「あぁ、あと一時間だよー」

 四月上旬の部室。

 一般的な学校の教室の二倍ほどの大きさの中、以前ここに入っていた人たちが残していったという窓際のソファに座った玲菜は、文庫本を片手に斜め前の机でうなだれる小柄な少女、水鏡結月に視線を送る。

 結月との関係はこの場でいえば先輩と後輩にあたる。

 今年高校生になったばかりで、まだまだ体になじまぬ制服が初々しさを感じさせる。

(まぁ、似合うようになるようには思えないが)

 結月は制服を着ていても高校生に見えるような外見をしていない。

 背が小さいことに加え、あらゆる場所が発育不足で、それほど長くない髪の左側を大きなリボンで結わえているところも子供らしさを強調している。

 おまけに声も幼く、制服を着ていなければ間違いなく高校生に見てもらえることはない。

「少し落ち着いたらどうだ」

 玲菜は視線を本に戻しながら、妹のようにも姉のようにも思っている親友に声をかける。

「そんなこと言ったってぇ……」

「これくらいのことで緊張してどうする。そんなのでこれからやっていけるのか」

「うぅ……それは、そうだけどさー」

「ここにいつまでも二人きりというわけにもいかんだろう。そもそも、お前一人ではどうしようもないしな。せっかくここを知ってもらう機会なのだ。おまえがしっかりしなくてどうする」

「それは……そう、だよね。部活紹介くらい、ちゃんとやれなきゃね」

 二人が話しているのは、あと一時間後に迫った新入生向けの部活動紹介こと。各部の代表者が部員募集も兼ね、新入生に自分たちの部活を紹介するというどこの学校でもあるありきたりなもの。

 話を聞く方からすれば、目当ての部活以外は退屈な時間なのかもしれないが、紹介をするほう、特に創部してわずか数日の結月にとっては死活問題だった。

 ここでいくらか人を集められなければ、玲菜が言った通り活動もままならない。

「ふ、とにかく頑張るんだな」

 結月のことを勇気づけられたと確信した玲菜はまた視線を本へと戻し、すぐにもう一度結月を見た。

「しかし、なぜ児童演劇なんだ。この学校には演劇部もあるのになぜわざわざ児童演劇部など作る? そもそも中学の時は演劇部だったというのに」

「それは〜……ほら、乙女の秘密」

「またそれか」

 この質問自体何度目かではある。結月が入学する前、部活動の申請を出す時など幾度か同じことを聞いてきたが返ってくる答えもまた同じだった。

「まぁいいさ。お前がしたいというのなら協力するよ」

「えへへー、ありがと」

 そこで会話が途切れると今度こそ玲菜は本に集中する。結月も事前に考えてたという部活紹介のセリフをぶつぶつとつぶやきながらその時に備えていた。

 そして、残り時間が三十分を切ったところで

「あー、やっぱり緊張するー」

 三十分前と同じようなことを言いだす。

「……結月」

 玲菜はそんな結月にあきれ顔をする。

「ちゃ、ちゃんとするよ。でも、緊張しちゃうのはしょうがないじゃんー」

「我慢しろ」

「うわ、玲菜ちゃん厳しい。こういう時は緊張をほぐそうとしてくれるもんじゃないのー」

「そんなものを私に期待しないでくれ」

「あ、じゃあアレ、してくれたら落ち着くかも」

 結月の甘えるような声に玲菜は若干顔をしかめる。

「………ここでか?」

 ここ、というのは【学校】でという意味。

「だって、こういう時は玲菜ちゃんにアレしてもらうのが一番いいんだもん。大丈夫、誰も来ないよ」

「ふぅ、仕方ない。お前がそれでちゃんとするというならしよう」

「へへ〜。玲菜ちゃん優しいー大好き」

「ちゃかすな」

 玲菜は文庫本を閉じるとそれを脇に置き、膝からふとももにかけての箇所を軽くはたく。

「ほら、来い」

「わーい」

 まるでおやつをもらう子犬のように嬉々としながら結月は玲菜に近づくと、そのままソファに寝転がった。

 玲菜の膝を枕にして。

「はぁ〜やっぱり玲菜ちゃんのひざまくらはいいなぁ」

 心からそう思ってるような恍惚とした笑顔で玲菜を見上げながら結月。

「まったく、お前は高校生になっても変わらないな」

 対照的に玲菜はあきれ顔をしているが内心はまんざらでもなく思う。

「玲菜ちゃんのふとももが気持ちよすぎるんだもん。こんなんじゃくせになってやめらんないよー。世界中のどんな枕よりも玲菜ちゃんにこうしてもらえる方がいいな」

「大げさだよ」

「そんなことないって。ふぁーあ」

 手元に口をやりながら大きなあくび。

「おい、寝るなよ」

「ん〜、でも。昨日は遅くまで今日言うこと考えてたり、緊張して眠れなかったりしたから眠いんだよねー。ちょっとだけ、ね」

「なら、十分だけだぞ」

「はぁい」

 結月が目を閉じると、玲菜はいつもそうしているように軽く結月の頭を撫で、手に手を添える。

「ん、……すぅ」

 少しすると、結月が寝息を立てた。

(ほんとに寝たのか?)

