約束、ですからね。
「……………」
姫乃の去った部屋で玲菜は、姫乃と話した場所から一歩も動けずにいた。
「……約束、か」
姫乃の言葉が深く胸に刺さる。
(……勝手なことを言う)
とは思えない。
玲菜は機微に疎いが、人の本気を感じられないほど鈍くもない。これまではそれに気づいても見ないふりをしたが……
(………ここで、約束を果たさなければ私は、それこそ最低なのだろうな)
姫乃が自分を好きだという気持ち。
それを姫乃は玲菜に伝えた上で、姫乃は結月との仲を取り持とうとしている。
玲菜のためと信じて。
その気持ちを無視できるはずはないし、していいはずはない。
(……それに……)
結月とは、話せるじゃないですか。
また姫乃の声が胸に響く。
(……その通り、だよ)
結月には言葉を交わし、気持ちを伝えることができる。
(……こんな簡単なことに気づけなかったとはな)
話をすることすらできない絶望を誰よりも知っているはずなのに、それに気づけずさらには結月にその苦しみを押し付けた。
自分を守ることに精いっぱい過ぎて、結月の気持ちをわかろうともしていなかった。
恥ずかしいと素直に思うし、姫乃の言うとおりもするべきだということもわかる。
ただ……
玲菜は自分の体を抱いた。その手はかすかに震えている。
姫乃の気持ちに応えなければと思う、結月のために話をしなければと決意もした。
それでも恐怖はある。
話をして結月に嫌われるかもしれないということもその一つだが、それ以上に。
(……傷つけてしまうだろうな)
この一事が玲菜は怖かった。
自分が嫌われるのならば自分の責任と受け入れよう。しかし、結月が傷つくことだけは耐えられない。
尊敬し、嫉妬もしていてもこの世で一番大切なのは結月だ。その結月がもし、自分などのせいでもしかしたら再起不能な傷を負わせてしまったらと思うと。
「……結月」
玲菜は結月の姿を思い浮かべる。
今ここにいられるのはすべて結月のおかげ。
自分はそんな結月のことを愛している。
ただ、ふと考えてしまう。
結月を愛する気持ちはどこからきているのだろうかと。
結月への罪の意識から結月を思うようになったのか、それとも結月を想っていたからこんなにも罪悪感を感じるのか。
自分が結月を想う気持ちは、結月のためなのかそれとも自分のためなのか。
真実を告げ結月を傷つけてしまうことと、このままの関係を続けること。どちらが結月のためで、どちらが自分のためなのか。
(……いや、そんな問い何も意味がないか)
どれだけ考えてもそれは玲菜の考えであり、玲菜の答えだ。
こうだったらいい、こうだったら嫌だという自分の願望を結月に押し付けているだけだ。
そこには必ず齟齬が生じる。
それは玲菜は結月ではないのだから当然のことで、その差を埋めるには
(話をすること、なんだろうな)
頭ではそれをわかっているし、こんなことは今までだって程度の差はあれ考えてきたこと。
そして今までは、責任感や罪悪感以上に結月を傷つけることを、結月に嫌われることを恐れてしまった。
今は……
大丈夫ですよ、結月は……玲菜さんが思っている以上に玲菜さんのことを大好きですから。結月を信じてあげてください
姫乃の言葉が心に響く。
「……信じる、か」
その言葉を玲菜は他人事のようにつぶやいた。
してこなかったかもしれない、と。
今はまだ完全な決意ではないのかもしれない。今は本気で決意をしたつもりでも、結月を前に揺れてしまうかもしれない。
(それでも……)
姫乃の言葉を噛みしめると、いつのまにか体を抱く腕の震えがとまっている自分がいた。