玲菜と二人きりの状況で話をする。

 それが何よりの難関だと姫乃は考えていた。

 玲菜の方からははっきりともう話したくないと言われているし結月と仲違いをしてしまった今となっては家に押しかけることもできない。

 学校などで無理に二人きりになったところで玲菜は話を聞いてくれることはないだろう。それで諦めるつもりなどさらさないが、伝えたい思いはあってもそれを伝える手段を持たないのが悲しいことに現実だと思っていた。

 だが、

 休日の昼下がり。所用で出かけていた姫乃が部屋に戻って見たものは

「……お邪魔しているよ」

 そこにいると想像すらできない人だった。

「玲菜、さん……どうして」

 ふらふらとした足取りでテーブルの前に座る玲菜のもとへ向かうと目の前に腰を下ろす。

 自然と右の手首に視線を送ってしまいながら。

「……君に少し話があってな」

「話、ですか?」

 もしかしてと期待をしてしまうのは姫乃でなくても同じだろう。

 玲菜が普通の人間ならばそれもいい。その期待が思い通りの結果をもたらすことだってあったかもしれない。

 しかし、相手は玲菜なのだ。

「……………………………」

 玲菜は目を閉じてままなかなか切り出そうとしない。いくら玲菜といえどこれから自分のすることがいかに身勝手で自分のことしか考えていないかをわかっているから。

 ただそれでもここに来たのは

「……結月と仲直りをしてもらえないか」

「っーーー」

 姫乃は血の気が引くようなうすら寒い気持ちになった。

 玲菜があまりに玲菜だから。

「この前、君のところから戻ってきた時に結月の様子がおかしかったのは、私のせいだろう?」

「それは……」

「大方結月に私の傷のことを聞こうとして喧嘩になったというところか。だが、結月は何も悪くないのだ。結月のことを許してやってほしい。悪いのは結月ではなく、私なのだから」

 淡々と言い放つ玲菜に姫乃は複雑な思いを抱かざるおえない。

 まずは泣きそうになり、ついでその気持ちは

「……いや、です」

 結月への嫉妬と憎悪に変わる。

 玲菜の立場からしてここに来るなどありえないことなのだ。あれほど隠そうとしていた傷を見られ、そのことに触れられることを恐れた玲菜からしたらありえないことなのだ。

 しかし……玲菜は来た。

 他の誰でもない、結月のために。

「……どうしてあんな奴のことをかばうんですか? あいつは玲菜さんのことを見捨ててるじゃないですか」

「………………」

「玲菜さんが……自分を傷つけているのを見過ごしてるじゃないですか」

「………………」

「玲菜さんのこと好きだって言いながら、玲菜さんのために何にもしてないじゃないですか。あいつの気持ちなんて口だけなんですよ。どうしてそんなやつのことを許さなきゃいけないんですか」

 本来ならばこんなことを言うつもりはなかったし、玲菜が結月のことを悪く言われて気分を害さないはずはなく、姫乃のしたいことからするとむしろ言ってはいけない言葉だった。

「……それ以上はやめてくれ」

 姫乃の言ってはいけない言葉に玲菜は低い声で答えた。それは注意や非難というよりも恫喝に近いものだ。

「………君がそれをどんな意図で言っていようと結月のことをそのように言うのは受け入れられない結月を悪く言われることだけは許せないんだ」

「っ……なんで、ですか。だって、結月は……玲菜さんのことを……」

「さっきも言っただろう。悪いのは私だ。私がこの傷のことに触れないでくれと頼んだ。結月はそれを受け入れたに過ぎない」

 そうだろう。そうでもなければ結月が黙っているなどありえないことっだ。

 だが、そんなものは関係ない。

「だから……だからなんだって言うんですか? 玲菜さんがそう言ったからってそれを受け入れるのが玲菜さんのためなんですか?」

「……そうだ」

「違う! そんなの違います! 相手が嫌がってるからってその人のためのことができないのなんて本当の好きじゃない! あいつは玲菜さんのことを助けるよりも、自分が玲菜さんに嫌われたくなかっただけなんじゃないですか! 自分のことしか考えてないだけなんです!!」

