「……ん、ぁ……ん……」

 もやのかかったような頭の中、望は自室のベッドの上で目を覚ました。

「望!? 気が付いたの!?」

 それに即座に反応した人物がいて、望はその人物を目で確認して

「さ、………玲」

 どうにか呼び間違うことはなかった。

「っ……大丈夫?」

 玲は明らかに表情を変えながら、次の瞬間には心のそこから心配そうに声をかけた。

 沙羅と呼び間違えられそうになったものの玲はそうして、望の友達としての役目を果たそうとしていた。

「……うん」

 望は玲を沙羅と呼び間違えはしたものの、見間違えたわけではない。ただ、心にあった人物の名を自然に呼ぼうとしただけだった。

 そう、望の心には今でも沙羅の姿が一番にある。

「玲が、運んでくれたの?」

 体を起して、ここが自分の部屋だということを確認した望はうっすらと経緯を思い出しながら顔を見れずに質問をする。

「……そうよ」

「そう、なんだ。ありが、とう」

「……うん」

 玲も望の姿は心配そうに見つめるものの、うつむいている望の顔を覗き込もうとはせず言葉を捜すような表情をしていた。

「……………」

 望もまた今もこれからも全然考えられなくて、さっきぼんやりと見た夢のようなもののことを考えていた。

(……沙羅、は……どうしてるん、だろう?)

 口には出さずとも、それを考える望。

 自分の自覚している以上に沙羅を思っていることに気づかずとにかく沙羅のことを考えていた。

「ね、望。ご飯、どうする? そろそろ時間、終わっちゃうけど。……行きたくない、なら、ここに持ってくるわよ」

 玲はそれを察知したわけではないだろう。だが、少しでも望の意識を自分に持って行きたかった。沙羅のことなど考える隙を与えたくなかった。

「………ううん、いい。あんまり食べたく、ない」

「そう……」

「ねぇ、玲」

「何?」

「………沙羅は、どうしてるの?」

 玲に沙羅のことを聞く。それはしてはいけないようなことのような気がしてるし、聞くもの怖い。

 でも、気になってしまう。

 好きな人、友だちのことだから。

「やっぱり、あいつのこと聞くの?」

 沙羅の名が出た瞬間、玲はあからさまに不機嫌になる。

「…………教えて」

「っ……さぁ? あの後教室で別れて以来、知らないわよ。帰ったんじゃないの」

「そう、なんだ……あの……」

「心配しなくても、誰にも言ってないわよ」

「え……?」

「……そうして、欲しかったんでしょ」

 悔しそうに言う声が聞こえて、やっと望は玲の姿を見た。その苦々しそうな姿に望は感謝の念を覚える。

「ありが、と……」

「でも、もうあいつとは会わせないから」

「え?」

「あいつは、望のことを傷つけた。これからだって……何するかわからない」

「きず、つけた………」

 

「どれだけ私を傷つけていたのかわかる?」

 

「ひっ!!」

 頭をよぎった言葉に望は身をすくめ、両手を胸の前で交差させた。

(私……私が、沙羅を……?)

 そんなことはないと思いたい。そんなことはしていない。

 自分は沙羅の言うことをちゃんと聞いていた。沙羅のために尽くしていた。

 沙羅を傷つけるようなことはしていない。何もしていない。

(でも、でも……沙羅は!)

