「……………」

「……………」

 玲菜の部屋。

 部屋の中央で二人床に座り玲菜は結月を見つめ、結月は玲菜を見れずに二人の間には不穏な空気が流れている。

(……思えばさまざまなことがあったな)

 ふと、玲菜はそのことを意識した。

 小学校の頃は学校に通うこともできず、結月と本だけが唯一の世界だった。

 中学生になると、相変わらず学校には行けずにいたものの小学校時代から訪れていた姫乃が来ることも多くなり少しだけ世界が広がった。

 過ちを犯したのも同じ時期。

 二つの大きな過ち。

 結月への嫉妬、妬みからの自傷行為。

 そして、結月との歪んだ関係の始まり。

 いけないとわかっていながら戻ることもできず、いつか袋小路に辿り着いてしまうことがわかっていながら過ちは今この瞬間まで続いてしまった。

(……ここで、終わりにしなければな)

 はっきり言わせてもらえば、自傷行為に関しては結月との関係を清算したとしても止めることができるかはわからない。

 だが、結月との過ってしまった関係だけは終わらせなければならない。

「………結月」

 玲菜は決意を持って、この世で一番大切な相手の名を呼んだ。

「……………」

 ただ、その相手は憂い顔のまま玲菜を見返すだけだった。

 姫乃の言葉により話す決意はしたものの、玲菜の秘密を話してしまったという罪悪感と、それによって玲菜に嫌われてしまうかもしれないという可能性に怯えてしまっている。

「……お前が、謝ることなど一つもない」

 結月が自分の秘密を話したことにより傷ついている。それもわかる玲菜はまずはそのことを口にした。

「お前は、私が………捨てられたということを姫乃に話したことを気にしているのだろう」

「……………」

「気にしていない、と言えば嘘になる。だが、それによって私がお前のことを嫌いになるなどありえないことだよ」

「……………っ」

 結月はそれがわからないわけではない。だが、それもまた刷り込みではないだろうが玲菜に嫌いになるという選択肢がないだけで、玲菜の心を、傷を抉ってしまったことにかわりはないと思っている。

「……言い方を、代えさせてもらおう」

 玲菜もまた結月が何を気にしているのかを察し言葉を変えた。それもわざと結月を刺激する言葉に。

「私はお前を恨んでなどいない。姫乃に話したことをむしろ感謝している」

「なに……言ってる、の?」

 玲菜の思惑通り結月は反応を見せた。

「そんなわけ、ない、じゃない」

「本当だ。お前と向き合うきっかけをくれたんだからな」

「なんの、こと?」

 結月は玲菜の理由を知らない。自傷行為は捨てられたということだけが原因だと信じている。

「………正直に、言わせてもらう」

 玲菜は結月を強いまなざしを持って見つめる。

 これから発する言葉はこれまで玲菜が口にしてきたどんな言葉よりも勇気が必要だ。

 その勇気がこれまではなかった。話そうと思ったことは幾度となくあっても、そのもたらされるかもしれない事態に怯えてしまっていた。

「私は……お前を」

 だが、今は姫乃から決意をもらったから。自分を投げ打ち二人への献身を選んだ姫乃から勇気をもらったから。

 二人が傷つけあうだけの関係にピリオドを打たなければならない。

「ずっと、うらやましいと思っていた」

「え……?」

「いや、……妬ましいと思っていたんだ」

「ぇ……?」

 結月は何を言われたのかわからないという表情になった。

 秘密を話してしまったことを叱咤されることならば覚悟をしていた。だが、嫉妬されていたなど結月には想定外のこと。それほどに結月は自分と玲菜の関係を信じていた。

 自分たちの関係は異常ではあっても、自分は玲菜を、玲菜は自分を想っている、完全でなくとも心を通じ合わせていると疑ってなどいなかった。

「玲菜、ちゃん……?」

 信じられないという力のない声を聞きながら玲菜は更なる言葉をつづける。

「お前には言い出せなかったが……自傷行為をするようになったのもそれが、原因の一つだ」

 今続けている理由は複雑になりすぎていて結月への嫉妬ではなくなっている。

 しかし、するきっかけを作ったのは紛れもなく結月に対する負の感情だ。

「う、そ……」

 結月の顔が見る見るうちに色を失っていく。自分が玲菜を苦しめていたなど想像もしたことのない。いや、むしろ自分は玲菜を救ってきたという自覚がある。

 現実とは思いたくなかったが、玲菜がこんな冗談をいう人間でないことは誰よりも知っている。

(私が……玲菜ちゃんのことを傷つけていたの? 私のせいで玲菜ちゃんが自分を……?)

 信じれない、信じたくないという思いが体の奥からどんどんと膨らみ

「あ……」

 涙となってあふれる。

(嘘……嘘…嘘!)

