはよう。今日も一日がんばろうね。
予想通りに恋人からの朝の挨拶が来てて私はすぐに「あんたもね」と簡素に返信をした。
それを合図にして私はようやくベッドを抜け出した。
(……あのころはよかったな)
夢の余韻の最後にそうやって思いながら。
穂乃果のプロポーズから十年近くが過ぎた。
私は医大を卒業して今年からようやく研修医。実家からそう遠くない場所に部屋を借りて一人ぐらし。
穂乃果は大学を卒業して、穂むらで本格的に働いている。穂むらを継ぐつもりみたい。昔はあれだけ餡子に飽きたって言ってたけど音ノ木坂が大切だったのと同じように思うところがあるらしい。
お互いの立場は変わったけれど今でも私と穂乃果は恋人同士。
その関係に何も不満は抱いていないけれど、それでも思うのよ。
あのころはよかったって。
そして、いつまでこの関係を続けられるのだろうって。
「んー、綺麗だったね」
久しぶりの穂乃果とのデートの日。
今日の主目的を終えて、今は喫茶店で休憩中。
ケーキを頬張りながら感想を話し合う。
「そうね」
「昔はプラネタリウムって眠くなっちゃうなぁって思ってたけど、真姫ちゃんが色々教えてくれたおかげで随分詳しくなったって思うよ」
「前はよく寝てたものね」
「うっ……そ、それを言わないでよ」
付き合い始めた時なんてひどいものだったわ。
せっかく初めてデートでプラネタリウムに来たっていうのに、気づいたら寝てたんだもの。私なんて前日から楽しみにしてたっていうのに。
「けど、プラネタリウムもいいけどさ。また星見に行きたいよね。ね、今度は久しぶりに星見に行こうよ。次のお休みっていつ?」
「っ……」
昔を思い出して懐かしい気分に浸っていた私は、穂乃果の何気ない言葉に眉をひそめた。
「ごめんなさい。わかんない。それに休みでも呼び出されることがあるから、あんまり遠くにはいけないかも」
「あー、そうなんだ。やっぱりお医者さんって忙しいんだ?」
「まぁ、研修医の内はどうしてもね。これでも昔に比べればましになったらしいけど」
昔はそれこそ一か月間ほとんど休みなしに働いたり、平気で夜中に呼び出されたりしたらしい。それでいてお給料も安くて、せっかく大学を出ても研修医の内に諦める人も多かったとか。
もっとも、今でもそれほど解決されたわけじゃないのは実感しているところだけど。
「それじゃあ、休めそうな日がわかったら教えてよ。星はともかくまたデートしよ。私が休み合わせるから」
「今日もそう言っていたけど大丈夫なの? 穂乃果だってもうちゃんとした従業員なんでしょ?」
穂乃果の言葉は正直言って嬉しい。ただ、お互いにもう社会人。常に自分の都合を優先してばかりもいられないはず。
「あー、うん。実家だからって甘えてばっかりはいられないけど一日くらいなら大丈夫だよ」
「………そう。ありがとう」
自分で大丈夫? なんて聞いておいて勝手だけど穂乃果と会える約束が心から安心してる自分がいる。
どんなに仕事がつらくてもこうして穂乃果の声が聞ければ元気になれるから。
「それはともかく、今日は夜までいられるんだよね?」
「えぇ」
「じゃあ、久しぶりに真姫ちゃんの部屋に行きたいな」
散歩を待つ犬みたいに嬉しそうに笑う穂乃果。見た目も中身もあの頃に比べたら大人になったけどこういうところは変わらないわね。
まぁ、それが穂乃果の可愛いところなんだけど。
そんな穂乃果が私を安心させてくれて、私は不安の中で小さな幸せを噛みしめた。