その日、玲菜は珍しく一人で出かけていた。
大型連休の間ということもあり、玲菜の立場として出かけるのは普通のことだろうが、玲菜は学校以外で出かけるのは、結月と一緒のことがほとんどでそれ以外では、食事の買い物か本屋に行く程度だ。
「ふむ」
休日だというのに制服姿の玲菜は駅前の時計台を見つめながら軽くうなづく。
その時計は朝の八時を少し回ったところだ。どこか行くにしてもかなり早い時間だ。
(早く来すぎてしまったようだな)
実はここで人と待ち合わせをしている。待ち合わせの時間は八時四十分でまだかなりの時間があった。
(まぁ、遅れるよりはいいだろう)
そう思いながら玲菜は腕組みをして待ち合わせ場所になる駅の入口に立つ。普段の玲菜なら時間の余っている時は本を読みながら過ごすが、今日は二人きりで出かけるということもあり持ってきてはいない。
だが、玲菜はとくに退屈だと思うこともなく時折時計を見上げる程度だった。
(結月はもう起きただろうか)
時計が八時半を回ると玲菜はそんなことを思う。
休みの日であっても、玲菜は平日と起床時間を変えることはない。休みの日だからといつまでも寝ているのはだらしないとすら思っており、普段であれば結月を起こす時間だった。
おそらくは起きていないだろうと考えながら、さらに結月のことを思う。
(今日は連休の宿題をすると言っていたが、きちんとするだろうか)
結月は不真面目ということはないが、追い込まれるまで実力を発揮しないことも多い。帰ったら成果を確認しなければならないなとこれから他の人間と出かけるにも関わらず結月のことを考える玲菜だったが、それは不意に中断される。
「玲菜せんぱーい」
元気のいい声をかけながら玲菜によってきたのは
「天音」
部活の後輩である天音だった。胸元にリボンのついたフリルブラウスに薄い紫色のスカート。春らしく、また天音に似合う格好をしている。
「すみません。待たせちゃいました?」
「いや、私も今来たところだよ」
実際はかなり前からここにいるが、玲菜はお約束のようにそう答える。
(嘘、ついてるな)
天音は口には出さないがそれを察した。相手が嘘をついているかどうか、演技をしているかどうかは人一倍反応できてしまうのが天音だった。
だが、自分との待ち合わせに早く来てくれたというのは天音にとって予想外の喜びでもあって、それを口にすることはない。
「それにしても、なんで制服なんですか?」
代わりに天音は、もっともな疑問を口にした。
「君の母上と会うわけだしな。まともな格好をしていかねば失礼だろう」
「そ、そんなに気を使わなくても」
「いや、君には感謝をしている。部を代表としていくのに、失礼なことはできないよ」
「そ、そうですか」
あーあ、玲菜先輩の私服が見られると思ったのにな。という言葉を押しとどめて、代わりにこの方が玲菜先輩らしいと思う天音は
「ところで君のほうはなかなか可愛らしい格好だな」
「へ!?」
唐突にあまりに予想外な一言を言われ変な声を上げてしまう。
「あ、ああ…、ありがとう、ござい、ます」
自分ではそれなりに気合を入れてきたつもりだが、玲菜に可愛いなどと言われるとはまったく考えていなくしどろもどろと返すしかなかった。
「うむ、よく似合っているよ」
「っ―――」
さらに玲菜から同様のことを言われて天音はみるみる赤面していく。
「えと……と、ととりあえず行きましょうか」
玲菜に言われるのはもちろん嬉しいことではあるが、全く心の準備ができていなかったこともあって、その恥ずかしさに耐えきれず天音はごまかすようにそう言って先に駅舎へと向かって行った。
すぐに玲菜も続いて二人は電車に乗り込む。
二人はこれから天音の母親に会いに行く。
といっても、それは天音の家に行くということではなく、天音の母親が所属している劇団の公演を見に行くのだ。
きっかけは、玲菜と結月が同居していることにショックと焦りを感じた天音が玲菜を誘ったことにある。
参考にという建前で演劇を見に行こうと誘ってきた天音に対し、当初玲菜は部長である結月を誘うべきだと断ったが天音が母親に先輩を連れていくと約束してしまったという言葉を受けて、承諾することになった。
実はそれは玲菜と二人で出かけたいがための嘘ではあったが、玲菜はそれを疑うこともなくこうしてついてきた。