 目を閉じるだけかとも思っていたが、どうやら結月は本当に寝てしまったらしく平坦な胸を規則正しく上下させ安らかな寝顔を見せる。

 時間になったら起こせばいいと軽く考えた玲菜だったがそれが過ちだったことになる。

「おい、結月。時間だぞ」

 十分たつと宣言通り玲菜は結月にそう声をかけ、軽く体を揺する。

 が、

「……んにゅー……くぅ……」

 結月は緩んだ笑顔をしたまま寝息を立てることをやめない。

「おい、結月!」

 今度は強く体を揺するが

「うゅー……ぐぅ」

 結月は一向に目を覚まそうとしない。

「結月、起きろ。時間だぞ」

 諦めずに声をかけるが結月の反応はその後も変わらず時間だけが過ぎていく。

「っく……」

 少ししてから時計を見た玲菜は、普段ほとんど見せることはないあせった表情をする。

 もう会場である講堂に行かねばならない時間だ。だが、見たところ完全に結月は熟睡してしまっている。このまま起こすのは可能かもしれないが、起こしたところで寝ぼける可能性も高い。そんな状態ではとてもまともな部活紹介などできないだろう。

 そして、今日を逃せば部員を確保できる機会は激減してしまう。というよりも発足したばかりのこの部ではもはやまともな機会はないと言える。

「…………」

 ひざまくらをしたまま玲菜は健やかな寝顔の結月を真剣なまなざしで見つめる。

 結月がなぜ児童演劇部を作ったのかは知らない。だが、このまま部員が集まらず活動もできなくなれば結月は間違いなく悲しむだろう。

 それは絶対にさせたくはない。

「……一つ、貸しだぞ」

 そうつぶやき、玲菜は結月をいったん持ち上げるとそのままそっとソファの上に寝かせた。

(もっとも、この程度ではお前から受けた恩を少しも返したことにはならないがな)

 と声には出さずに思って玲菜は部室を出て行った。

 が、思えばこれがすべての元凶でもあった。

 

 

(ふむ……さすがに緊張するな)

 檀上に立った玲菜は、眼前に広がる光景を見下ろしてそう思った。

 五百人を超える収容規模はその三分の一ほどしか埋まっていないが、その広大な空間はこういった場に立ったことのない玲菜を圧倒するには十分だった。

 また、当然ながら自然と集まる視線には動悸を起こさせる。

 さらに悪いことに玲菜にはこの場で言うべきことが用意されていないことも玲菜を焦らせる。

(だが、な)

 それでも玲菜は力のこもった瞳で前を向いた。

 ここで引くわけにはいかない結月のために。

「すぅ……」

 そう決心した玲菜は深く息を吸い込むとマイクに近づくため一歩前に出た。

「一年生諸君、私は児童演劇部のものだ。我が部はつい一週間前に発足したばかりで、他の部員は今のところいない。言うまでもないが演劇というものは一人でできるものではなく、誰かと協力してするものだ。つまりこのままでは活動もままならないものとなる。私はそうさせるわけにはいかない。いや、したくないのだ。そこで、君たちの力を貸して欲しい。経験や、技術の良し悪しを問うつもりはない。真面目に取り組んでくれるのであれば誰であろうと歓迎する。もし興味のあるものは明日の放課後、旧部活棟の二階にある部室を尋ねてほしい。以上だ」

 各所に視線を送り、講堂の奥の奥までも響き渡るような芯の通った声で、時に体を使いながらするさまは紹介というよりは短くはあるが演説に近いものであり、それはありきたりな部活動紹介があふれる中、明らかに異質なものだった。

 その結果、自分の目的の部活以外はほとんど耳を貸そうともしなかった者たちも含めほとんどの一年生の耳目を集め、自覚のない端麗な外見と、壇上で凛々しく堂々たる演説を行った姿に頬を赤らめて玲菜を見つめる生徒の少なくなかった。

 また、ついでに言うのなら見ていた人間の誰もが玲菜を部長と思って当然なものだった。

(まぁ、最低限のことは果たせただろう)

 だが、当の玲菜は演説の出来も、自分が憧れすら飛び越した感情を一年生に抱かせたことにも気づかず、自己を過小評価する。

 どうにか二、三人来てくれればいい程度に考え舞台裏に下がっていく玲菜はすでに頭の中を結月のことに切り替える。

(まだ、寝ているのだろうか)

 ソファでそうしている結月の姿を思い浮かべてはあきれながらも楽しげに笑う。

 どちらにしても今度は無理やりにでも起こして帰ろうと決め、玲菜は自分のしたことの大きさに気づかないまま講堂を去って行った。

(今日の夕食はやつの苦手なものにするか)

 思った以上に疲れたことに対するささやかな仕返し考えながら。

 自分の予測した人数をはるかに上回る数が明日部室を訪れることにも気づかずに。

 

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