 泣き叫びたかった、いや謝ってしまいたかった。理由ははっきりせずともとにかく許しを乞いたかった。

 しかし、その手前で踏みとどまる。姫乃のことを思い出したから。

 だから、

「どう、して……?」

 感情に任せずに一番しなければならないことをできた。

 玲菜はそんな結月を見つめてやはり姫乃への感謝を持った。結月へと本当の気持ちを伝えられることに対して。

「お前には言うまでもないだろうが、私は……自分のことを不幸だと思っている」

「……うん」

 それを否定できる人間はいないだろう。親に捨てられたことを不幸だと言えないはずはない。

「……お前のおかげ今こうしていられるが、だから、こそ……お前をうらやましいと思ってしまう。裕福な家庭。優しい両親。帰りを待ってる人のいる家。多くの友人たち。私が……持っていないものばかりだ」

「っ……」

「自分でもわかっているさ。こんなものはただの八つ当たりにすぎないと、だが思ってしまったんだよ。私は何も持たず、何もできず、当時は学校に通うことができずにこの家にいただけの何もない私から見たお前は、あまりに眩しすぎて……自分があまりに惨めに思えたんだ」

「だから……した、の?」

 理由を聞いてもそれが結月の中では自傷行為とは結びついては行かない。

「……そう、だな。だが、それだけでもない」

 結月はきっかけであり原因は別にある。

「……私は、自分を否定することに抵抗がないんだ」

「え?」

 言葉だけでは何を言っているのかよくはわからなかった。しかし、玲菜の諦めたような表情がその傷の深さを示しているような気がした。

「お前はそんなことがないというかもしれないが……私は、自分が悪いから、捨てられたと考えている。両親にとって【いらない】から捨てられたのだと」

「っ。玲菜ちゃん……!」

「私だって! 思いたくはないさ! やつらは自分たちの都合で私を捨てたのだと、私は何も悪くないと思っている! だが、それでも………」

 玲菜は胸に渦巻く感情に顔を歪ませ、絞り出すように

「……消せないんだよ」

 と、苦渋に満ちた表情で言う。

「……………」

 結月は言葉に詰まる。玲菜の言っていること。理解はできる。

 子供にとって絶対なのはまず親なのだ。価値の基準はそこで作られる。その親からどんな形であれ捨てられたのであれば、玲菜のように自分を卑下することは普通に思えてしまうのはありえてしまうことで、それはとても悲しいことだ。

「こんな価値のない自分と……命を救ってくれた相手を妬むような醜い自分が……嫌だったんだ。こんな私は消えてなくなればいいと……そう、思った」

 泣きそうな顔にそう言ってから、玲菜は「……本気でする勇気もないくせにな」と皮肉めいた顔で笑う。

「私はお前と比較していつも惨めになっていた。価値のない自分を再認識させられるようで、怖かったんだ。そんなことを思う自分が嫌でますます私は自分を否定するようになった……その結果が、これだ」

 袖をまくり改めて結月に傷をさらす。

 赤黒く変色した傷痕。そこに見えるのは玲菜の自己否定と自己矛盾のかたまり。

「……お前には話せなかった。話せば、お前が責任を感じてしまうことはわかっていたから。……今更、こんなことを言っても信じてもらえないかもしれないが……お前を大切に想っている。だから……私などのせいで傷つけたくはなかった」

 自分が矛盾していることを玲菜は自覚している。説得力のかけらもないこと言っていることも。だが、これは本心だった。

 結月に対する負の感情と、結月に救われたことに対する感謝や親愛はまったく別のもの。

「しかし……結局はそれも間違いだったな。傷つけてしまうことに変わりはなかった。……今更、謝罪など遅すぎるし、許してくれなどとは言えないが……謝らせてほしい。すまなかった、結月」

 苦悶の表情で頭を下げる玲菜。

(玲菜ちゃん……)

 謝罪を向けられた結月をどうすればいいのかわからず、玲菜の名を呼ぶことすらできない。

 自分の存在そのものが玲菜を傷つけてしまっていた。それは当然ショックだ。だが、それを謝ることはできない。結月に自覚をしろというほうが無理な話であるし、ここでの謝罪は玲菜にとって益をもたらさないはずだ。

 だからといって玲菜の謝罪を受け入れることもまた何かが違う気がする。

 それはこの場を収めることはできるかもしれないが、本当の意味での解決にはきっとならない。

(なら………)

 何をすればいいのかはっきりとはわからない。

 しかし、結月は自分の中の想いに従い

「玲菜ちゃん……」

 頭を下げる玲菜の手を両手で包み込んだ。

 

12−2/12−4

ノベル/玲菜TOP