玲菜には友だちがいない。
いるのは、妹のようでもあり、姉のようでもある親友、結月がいるだけだ。
同学年はもちろんのこと、上級生にも下級生にも玲菜は友だちがいるとは思っていなかった。
結月の外は唯一姫乃が知り合いというカテゴリに入るが、同年代の外の人間は玲菜にとってはクラスメイトであり、先輩であり、後輩であり、部員でしかない。
人づきあいはもともと好きでない上に、玲菜は外見に反して自分に自信を持っていなく、友人の出来ない自分を仕方ない程度にしか考えていなかった。
それでも一年生のころは話しかけてくる人間も多く、一緒の昼食に誘われたり、遊びに誘われたりもしたが、そのたびに玲菜は断り続けており、いつのまにか話しかけてくる相手も減り、いつも教室で一人本を読むのが玲菜の日課だった。
「あの、久遠寺、さん」
だが、時にはこうして話しかけてくる人物もいる。
「何か用だろうか」
パタンと、文庫本を閉じて玲菜は話しかけてきた相手を見つめた。
「ひゃ……ご、ごめんなさい」
少女は気弱な性格なのか、玲菜が本をつい大きな音を立てて閉じたのと、普段からの鋭い視線に気を悪くさせたのかと思いいきなり謝り出す。
「何を謝っている?」
だが、玲菜はそんな自覚などまるでなく自分では普通に聞き返しただけのつもりだったが。
「ご、ごめんなさい」
それすらもマイナスに受け取られ、可愛らしいショートカットを揺らし少女は頭をさげた。
「話を先に進めてくれないか、神守」
こういう反応をされたことはある玲菜は、また怯えさせてしまったなと思いつつも少女の名を呼んだ。
「え? あれ? 私の、名前、知ってるの?」
「去年一緒のクラスだっただろう。そのくらいは覚えているよ」
その言葉からわかるとおり、今玲菜の机の前に立つ少女は玲菜と同じクラスではない。今年どのクラスかまでは把握していないが、去年は一緒のクラスで、他人の興味のない玲菜でも名前くらいは言えた。
もっとも、洋子という下の名前までは覚えていないが。
「それで、なんの用だ?」
「え、えと……」
洋子は緊張した面持ちで周りを見回した。
「場所を変えたほうがいいのか?」
「う、うん。できたら」
「では行こうか」
わざわざ場所を変えたいといったからには、候補の場所があるのだろうと玲菜は洋子に前を任せ、半歩後ろから洋子についていきながら、白い壁に囲まれた廊下を歩く。
(昨日香里奈を見た後だからか、周りの人間か余計に小さく見えるな)
などと、昨日見事に自分のペースだけでなく部員全員のペースを乱してくれた珍しい相手のことを思い出していると思いのほか洋子の足はすぐに止まった。
「こ、ここにしよう」
連れてこられたのは、普通の教室ある校舎と理科室や音楽室など特別教室がある校舎をつなぐ渡り廊下だった。
人通り自体は少なくないが、そのほとんどが通り過ぎていくので話をする上では悪くない場所だ。
「それで、何の話だ?」
余計な話を一切挟むことなく玲菜は洋子を促した。
「あ、あの……この前、すごくかっこよかったよ」
「ん? この前?」
「部活紹介の、時」
「あぁ、あの時か。ん? 何故知っているんだ」
あれは一年生のみを対象としており、他の学年は入れないことになっている。可能性があるとすれば
「わ、私、文芸部、で。手伝いで舞台袖にいた、から」
こういうことだ。
「ふむ。そうか」
「あ、あんなにたくさんの人の前で、あんなに堂々として、本当にすごいって思った、の」
「別に大したことではないよ。しなければいけなかったからしただけだ」
クールに言い放つ玲菜。
「わ、私は、人前だとすぐ上がっちゃうし、あんな風にみんなの前で何かを言うなんて絶対無理だって思うから、本当に久遠寺さんがかっこよく見えちゃった」
それに心から羨望のまなざしを送る洋子。
「それはありがたく受取っておくが、私に用があるというのはそんなお世辞を言うことではあるまい?」
だが、玲菜は洋子の視線など意に介さず、本題を求める。
「あ……え、えっと………」
洋子にとっては今のかっこよかったと伝えるのも間違いなく本題ではあるが、本当に言おうとしていたことが別にあるのも本当で、そこに触れなければならないという自覚に、まごまごとなった。
「どうかしたか?」
普通なら、洋子にとっていいづらい話題なのだろうと察して待つところかもしれないが玲菜はそれに気づくことなく純粋にそう質問した。
「っ!」
だが、それを圧迫されているように感じた洋子は
「あ、あの! この前、経験がなくてもいい、とか……へ、へた、でもいいって言ってた、よね」
焦った声で話を始めた。
「あぁ、確かに言ったが」
「そ、それって、一年生、じゃなくてもいいの、かな?」
「特に学年は指定していないな」
「か、掛け持ち、とか、でも?」
「こちらの活動を真面目にしてくれるのであればかまわんよ」
「ひ、人の前で話すのが、苦手、とか、でも」
「プロではないからな。せめて面と向かっているときくらいはまともに話して欲しいが、それも徐々になれていけばいいのではないのか。私は君がやりたいというのであれば止めはしない」
先ほど洋子が話を躊躇していたのには気づかなかったが、これは流れから察知し、洋子がなかなか言い出せなかったであろうことを先回りする。
「あ、ありがとう、久遠寺、さん」
玲菜から言ってくれたことと、許しがでたことに洋子は心からの安堵の吐息を漏らした。
しかし、玲菜が次にもっともなことを口にすることによってまた胸を高鳴らせることになる。
「だが、なぜこちらに入ろうとする? 普通の演劇部のほうが指導体制もしっかりしているだろう?」
それはもっともな問いかけではあるが、ここに玲菜以外、例えば結月がいたとすれば少し前の会話を思い返せば明白だ。
「あ、あの……その。久遠寺さんが、いる、から。わ、私……だ、誰の前でも、こんなだから、もっとちゃんと人と話せるようになりたくて、それで、久遠寺さん、みたいに、って……思って」
「………ふむ」
理由自体は玲菜が好きなものではなかった。しかし、これが部活紹介の翌日に来た一年生とは違う理由であることくらいは玲菜にもわかる。
(どうも、過大評価されているようだな)
それ自体は迷惑な話だと玲菜は考えたが、わざわざ否定することでもない。それに、この見るからに引っ込み思案な少女が自分を変えるために積極的に何かをしようということ邪魔する必要はない。
「そ、それと……」
「とにかく、歓迎しよう。これからよろしく頼む」
一方的に玲菜は結論付けて、まだ洋子が何かを言おうとしていたことにも気づかずにこの数日で何度か口にしたことを再び声にし、
「あ、よ、よろしくね」
洋子もまた胸に秘めた言葉をもう一度口にしようとすることはなく玲菜が最近聞きなれた言葉を口にするのだった。