「あぁーあ」
天音はベッドの上で寝返りを打ちながら心の中にたまったものを吐き出すかのように息を吐いた。
「ここまで本気になるつもり、なかったんだけどなぁ」
あおむけになって天井を見上げる天音はそうつぶやくと軽く自分の頭に触れた。
(………………)
玲菜に優しく撫でられたことを思い出しながら。
(……ほんとの涙を見せたのなんていつ以来だろ)
嘘の涙はいろんなところで見せてきたが、あんな心の底から湧き出てくるような涙は記憶にない。もしかしたら、初めてだったのかもしれない。
心をさらけ出した涙なんて。
「……はぁ」
また右へ左へ二、三回寝返りをする。
(玲菜先輩)
頭に浮かぶのは玲菜の顔。
綺麗な黒髪。落ち着いた雰囲気。本を読みながら練習を見つめる涼しい表情。抱き着いた時の柔らかな感触。優しい匂い。
学校から帰ってきてから玲菜のことばかりが頭に浮かぶ。
ぼろぼろと涙をこぼす自分を撫でてくれた。声をかけずただ、言葉ではない優しさで包んでくれた。
考えてではないのだろうが、天音はそれが一番よかった。何か声をかけられるよりもただ自分の弱音を受け止めてもらえるだけで嬉しくてたまらなかった。
そして、泣き止んだときには自然と抱き着いていた。愛しさに体を動かされ。
(……抱き返してくれたら、もっとよかったけど)
などと自分に冗談めかして思うが、それが冗談じゃなくて本気で思っている自分がいることをもう驚かないで思う。
本当に初めから憧れてはいた。
あの部活紹介を見た時から。見た目もさることながら、あの場で演技ではなく堂々と、凛々しく演説をする姿に本気で憧れた。
それは自分にはないものだから。
天音は演じることしかできない。それは、演劇でもそうだが、周りから陰口をたたかれるようになってからは常に演じ続けていた。
強いふりをした自分を。
あまりにもそれが普通になっていて、どこかそんな自分を冷めてみていた。
だが、玲菜は違った。
人目にさらされれば誰もが、演じる。人前用の自分を。
まして、嘘をつき続けてきた天音はそれが自然かつ当然のことだと思っていた。
玲菜にはそれがなかった。演じ続けてきた天音はその玲菜の嘘のない姿に驚嘆した。
それでも最初は玲菜のところに行くつもりはなかった。いや、むしろ玲菜のことを見たからこそ自分もあんな風になれたらと思って、演劇部を見に行くことにした。
そこで感じたのは中学の時と同じ空気。また、嘘の自分を演技続けなければいけないそんな確信を感じさせるものだった。
悩んだ。
演劇はやりたい。しかし、中学の延長をするのは嫌だ。そんなことをしていたら、演じることそのものを嫌いになってしまうようなそんな予感もあった。都会ならアマチュアの劇団に入るということもあるのだろうが、残念ながらこの近辺にはそういったものは存在しない。いや、したとしても結局は同じになるかもしれないことも不安でどうすればいいのかわからなくなった。
そこで思い出したのは玲菜のことだった。
本音を言えば、玲菜のところに行ったのは興味本位が大半だった。演劇は演劇であるし、玲菜にも興味がある。それに、できたばかりの部でしかも子供相手であれば、嫌な気分にならずに演劇をできるような気がした。それが自分のしたいものとは違ったとしても。
実際に部に入ってからは玲菜が部長でなかったことも含め色々驚きもしたが、思いのほか天音にとって楽しいものでもあった。
結月以外に経験者がいないという状況で天音は誰からも頼りにされたし、指導をするのも悪くない。また、初心者ということもあるが上達するのを見ていくのも楽しかった。
玲菜に対するあこがれはいい意味で裏切られもしたが、玲菜には独特の魅力があった。連休に玲菜を誘ったのはもっと玲菜を知りたいという気持ちであったが。
(………こんな風になるとは考えてなかったなぁ)
玲菜のことしか考えられない自分のことを軽く笑う。
初めて泣かせてくれた相手のことを好きになる。
まるで刷り込みのようだと思いながらも、自分の中に芽生えた気持ちは否定しない。
自分は玲菜が好きだ。
救ってくれたことだけじゃなくて、今が楽しいと思えることも玲菜のおかげ。
もっと一緒にいたいと思う。もっと話をしたいと思う。もっと触れたいと思う。
もっと、もっと、もっと。
玲菜の全部に、玲菜との全部に天音はそう思う。
多分、この気持ちは簡単には実らない。
玲菜のことはよく知らないし、結月との関係もある。誰の目から見てもあの二人には大きな絆があるのがわかる。
それが恋人と呼べるものなのかまではわからないが、簡単に入り込めるものではないのは明らかだ。
「ふん……」
だからと言って、諦めるつもりは………ない。
その想いを自分の中で確かめた天音は天井を見つめたまま不敵に笑い、
「振り向かせて見せますから」
強気にそうつぶやくのだった。
「………ふむ」
玲菜はお風呂上りにベッドで火照った体を覚ましていた。
深い青色のトップスにふとももの眩しいショートパンツ姿。もともと上下セットのパジャマを買ったのだが、結月が膝枕をする際にこちらの方がいいということで夏が近づくとこの恰好になっている。
今はそれを発揮することもなく玲菜は一人で昼間のことを考えていた。
この恰好もそうだが、玲菜は結月のためなら何でもすると言っていい。だが、それ以外には興味が薄い。
だから、昼間のことは自分でも予想外のことだった。
最初天音に対し抱いていた感情は結月にとって有用な人間だなという程度だった。天音自身の実力および、経験者としての指導力を買っていただけだ。
この前に天音と出かけたのすら、いずれこれが結月のためになればという理由が半分を占める。
(あんなものを聞いてしまってから、か)
天音にかまった理由を探す玲菜は、ファーストフード店で陰口をきいたことを理由に挙げる。
人の悪意に対してひるむことなく立ち向かう天音。
その姿に強さともろさを感じた。支えてやらねば崩れてしまいそうな弱さを。
そんなものを見せられたら力になってやりたいと思うのが人として当たり前かもしれない。
「……ふ」
何気なく髪に触れる玲菜はそう一応の結論を出すが、そんな自分を嗤う。
自分などが人並みのことをしたのだという事実と
「自分のことを棚に上げてよくあんなことが言えたものだ」
天音に告げた自分の言葉を思い出して。
誰でもそうかもしれないとは思う。
自分ではできないくせに、他人にはそれをしろという。
それはおそらく人として最も愚かな部類にはいることなのかもしれない。
「だが、な」
愚かだと言われても、そうするしかないこともある。
玲菜はそうしてずっと生きてきた。
(多分、これからもなのだろうな……)
そんな悲しいことを思いながら
「ふふ」
また、自嘲ぎみに笑うのだった。