翌日普段通りに部活動が行われ今日も天音の指導の下、いつもの練習風景が玲菜の目に映る。
だが、天音の様子がいつものと同じではなかった。自分では普段通りを装っているつもりなのだろうが、時折呆けたり、セリフを忘れてしまったりとおおよそ天音らしくない姿をさらす。
昨日のことが関係しているのは間違いないだろうが、玲菜はもう一つ気になることがあった。
それは今日の昼休み前。移動教室から戻ってくる途中、玲菜は天音を見かけた。
校舎と併設してある部活棟。そこに天音がいた。
この時玲菜がいたのはクラスがある校舎と、特別教室がある校舎、そして部活棟を結ぶ渡り廊下で空いているドアから天音が見えたが
(…………)
その表情は昨日陰口をきいたときと同じか、それ以上に暗く鬱々としたものだった。
昨日のこともあり、玲菜は声をかけようかとも思ったが、そう思った瞬間に天音は玲菜がいるのとは逆方向に歩き出してしまいそれは叶わなかった。
ただ玲菜は天音が何を見ているのか確かめようとその場所に近づいて、天音の表情の理由を察する。
天音が見ていたのは、演劇部の部室だった。
(………………)
そのことと、昨日のこと。【デート】のこと。そして、天音がここにいる理由。それらが玲菜の中でうっすらとつながっていた。
「天音、少しいいか」
練習が休憩に入ると玲菜は天音にそう声をかけ、少し驚いたようにはいと返事をした天音を部室の外のへと連れ出した。
そのまま建物を外へと連れ出し、人気のない校舎裏へ連れてきた。
「ここなら、人もこないだろう」
「も、もうー、どうしたんですかぁ。こんなところに連れてきてー」
天音は玲菜に意図があるのを気づいてかあえておどけて見せた。
「今日、君が演劇部の部室の前にいるのを見たよ」
だが、玲菜にはまるで通じずすぐさま用件を切り出した。
「っ、そう、ですか」
一瞬で天音の表情が曇る。
それを見た玲菜は間違っていたらすまないがと、最初に口にし
「君は演劇部に入りたかったのではないか?」
天音の理由の本質を突いた。
「っ………あはは、なんですかいきなり。どうしてそう思うんです」
天音は動揺をしたものの表面上は取り繕ってそれを返した。あまりに脆い壁ではあっても、すんなりとそれをさらけ出せるほど大人ではないから。
「まず、君はここに来る理由はほとんどなかったはずだ」
「……言ったじゃないですか、玲菜先輩に憧れたからだって」
「それがもし本当であれば、初めに演劇部の方になどいかないだろう」
「……………」
「それにこの前、君の母上の舞台を見に行ったとき君は夢中で舞台に魅入り、そこにいる母上のことを誇らしげに話していたな」
「………………」
「君が求めるのはあそこにつながる道ではないか? だから、初めは演劇部の方を見に行ったのだろう」
だが、入部をすることはなかった。
その理由、昨日のことを思えば明らかだろう。
天音は同年代と比べはるかに実力が勝る。大きな輝きを持つ宝石があれば、その分周りが翳ることになる。
輝きを放つことが幸せとは限らない。まして、この年頃では。
「………あーあ」
玲菜の言葉に黙るだけだった天音は、不意に張りつめた空気を弛緩させるようなため息をついた。
「昨日追いかけてくれなかったくせに、今それ気づいちゃうんですか」
「む……昨日?」
玲菜には心あたりのないことだった。天音があの時追いかけて、どうしたのか聞いてほしかったなど。
「まぁ、玲菜先輩はそういう人なんでしょうから、それはいいですよ」
多分、昨日追いかけてもらえたのならすんなり話していただろう。
「でも、聞いてどうするんです」
しかし、一人で落ち込んでそれをどうにか心の底に沈めた今となっては玲菜に素直に吐露することができない。
「ん?」
「あたりですよ。玲菜先輩の言うこと。ほとんど正解です」
天音は玲菜のことをまともに見ない。これまで人前で弱みを見せたことはあるが、これは別格。天音の心の奥の奥に閉じ込めた闇。
その扉が緩んでいた昨日ならともかく、今はそれを押し込めたのだ。見ないふりをして。
「けど、だからってどうなんです? それを聞いて玲菜先輩はどうしたいんですか?」
何もできないですよね。
と、暗に伝える。
だが、玲菜はそんな意味には気づかず
「わからん」
と、天音の心の不意を突いた。
「ただ、放っておきたくはなかったのだ。力になどなれないかもしれないが、気づいているのに無視をしたくなかった」
玲菜の言葉は天音が想像したどんなものとも違った。
力になりたいというわけでもなく、何か綺麗ごとを言うのでもない。
放っておきたくなかったという言葉だけ。
表面上の嘘になれていた天音にはそれが予想外で、不意打ちで……堅牢に思えた心の扉を別のところから崩す。
昨日期待して、落胆して。諦めていたところに今度はこんな玲菜にしかできない方法で心に入り込んできた。
もう期待していなかったから、落胆していたからこそそれは……それは、実に。
「ずるいなぁ。変な風にかっこいいんですから」
ずるくて、嬉しい。
天音はあきれたような、でもどこか嬉しそうな崩れた表情で軽く玲菜にもたれかかって
「話、聞いてもらってもいいですか」
うつむいたままそう口にした。
「あぁ。私でよければな」