 あの時の沙羅が嘘を付いているようには見えない。いや、見える見えないではない。嘘をついていないということは心が感じていた。

「ね、玲……沙羅が、言ってたことって、本当、なのかな……?」

「………言ってた、ことって?」

 玲は望が何を言いたいのかに気づいている。どうせ避けられない話題と知りつつ、少しでも遠ざかろうとしていた。

「私、沙羅のこと傷つけてた、の?」

「っ………」

 「そんなことあるわけないじゃない!!」と、心では思っていた。感じていた。

 しかし、玲には望以上に沙羅の言っていることがわかっていた。沙羅の気持ちをわかりながら、望の芽生えてすらいない気持ちを知っている玲には、わかってしまっていた。

「そんなことあるわけないじゃない!」

 だが、玲はあえてそう言って見せた。

 望じゃない。傷つけたのは望じゃない。

 傷ついたのは、望で、傷つけたのは沙羅だ。

 どれだけ沙羅が傷ついていたとしても、それが事実だ。

 そんな思いを声に込めた。

「……でも」

「でもじゃない! あいつが、望のことを傷つけたの! あいつは望を傷つけて、笑ってるようなやつなのよ!」

「…でもっ……」

「でもじゃない!」

「っ……でも!! 沙羅、泣いてた……」

「っ。それ、が、どうしたっていうのよ!」

 この時からすでに玲は心配よりも苛立ちのほうが強くなっていた。

 望の気持ちがわかる。見えてしまうから。

「……沙羅、泣いてた。本当って、こと、なんだよね……」

「っ……」

「私が、沙羅のこと、傷つけてたんだよね……」

「……………」

「私、何しちゃったの、かな……?」

「……しら、ないわよ……」

 いや、知っている。

 望が沙羅を傷つけた理由。

 それは、望が沙羅を好きだからだ。自覚もないもない、幼稚園生が友達と一緒にいたいと思うような好き。

 でも、その好きはとても大きくて、無垢で、無邪気で……だからこそ沙羅には悪意の塊のようにしか感じられなかったのだ。

「……沙羅」

 泣きそうになりながら望はベッドを掴んでいた。ほんの数時間前に、今口にした相手にひどいことをされ、言われたというのに望はその名を呼ぶ。

 悲しそうに。

 心から心配そうに。

(なんでよ!!)

 望の思考は結局そこに行き着いている。あんな目にあったくせに。あんなことを言われたくせに、気を失うほどに心に傷を負ったくせに。

 わかってはいた。望は沙羅のことが好きだ。好きで好きでたまらないのだ。

 結局、望の気持ちは沙羅のところにある。

 悔しい。こうして物理的な距離を離そうとも、心は沙羅の元にある。

 沙羅を思おうとしている。

「……望」

 これから言うこと、それがおそらく無意味だということを玲は察している。自分では望を沙羅から引き離すことができないとわかっている。

「何で、あいつのこと気にするの。あいつが望に何しようとしたか、わかってる? あいつが望に何言ったかわかってる?」

「あ……ぅ……」

「あれがあいつの本心なのよ。望を泣かせておいて、笑うような最低なやつなのよ。あいつは、望のこと、友達だなんて思ってない。大切になんか思ってない」

「……ちが、うよ。沙羅は……沙羅は、私のこと……友達って……」

「だったら、なんであんなことがいえるの? どうして望のこと泣かせて笑ってられるの? 友達だったらそんなことできるわけないでしょ」

「……で、も……」

「でもじゃない!」

 同じようなやり取りを繰り返す。それがおそらく無駄だとわかっていながら。

「でも! 沙羅は友達だもん。私の大切な友達だもん。沙羅だって私のこと友達って思ってくれてるもん!」

 それは、玲に対しての反論というよりは、自分に言い聞かせているような言い方だった。

 揺らいではいるのだろう。

 もしかしたら、可能かもしれない。望の背中を玲の好きな方向へ押すことが、可能かもしれない。

 だが、ここまできても沙羅をかばう気持ちは、沙羅を想う気持ちは圧倒的に本物だ……

 あの時の玲の沙羅への怒りも、沙羅の望への憎しみもあの場だからこその本音。

 自分がひどいことをされそうになりながらも……沙羅をかばう。傷つけられたくせに、傷つけたことだけを想う。

 これが、望の、本音。

 玲が気づきながらも、決して望には知らせようとしてこなかった望の……気持ち。

「望……」

 玲は苦虫を噛み潰したような顔で、【妹】の名を呼んだ。

 あえて、望をそう見ることで自分の背中を押すために。

「望は、あいつ……沙羅をどう思ってるの?」

「え……?」

「好きなの? 沙羅のこと」

 今口にした好きを望は別の意味に置き換えているだろうと、いや、たぶん望にとって好きはすべて同じ意味なのだろうと思いながらも答えを待った。

「好き、だよ。友達、だもん」

 そして、ほとんど予想通りの回答が来た。

「……そう」

 何が望のためになるのかわからない。自分のことですら、はっきりとこれが最善などといえぬのに自分が思う、人のためなどどの程度の意味をもつのかわからない。

 だが、玲は痛すぎるほどに望の好きの大きさだけを知っていた。

「なんで、望が沙羅を傷つけたのか、教えて欲しい?」

「え……?」

 そんなことを言われるなど思ってもいなかったのだろう。望はほうけた顔で玲を見返し

「……っ!!??」

 あまりに唐突な口付けを受けるのだった。

3/十話

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