キスをした理由。

 そんなの衝動的だったとしか言いようがない。

 玲菜への想いに結月への嫉妬が混ざって勢いでしてしまった。それ以外に言いようがない。

「っ……」

 甘い香り。花の香りのシャンプー? 何と言っていいのかはわからないけど玲菜にふさわしい品のある匂いがした。

(玲菜さん……玲菜さんっ……玲菜さん!)

 望みながらも諦めもしていた感触に玲菜のこと以外考えられなくなる。

「っ……ぁ」

 玲菜が体を引こうとしているが、姫乃は腕をしっかりとつかみそれを許さない。この二度と得ることができないかもしれないキスを離さない。

(玲菜さんの唇……玲菜さんとのキス……)

 頭の冷静な部分がこんなことをしている場合じゃないと言うがそれ以上に玲菜とのキスに夢中になる自分がいる。

 それほど玲菜とのキスは姫乃にとって甘美なものだった。

「んっ……ん、は、あ……んっ」

 逃げようとする玲菜を許さず、わずかに離れてもすぐに追いかけてついばむようにキスを続ける。

(玲菜さんの声、可愛い……綺麗……もっと)

 玲菜は本気で拒絶をしようと思えばできるはずだ。右手を掴まれてはいるが、左手は空いている。多少強引に姫乃を引きはがすことは難しいことでないはず。

 だが、玲菜は無意識にそれを避けていた。姫乃の行動の起因が自分にあるとわかってしまっているから。

「……ぁ、ぅ……ふ、あ……」

 お互いに実際よりも長く感じたキスを終えて呆けた顔で向かい合う。

「……ひめ、の……」

 玲菜はまるで初めてを奪われた少女のように呆然と姫乃を呼んだ。

「……………これが、私の気持ちです」

 姫乃は若干間をおいてから噛みしめるようにそう言ってから

「好きです。玲菜さんのことがずっと好きでした」

 一生伝えることができないと思っていた想いを吐き出した。

「………………」

 玲菜は何も答えず、張りつめた空気が二人の間に流れる。

 これまでの玲菜であれば何を言っているんだと軽く受け流していただろう。しかし、キスの重みが玲菜を縛り付けていた。

 その意味では衝動的であってもキスという行為に訴えかけた姫乃は正しかった。

「ずっと、ずっとずっと好きでした。小学校のころから玲菜さんのことばかり見てた。玲菜さんのこと知りたいって思ってた。もっと一緒にいたいって、結月の代わりに玲菜さんの隣にいたいってずっと、何年も思ってました」

 そして我慢をしていた。伝えてはいけないと耐えてきた。今を壊してはいけないと、せめて友人として玲菜の側にいたいと自分を縛り続けてきた。

「だから、知りたいんです。玲菜さんのこと全部」

 しかし、先ほどのキスでそれを解き放った姫乃はもう止まるつもりはない。

「……姫乃」

 玲菜は姫乃の迫力に気圧されていた。

 射抜くような情熱的な瞳。灼熱の想いを示すかのようなキス。玲菜を繋ぎとめる力だけではない何かを感じさせる腕。

 結月以外から初めて感じる好きという想い。

 いや、正確には結月以外から初めて認めた好き。

「わた、……私は、そんな……君に好かれるような、人間では……」

 好きを受け取った玲菜がしたのは姫乃も予想外の反応だった。普段の冷静さなどどこか遠くに消え去り、処理しきれない感情に翻弄される一人の少女がいるのみ。

「違う、違うんだ……私は」

「玲菜さん………?」

 取り乱す玲菜に姫乃もまた狼狽する。

「私は……私が……そんな…愛されるような……人間じゃ……」

 玲菜は空いた手を頭に当てながら自分を否定する言葉を吐こうとして、それすらうまくいかずに混乱する。

(玲菜さん……)

 何が玲菜をこうさせているのかわからない。何故こうも好かれる自分を否定しようとするのか。

 いずれにしても

(こんなの……見たくない!)

「んっ!」

 再び玲菜の口をふさぐ姫乃。

「……っはぁ! 好き! 好きです!」

 今度は一瞬で唇を離して代わりに強く抱きしめた。

 この想いを否定なんかさせないために。

「大好きです! 玲菜さんのこと何も知らないかもしれないけど、玲菜さんはこう言ってもらいたくないのかもしれないけど……」

 玲菜には相応の理由があるのだろう。それはもしかしたら玲菜のすべてに説明をつけられるものなのかもしれない。

 結月の家にいることにも、当たり前のように自分を否定することにも、自分の腕を傷つけていることにも。

 聞けば納得ができてしまうのかもしれない。

 だが、今はそれ以上に

「私は玲菜さんが大好きです。玲菜さんの昔に何があったとしても、私は出会ってからの貴女に惹かれたんです。今の貴女が大好きなんです」

 玲菜に自分の気持ちを伝えたかった。自分なんかなどと言わせないために。

「……ひめ、の」

 姫乃の気持ちが届いたのか、玲菜はわずかに自分を取り戻す。

「…………すまない」

 そして出てくるのはやはりこういう言葉だった。

「……君の気持ちが……偽りでないことはわかる」

 玲菜は何かに恐れるように言いながら、今度は苦しげに「いや……」と付け加えた。

 それは姫乃が普段感じているどこか世間ずれをした少女の顔ではなく、普通に生きてきた人間にはたどり着けない世界の違う表情。

「……多分、わかっていたんだ。君の気持ちは……」

「えっ」

 姫乃はハトが豆鉄砲を食らったような顔になる。それほどに予想外の言葉だった。玲菜は鈍感で、人の機微に疎くて、そもそも恋愛感情がまともにあるのかすら疑わしいと思っていたのだから。

「だが……そうだとは思わない様にしていた。……思えなかったというほうが正しいかもしれないな」

「どうして、ですか?」

「………………」

 玲菜が迷っているのがわかる。

 これまで頑なに、おそらく結月にすら壁を作ってきた玲菜。だが、秘密は隠したいと思う一方で誰かにわかってもらいたいと願う心を持っているもの。

 それは秘密の重さや大きさにかかわらず存在するものなのだ。

「…………」

 待つべきなのか、それとも何か行動を起こすべきなのか姫乃も迷い、

「っ。姫乃」

 玲菜の手を取った。今度は傷に触れることなく純粋に手を包み込む。待つのはもうたくさんだから。

 それを分水嶺を超えさせたのか玲菜は小さく口を開き

「……また、裏切られてしまうことが…………っ……」

 身を抱えた。

「れ、玲菜さん!!?」

 玲菜はいきなり涙を流し始めた。それは本当に唐突で玲菜自身も驚いているようだった。

「っは……ぁ……す、すまない。だめ、だ……話せない………っあ……考え、たくないんだ………」

 玲菜は呼吸を乱しながら、涙を流しながら、許しを請うようにそう言って姫乃に体を預けた。

「玲菜さん………」

 何が玲菜をこうさせたのかそれはわからない。だが、初めて見た玲菜の激情に姫乃は今は優しく玲菜を抱きしめることしかできなかった。

 

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