もともと玲菜は演技をする気はなく、結月が行くべきだというのは本音ではあったが、生で演劇を見るということに興味がないわけではなく、また自分のように輪の中に入らない人間がこうした経験をしておくのは後々結月のためになるかもしれないということもありそれなりにこの日を楽しみにしていた。
「へへー、玲菜先輩とデートなんて夢みたいです」
同じように、いや、玲菜以上のこの日を待ち望んでいた天音は嬉しそうな笑顔を見せながら、混んでいるわけでもないのに必要以上にスペースを詰めてというよりも密着をして玲菜に甘える。
「ふむ、こういうのもデートというものなのか?」
玲菜の範疇にはこれはデートという定義に当てはまらないものではあるが、自分が世間知らずであることを自覚する玲菜は天音の言葉を真に受けて返す。
「もう、好きな人と二人で出かけるって言ったらデートに決まってるじゃないですかぁ」
一方、この一か月間で玲菜は普通とは大分違う感覚を持っていることを知っている天音はここぞとばかりに自分の意見を押し付けようとする。
「なるほどな。となると、今まで結月と出かけていたのもデートになるのか」
「っ……結月と出かけたりするんですか」
一緒に住んでいるのだからそのくらい当たり前かもしれないが、この状況で玲菜は結月の名前を出したことに不満を感じつつも、疑問返す。
「あぁ。というか、結月と以外では今日が初めてだな。改めて考えると」
「えっ!?」
それはさすがに予想外の言葉だった。この年になり、デート……というか、友だちとどこかに出かけたことがないというのはかなり特殊なケースだ。
「そっ……う、嬉しいです。玲菜先輩の初めてが私だなんて」
そのことを詮索しようかと一瞬声を出すが、天音はそんな自分を抑えた。
玲菜に何かがあるというのはもう部員全員が知っていることだが、それをむやみに聞いてはいけないという暗黙の了解なものが出来上がっているから。
話せば話すほど、玲菜のことは気になっていくがそれを軽々しく聞くことができないというジレンマを抱えつつ、天音は会話を途切れさせることなく目的地の駅まで向かって行った。
「どうやらこっちのようだな」
電車で一時間ほど移動しついた駅で周囲の地図を確認した玲菜は目的の会場がある出口を見やる。
「はーい」
これから向かうのは一般人でも名前は聞いたことはあるような劇場だ。そのような場所で公演をするということだけでも天音の両親がただものでないことがわかる。
「えへへ、すみません。今日のところは私も初めての場所だったから」
「気にすることはない。幸いにして遠くはないようだしな」
「玲菜先輩優しいー」
「この程度で、優しいとは言わんだろう。……ところで、だ」
「はい? なんでしょうか?」
舗装されたコンクリートの道を歩きながら玲菜は足を止めて、天音を見る。腕を絡ませながら歩く天音を。
「なぜこんなことをする?」
「えー、嫌ですか」
「そういうことではなく、歩きづらいだろう。転ぶ危険も増す」
「はぁーい」
もともと、本気というよりは玲菜の反応を見るためにしていたということもあり天音は素直に玲菜から離れ、勢いで軽く反動をつけながら
「あぁーあ、ざんね……きゃ!」
玲菜の前でくるっと一回転しようとしたところでバランスを崩した。
そのまま、地面へと一直線というところを
パシ
素早く玲菜は天音の腕を掴み自分の方へと抱き寄せた。
「わ、わわわ」
先ほど自分から抱き着いていた割に、玲菜からされたことに転びそうだったことよりも動揺した。
「ふぅ。大丈夫か」
まるで漫画かドラマのようなシーンだが、玲菜は普段通り落ち着いたまま、あっさりと天音を開放する。
「まぁ、こういうこともあるのだし離れていてよかったな。腕を組まれたままでは一緒に転んでいたかもしれんし。この年になり、二人して道端で転ぶなどかなり間抜けな光景だぞ」
クールに言い放ち玲菜はいくぞと声をかけて、まるで何事もなかったかのように歩き出す。
そんな玲菜に見とれてしまう天音。
「どうかしたのか?」
「い、いえ!」
声をかけられた瞬間には我に返りすぐに並んで歩き出すものの
(間抜けっていうか……かっこよすぎです)
と、玲菜が聞いてもピンとこなさそうなことを思いながら玲菜に熱い視線を送った。