八十二点。
手元にあるテストの答案用紙を見て、あたしは一つうんっと頷く。
これは文句ない。数少ない得意科目ではあるけど、八十点取れてれば他の教科の補填になる。
英語だけはどうにかなるんだよ。
「彩音、何点?」
習熟度別とやらで二クラス合同でやる英語は美咲のクラスと一緒で美咲はあたしが席に戻ってくるなり聞いてきた。
「ふふんー、八十二。美咲は?」
「うっそ!」
美咲はあたしよりも全然勉強ができる。ただ、この英語だけはあたしだって美咲には負けてない。
しかも、この反応は……
にやりと下卑た笑みが浮かぶ。
勝っ……
「彩音と同点だなんて……」
てなかった。
「なんだ、同点ですか。ふぅ、まいいや。負けなかっただけ」
勝負できるって言っても勝つことなんてほとんどないから美咲と違ってあたしは引き分けでもそれなりに満足。
「お、そだ」
あたしはそのまま席にはもどんないで教室の隅で、この喧騒のなかぽつんと一人寂しく座る人物の元を訪れる。
「星野さん、どうだった?」
そこまで仲良くもないくせに不躾にテストの点数まできくのもどうかとは思わないでもないけど、あたしはそういうの結構遠慮ない。
「…………」
星野さんは机に座ったまま黙ってあたしを見つめる。
とりあえず、最初のとっかかりで無視されるのはもうなれた。
「……九十八」
んで、一呼吸置いてからポツリと。聞かれたから一応応えなきゃって感じで。
「九十八!? うっは、さすが」
あたしはほぼ百点のその数字に驚きの声を上げる。それはテストの返却でにぎわうクラスの中にもよく通る声だった。
それに反応を示す人間は大勢いる。あたしと同じように驚く人がほとんどでも、中には敵意みたいなものを示す人も。
「……彩音」
一緒に星野さんの席にまで来ていた美咲があたしの袖を軽く引っ張ってその敵意の視線の方向に流し見る。
「……わかってる。わかってる」
あたしもその方向っていうか、人をちらりとみてから何でもなかったかのように星野さんに向き直って半分無視されながら、先生がテストの解説を始めるまで話をするのだった。
「星野さん、よかったら仕事手伝ってくれないかしら?」
放課後早々に、美咲がやってきて星野さんにそう告げた。
「ん、なになに? どしたの?」
あたしは当然のようにそこに近寄っていってことの次第をさぐる。
「委員会の仕事。どうも、私と当番の人今日休みみたいなのよね。丁度いいし、この前の借りを返してもらおうと思って。情けは人のためならずだから」
「自分で手伝えって言って人のためならずといわれてもなぁ……星野さん、こんなののいうこと聞く必要ないよ?」
「…………別に、いい」
「ふふふ、ありがと」
委員会の手伝いってことだからこの場合あたしが手伝いにいく必要はまったくないわけだけど、星野さんのことは気になってるし、多分いかないと美咲が文句いうからついていった。
花壇の世話っていっても、いつもこの前星野さんがやってたようなことをするわけじゃない。あの時はどうも特別みたいで今日は一通りの水やりくらい。たとえ、一緒の人が休んでたって一人で十分な内容。
それはどうも星野さんも気付いてるご様子。
「…………」
だまって花壇に水を上げてる。
いつも表情がないからつまんないのかおもしろいのか、不満なのかそうでもないのか全然わかんない。
ホースも二つしかないしヒマ。花壇から少し離れたところにある壁に寄りかかって水をあげてる二人を見ている。
ちなみにあたしはヒマだと人にちょっかい出したくなるタイプ。
「あ、星野さん、背中に虫が」
「っ!?」
まるで魔法の言葉。その一言だけで表情が崩れる。
「あ、ごめん。気のせいだった」
気のせいっていうか、嘘だったんだけどね。
「……っ」
気付かれたなこりゃ。ムスっとした顔でにらまれた。でも、表情のある星野さんを見るのは貴重。
パン。
