姫乃が見たのはあまりに意外な光景だった。
結月に、結月の知る限りの話を聞きいても経ってもいられずに玲菜のもとへと駆けつけた。
そこで見たのは玲菜がベッドの上で涙する姿だった。
「ひめ、の…………」
驚きの表情の中で玲菜の頬にはしっかりと涙の筋が流れている。
それは姫乃が、いや、もしかしたら結月ですら見たことのない玲菜の心をさらけ出した姿だったのかもしれない。
「…………玲菜さん」
何が起きているのかわからない。だが、まるで心当たりがないというわけでもない。いや、原因はわからない。だが、姫乃の知った玲菜の過去とこのところの出来事を思えば玲菜の心が不安定になるのは想像ができる。
これまでなら玲菜のその姿に戸惑うだけだったかもしれないが、玲菜の心の傷の一端を知った今の姫乃は
「……玲菜さん」
まっすぐ玲菜に向かっていくと
「っ!?」
玲菜のことを包み込んだ。
何があったのかとか、大丈夫とか、そんな当たり前の言葉を飲み込みただ苦しむ玲菜のことを少しでも楽にさせたくて。
「……………」
その玲菜のためを不自然な行為が玲菜に姫乃の意図を察知させた。
「…………結月に何か、聞いたのか?」
見られたくない姿を見られてしまったと自覚しながらも玲菜は冷静にそれを問いかけた。
「………はい」
「………そうか」
結月が話せる玲菜の秘密。
それは、軽々しく他人に話していいものではないし、玲菜はそのことを考えることすらこうして涙をするきっかけになってしまう。
そんな秘密を結月に話させてしまった。
(………私は、何をしているんだ………)
秘密を知られたということよりも結月にそれをさせてしまったことを悔いる玲菜。
「………………」
その自戒が玲菜を冷静にさせる。
玲菜は姫乃の手を取ると、それを外して姫乃から距離を取った。
「…………情けないところを見せてしまったな」
「いえ……」
「………だが、君と話すことはないよ」
知られてなお玲菜はそう言った。
話せるわけがない。それは思い出してつらいからという理由だけではない。結月にすら話していないことを他人に話してはいけないと無意識に思っているから。
「そもそも、聞いたのだろう。私が………」
相手にそれを知られているということをわかっていても玲菜は次の言葉を躊躇した。
「親に……捨てられたということを」
「……はい」
「そのことについて君が何かを言えるのか?」
「………いいえ」
玲菜が捨てられたことに対して姫乃に言えることはない。
同情することも、玲菜の両親に怒りを持つことも軽々しくしてはいけない。いや、軽々しくじゃないとしても、どんな気持ちを持ったとしても玲菜が喜ぶことはないだろう。
だから姫乃が今日ここに来たのはそのことではなくて
「………どうして、リストカットのこと結月に話せないんですか?」
このことだ。
「っ?」
「玲菜さんが何で結月と一緒に暮らしているか聞きました」
不自然なほどに玲菜が結月を思う理由。それも話を聞けば納得がいく。
「玲菜さんが、結月のことを大切に想ってる理由も……わかるなんて言えないけど、わかります」
文字通り命を助けられた相手。過剰にも見えるが、すべてを結月のためにというのも否定できる感情ではない。
だから、なおさら不自然だ。
その相手に自分の秘密を話せないことが。玲菜には他に頼る相手はなく、悩みでもなんでも結月へと向かうのが当然のはずなのに。
「……普通なら、結月に話しをします、よね」
もちろん、結月に迷惑をかけたくないという気持ちがあるのかもしれないが、そうだとしても結月が願うのであれば話せてもよさそうなものだ。いや、話せなればおかしい。
なぜならそのせいで結月が苦しんでいるのだから。
つまり、そこから導き出される答えは
「………それとも、結月にだから話せないんですか?」
「っ………」
玲菜の表情が一瞬崩れる。心の触れられたくない部分に触られて。
その一瞬に姫乃は、結月の話を聞いてからずっと考えていた可能性を確信に変える。
「……玲菜さんがしてる理由……」
それは結月が考えられない理由。思ったとしても、本気に思えない理由。しかし、玲菜と結月の関係を見せつけれてきた姫乃だからこそ、その疑問にたどり着き。
「結月が原因なんじゃないですか?」
玲菜の捨てられたこと以上に触れられたくない心を見つめることができた。
「っ!!!」
玲菜は息を飲み
「違う!!」
次の瞬間には大きな声で叫んでいた。
感情をむき出しにした必死の顔。
心の底から否定しようとしている。
「そんなこと……あるはずないだろう!? 私が勝手にしているに過ぎない。結月は何も関係などない。すべては……私が!」
だが、その反応こそ姫乃の言葉が真実だと物語る。
「ちがう……ちがう……………ちがうんだ……」
玲菜は姫乃が見えていないかのように、呆然とつぶやきだした。
「私は……私が、自分で……結月は何も……」
この姿を見て姫乃の言ったことを否定することなどもはやできない。
玲菜の自傷行為の原因は結月に起因している。
そのことを姫乃に否定させることはできなく、ましてや玲菜自身にはさらに不可能なことだった。
(………………………………………………)
「玲菜…さん……?」
玲菜の顔から表情が消え、代わりに涙が頬を伝う。
その姿に姫乃は名前を呼ぶが玲菜は微動だにせずに呆然とするのみ。
(違う……違う……違う。違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う)
一度考え出したらもう止まらないのはわかっている。だが、それでも玲菜は必死に、いや病的に否定をする。
なぜ自分がここにいられるのか、誰に命を救われたのか、それをわかっている。
自傷行為ができることすら結月に救われなければできなかったこと。
それが結月のせいだと認められるわけがなかった。認めていいはずがなかった。
だが
「うあ……ああぁあああぁあ!!」
【結月のせい】だということを誰よりもわかっている玲菜はもはや自分を抑えきることができず心が壊れてしまったかのように叫びだしていた。
「玲菜さん!!」
こんなことになるとは思っていなかった姫乃はその責任を感じながらも、溜まらずに玲菜を抱きしめるが
「ぁああ、ぅあああぁあああ!!」
姫乃のことなど認識すらできないように玲菜は心が枯れるまで泣き続けた。