「……………………結月のことを悪く言わないでくれ」

 通常であれば結月をこんな風に言われればそこにどんな理由があろうと毅然と立ち向かっていただろうが、今の玲菜には絞り出すようにいうのが精いっぱいだった。

玲菜は自分の責任を感じている。結月をおかしくしてしまったのも、姫乃にここまで言われてしまっているのもすべて自分のせいだ。

 玲菜はずっと結月と姫乃を見てきてお互いがどれほど信頼し合っているかを知っている。その姫乃が結月のことをこうもなじっている。

「……君も、結月も、お互いのことを思いあっているだろう。君たちは一生の友になれるはずだ。私のことなどでその絆に亀裂を入れるなどあってはならないことだよ」

 それは正しいことだ。

 姫乃は結月のことを親友と思っている。これから先ずっと一緒にいたいと思える親友だと。こんなこととは言いたくないが、たった一つのことで親友を失うのは理性的ではないかもしれない。

「………なんで、ですか」

 正しいことを述べる玲菜に姫乃は悔しそうに言う。

「だから、さきほども言っただろう。私のことなので……」

「違う……違います。どうしてそこまで結月に尽くせるんですか? 玲菜さんにとって結月はなんなんですか………?」

 玲菜の行動の原動力が結月のためということを痛いほどの知っている姫乃は今まであえて聞かなかったことを口にしてしまった。

「結月は……」

 玲菜は言葉に詰まる。明確な答えが自分の中にないからだ。ただ玲菜が言えるのは。

「…………私の命に代えても守りたい大切な存在だ」

 心の中に確かにある想いだけだ。

 それが姫乃の満足する答えでないことはわかっていてもそう答える以外にはなかった。

「そうじゃない。そうじゃないんです。どうして結月のことをそんな風に思うんですか? 私はそれを聞いてるんです。どうして結月が大切なんですか? 結月の何が好きなんですか? そもそもなんで結月の家にいるんですか? そんなの普通じゃないじゃないですか」

「………それを正面から聞いてきたのは君が初めてだな。いや、当然の疑問か」

 そう当然の疑問だ。

 玲菜のことを知ってそれを気にかけない人間はいない。

「……答えたくはない」

 玲菜は無意識に服の上から傷のある場所を掴んだ。

「っ……そんなのは、ずるい、です。私に結月と仲直りしろって言って置いて自分は何にも言わないなんて」

「……その通りだな。言い訳のしようもないよ。だが、答える気はない」

 それは予想通りの答えで、今までならば今を壊したくない一心でそれを受け入れていた。今までならば。

「私のことなど気にするには値しない」

 いつも通り卑屈なことを述べる玲菜。それを受け入れられるほど今の姫乃には余裕がない。

「………あります。私は玲菜さんのことが知りたい。玲菜さんのことが全部知りたい」

(あぁ……止まらないかも)

 姫乃はそれをどこか遠くに思った。

 そして、思い直す。

(止まらなくて、いいや)

「なんで玲菜さんが結月の家にいるのか。どうして、学校に通ってなかったのか……」

 姫乃は思いのたけをぶつけながら玲菜に近づいて

「っ……!!?」

 玲菜の右手を掴んだ。

「なんでこんなことをしてるか。全部……全部、知りたい」

「……っ」

 服の上からとはいえ傷に触れられている。反射的に振りほどこうとしたがそれ以上の力を込めて姫乃は玲菜を捕らえた。

「………なぜ私のことなどを気にするんだ。私にはそんな価値はない」

 情熱的な瞳に玲菜は目をそらしてしまう。そこに本気の想いを感じて。

 そうまるで結月の時と同じような。

「なんで? そんなの、決まってるじゃないですか」

 もう自分の気持ちを止めるつもりはない。

 どのみちこれを避けて通るつもりはないのだから。

「ひめ……っ!?」

 何かを感じた玲菜はとっさに身を引こうとしたが、それより先に

「んっ!!?」

 姫乃の唇が玲菜の唇を塞いでいた。

 

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