「った!? あにすんの!?」
「あんたがくだらない嘘つくからでしょうが」
いつの間にか自分のやってるエリアからあたしたちに近寄っていた美咲があたしを軽く小突く。
「いやー、星野さんの反応が面白いから、つい」
「ついていい嘘と、悪い嘘があるって思わない?」
これは微妙なラインだと思うけど。
「…………………………」
「ん? 星野さんどうかした?」
気付いたら星野さんが手を止めて、あたしと美咲のやり取りを見つめていた。
「…………二人は、仲、いい」
「は? ま、まぁそれなりには」
「腐れ縁ってやつね。誕生日だって一週間も違わないから、病院から一緒だったものね」
「……私に、かまう、必要、ない。……どうして?」
あたしたちからすれば急にこんなこと言い出す星野さんこそどうしたの? って感じだね。もうちょっと顔に表情付けてくれればその意図も汲みやすいのに、何が言いたいのかよくわかんないや。
あたしと美咲は軽く目配せをする。
どうしてって言われても、明確な理由なんて思いつかないし。
「さぁ? 星野さんが面白いから?」
「私も、そんな感じ。興味があれば話してもみたいでしょ?」
「…………一年のころ、話してきた人は、つまんない、言った」
「星野さんのこと?」
コク。
頷く星野さん。
「それは、その人たちに見る目がなかったのよ。少なくても私たちは星野さんと話すのは面白いし、楽しいわ」
「そ。そういうこと。それに、合わない人ってのもいるし。あたしだって近づきたくもない人って結構いるもん。んで、あたしの感覚からいうと星野さんはあたしに合ってる。星野さんは迷惑?」
「…………………別に」
いつもより少し長い沈黙のあと小さく呟く。それからもう一呼吸した。なんだか、次になにいうか判る気がする。
『……興味、ない』
声が三重に重なった。
「にはは、星野さん読みやすすぎ」
「彩音にも読まれるなんて、そうとうよ?」
あたしと美咲は顔を見合わせて笑う。
「…………」
一方星野さんは自分の言葉が読まれたことに衝撃を受けたのか、つまらなそうに俯いた。
「…………二人は………………」
それから、あたしと美咲を交互に見る。その目にいつもの無感情とは違うものを感じて少し臆する。
ねぇ、からかいすぎた?
さ、さぁ? とりあえず、彩音のせいにしとくわ。
わけわかんないこと言わないでよ! 美咲が無理やり手伝わせたからじゃないの!?
それはここじゃ関係ないでしょうが。
みたいな会話を目だけで済ます。
「………………」
続きがあると思うんだけど中々次の言葉を発しない。ためらってるみたい。
「……………おせっかい……」
『あ………』
星野さんの口元が少しだけ、ほんとに少しだけだけど緩んだ。まさしく【微笑】って感じに。
「…………………………………………帰る」
あたしと美咲が呆けてる間に星野さんはホースの水を止めると校舎のほうに歩いていったしまった。
『…………』
星野さんがいなくなってもあたしたちはぽけっとしていた。
「笑った、ね」
「笑った、わね」
同時に似たようなことを呟いてまた顔を見合わせた。
「っぷ、あはは」
「ふふふ……」
そして、妙な達成感と笑いがこみ上げて花壇の前であたしたちはあの【微笑】を思い返すのだった。
初めて話してから一ヶ月くらいでやっとゆめの笑ってるところみれたんだよね。あの時は嬉しかったって言うかなんというか、ほんと、やった! って思えたよ。
これはあたしの想像だけど、ゆめがあの時に笑ったのは初めて自分を肯定してもらえたからじゃないかなと思うわけよ。ゆめはクラスとか学校で孤立してても、別に自分が変なことしてるとか思ってないんだよね。ゆめの普通に周りがついていけないだけでさ。だから自分の普通をあたしと美咲がわかってくれたのが嬉しかったんじゃないかなーって。全部あたしの想像だから的外れかも知んないけどねー。
