結局姫乃はあれ以上聞いてくることはなかった。
玲菜の雰囲気はそれを許すものではなくて、姫乃にできたのは玲菜を家に送っていくことだけ。それも途中でいいと言われてしまった。
引き留めるだけの理由が姫乃にはなくて、いや、理由があったとしても引き留められるはずもなく玲菜は一人自分の部屋に戻って行った。
それから夕食を食べることもなくずっと一人ベッドで泣きそうになっていた。
天井を見上げ、姫乃の部屋で向き合おうとした心の内を見つめている。
ただそれに手が届くことはない。
もやもやと自分で覆った膜につつまれ、決して玲菜の思考がそれに届かない様になっている。
長い時間をかけて幾重にも壁を作り、それを見ないことで玲菜は自分を守ってきたのだから。
(そもそも向き合えるくらいなら、こんなことはしていないさ)
手を上に掲げて痛ましい傷の残る手首を見つめる。
そんな心の強さがあれば自分で自分を傷つけるような行為になど走っていない。
「………ふふ」
自分を嗤おうとしたがそれすらもうまくゆかずかすれた声がでる。
向き合うことはできないくせにそこにあると意識しただけで今日のようにまともでいられなくなってしまう。
それほどの絶望が玲菜にある。
それは不治の病で、何をきっかけに爆発するかわからない心の中にある地雷で、いずれ向き合わなければいけない時限爆弾のようでもある。
このまま無視をして一生を過ごすことはおそらくできない。
しかし、向き合えば
(………死ぬ、かもしれんな)
それは………最悪の意味、自分で自分を殺すという意味だ。
「ふふ……ふふふふ」
先ほどはできなかった笑いが今度ははっきり出た。
その未来がある程度具体的にできてしまう自分があまりに可笑しくて。
「……………っく……う」
不意に涙が出てきた。これを考えることは不定期ではあるものの一定以上の回数はあったが今日は心が深いところまで潜り込んでしまった。
一番触れたくない心の近くまで意識が届いてしまった。
それは姫乃の前で泣いたくらいではまるでおさまらなくて、玲菜はベッドを下りるとふらふらと机に向かって行く。
引き出しをあけ、ナイフを取り出す。
(っ………)
それは慣れきった行為のはずなのに。
(怖い)
異様にそれを感じてしまった。
ただの無機質な鉄の塊が、何か妖気でもまとっているようなそんな妖しい雰囲気を感じさせる。
(っ……)
胸がドクンと大きくなった。
(う……ぁ……)
震える手でいつも通り刃を肌に押し当て……
「っ!!」
ガシャン!
その瞬間にナイフを落としてしまった。
予感が、した。
(まずい……)
このまましてしまったらきっと………
今までにないことが起きる。
それが先ほど想像した最悪の事態を招くかまではわからない。だが、きっと……
ドクンドクンドクン。
胸が高鳴っている。
(これは……不安? それとも…………?)
わからないまま玲菜は落としたナイフに手を伸ばした。
(……期待、なのか)
もう一度ナイフの柄を握り玲菜は冷静にそれを思った。そう、これは……期待なのかもしれない。
良かれ悪しかれこれまでと違うことが起きることへの、そんな未知のものへの好奇心。例えそれが自分が傷つくことだとしても、いやだからこそ昂揚しているのかもしれない。
「ふ……ふふ………」
玲菜は溢れる感情を笑いに変え、ナイフを握る手に力を込めた。
そして、今後こそ……
「っ!!!」
ガシャン!!
またナイフを落とす。
(……駄目だ……駄目だ駄目だ駄目だ!!)
本当に最悪のことが起きてしまうかもしれない。
死にたくないと強く思っているわけではない。ないが、その想像に体がすくむ。
(それに……なにより)
落としたナイフを拾う余裕もないまま玲菜はふらふらとした足取りで部屋を出ていく。
「っは、ぁ……はあ」
目的の場所は隣の部屋なのに、そのわずかな距離ですら息が詰まる思いがして、一歩一歩が重い。
(なんだ……なんなんだ……)
自分の気持ちがわからない。今何を考えているのか、何を思って足を進めているのか。
わからないまま、玲菜は溺れたものが海面を目指すように結月の部屋を訪れた。
「玲菜ちゃん?」
結月はすぐにそれに気づき声をかけたが玲菜は答えずうつむいたまま結月のもとに向かって行く。
「? どうか、したの?」
玲菜は答えない。
答えず結月との距離を縮めていく。
幸いなのか結月が都合のいい場所にいて、
「………玲菜ちゃん……っ!!?」
ボスン。
ベッドに押し倒して唇を奪った。
「んむっ! ちゅ、じゅ……ぷ、ぢゅる……んぱぁ」
玲菜は激しく舌を絡ませ、いきなりのことに驚く結月の抵抗を許さずに結月の中を蹂躙する。
「ぁ、ん……はぁ、んっ……ちゅく、くちゅ。っぱぁ……あ、玲菜、ちゃん……!!?」
キスが終わって距離が離れると視線が交差し結月は目を見開く。
「結月………」
泣きそうな笑顔。今にも崩れてしまいそうな、いや消えてなくなってしまいそうなそんな儚さを携えた顔。
「っ!!」
それに驚いていたのも一瞬で玲菜はすがりつくように結月に抱き着いた。
「……結月………結月!」
子供のように結月を呼ぶ玲菜。
(何か、あったんだ)
それを察する結月だが、それが何かなどわかるはずもなく玲菜の抱擁を受け止めることしかできない。
「………私を……」
弱々しい玲菜の声、強く抱きしめられているはずなのに頼りなく感じる腕。
玲菜の心がどれほど傷ついているかを否がおうにも感じさせてくれて、そして
「愛して、くれ」
初めて玲菜から求められた。
その意味を結月は察して、
「………うん」
と玲菜の体を抱き返した。