でも、だからっていじめがとまるわけでもなくて……
給食も終ってだらだらとした空気が流れる昼休み。
あたしは美咲の教室にいって、美咲の机に腰掛けていた。
「そういや、星野さんのことなんだけどさー」
「んー?」
美咲は自分の机に座られているのにもとくに不満を感じることなく、生返事をする。
「昨日も、何か隠されたみたいなんだよねー」
「……嫌になるわね。そんな小学生みたいなことして喜んでいる人間が同じ学校にいるなんて。もっとも、隠すだけなんてあたりがいかにも小さい人間って感じだけど」
「あはは、そりゃそうだ。まぁ、でも完全に星野さんに原因がないともいえないけどさ。いつも黙ってて何考えてるかわからないっていう人結構多いもん」
「ないわよ。星野さんに原因なんて。そんなくだらないことするほうが悪いに決まってるじゃない」
「ま、そだね」
制服のしたにクォーターパンツをはいてるのをいいことにあたしは適当に足を上げたり下げたり。手持ちぶさたな感じをアピールする。
「彩音。埃が立つからやめて」
「うぃーす」
と、足は止めても机から降りることなくでもちょっと小声になって囁く。
「んで、そんな無口でわけわからなくて、友達だっていなさそうな星野さんに負けてるってのが気に食わないんだ。……須藤さんは」
「星野さんの言い方が気に食わないけど、そういうことじゃないの。復讐っていうか、一種のストレス解消みたいなつもりなんじゃない? 気に食わない星野さんがおたおたとするところでも想像して嬉しがってる変態」
「いやーやだねー。つか、あたしあのグループには絶対近づきたくないし。なんていうか、勉強できるけどバカな人が集まってるって感じで」
「去年クラス一緒だったけど、親が厳しいみたいよ」
「かんけーない、かんけーない。あたしの中じゃ理由があったってあんなあほなことやる時点で絶対悪だから。んで、悪即斬って感じ」
「それが正義でも、証拠もないし」
漫画のネタでもそれを即座に察知して反応してくれる美咲はありがたい存在だわ。
「んー、よっと」
あたしは机から軽く飛び降りて、今度は美咲を見下ろす。
「どうせ、星野さんなら友だちいないし、無口だし、誰かに言って騒ぎにならないとでもたかくくってるんじゃないの? 直接ぶんなぐってもいいけど、それで星野さんに迷惑かかるのはなー。……どうしたもんかね?」
気分的にはほんともうボコボコにしたいけど、万一違うと困るし、それに星野さんに余計に何かされるのは困る。
「……それ、じゃない?」
あたしの言葉になにやら引っかかるところがあった美咲は思いついたようにポツリといった。
「なにが?」
「友だちがいないってのが問題なら彩音が一緒にいてあげれば」
「……まぁ、別に星野さんがよければあたしはいいけどね。星野さんおもしろいし」
「結構効果あるんじゃないの? どうせ物を隠すくらいしかできないような小心者なんだから彩音がいればやりずらいんじゃない? あんたって無駄に友だちも多いし」
「無駄ってのは余計だけど……」
あたしはん〜っと少し頭をひねる。
そんな単純なことなのかな。でも、確かにものを隠すくらいの度胸しかないならそれもありかな。ただあんまいいたくはないけど、星野さんとは仲良くなりたいとは思っても、あたしはあたしの付き合いがないわけじゃないから四六時中一緒にいられるわけでもないし……
「なんか……こう〜、あたしの友だちに手を出したらただじゃおかないってのを公正名大にアピールできる機会でもあればいいんだけどのぉ」
「アピールねぇ……まぁ、クラス内でいきなりそんなこといったら彩音のほうが変人だわね。ところで、あたしの友だち、じゃなくて、あたしたち、ね」
「……そだね」
と、この時は方向性はそれなりに定まっただけで、その妙案がでることもなかったんだけど、意外にその機会はすぐ訪れた。