「ねぇ、お姉ちゃん」
玲菜が帰った後の応接間で、残ったお茶とお菓子を食べながら姉妹が仲睦まじく会話をしている。
「なにかしら?」
「ぶちょーと何話したの?」
今日香里奈は家に来てから玲菜とは話せていない。茉利奈との話が終わった後、挨拶は交わしたもののすぐに玲菜は帰ってしまったからだ。
玲菜が家に来たのを楽しみにしていた香里奈はそれが少し不満で、頬を膨らませながら姉に問いかける。
「ふふふ、内緒」
茉利奈はそんな妹をはぐらかすような笑顔を見せた。
言えるはずがないと言えば、そうだ。
今日玲菜に語ったことを香里奈の前で口にしたことはほとんどない。
香里奈から見た茉利奈はいつでも、優しく、落ち着いていて大人っぽいお姉ちゃんだ。
初めて会った相手の前で嬉々として妹のかわいさを語るような姿は茉利奈の立場から語れるものではない。
「えー、お姉ちゃんばっかりぶちょーと話しててずるいー」
香里奈はもちろんそれに気づくこともできずに内緒にされたことに対して文句をつける。
「じゃあこれだけは教えてあげる。香里奈が可愛いって話をしてたのよ」
事実ではあるが、そうやっていうことではぐらかしたつもりだった。
「え? ぶちょーがそう言ってたの?」
しかし、香里奈は姉がしてほしくない反応を嬉々としながら見せた。
「ま、まぁね」
目を輝かせてそんなことを言われれば否定できるわけもなくしぶしぶとうなづく。
「わーい。よかったぁ」
「か、香里奈はあの子に可愛いって言われたら嬉しいの?」
多少動揺を見せながらも茉利奈は姉としての面目を保ちながら答えが聞くのも怖い質問をしてしまった。
「うん。嬉しいよ?」
「っ………」
無邪気にうなづくその姿に茉利奈は持っていたカップの中身をこぼしてしまいそうになるほど衝撃を受ける。
「あ、そうだ。お姉ちゃん」
「な、何かしら?」
「これからもぶちょーと仲よくしていいの?」
「そ、それはもちろんかまわないけど、わ、わざわざ私に聞かなくてもいいんじゃないのかしら」
「え? だって、お姉ちゃん。お姉ちゃんがいいよって言わないと好きな人でも仲よくしちゃだめって言ってたでしょ」
「っ!!!? か、かか、香里奈はあ、あの子が好きなのかしら」
もはやこれ以上ないほどに動揺しつつも茉利奈はどうにかお茶に口をつけてから、カチャカチャと音を立ててカップを皿の上に戻した。
「うん。好きー」
「っ!」
妹のその無垢な回答に今度はカップの取っ手を握りつぶしてしまうのではないかと思うほどに握る。
「だって、ぶちょーかっこいいし綺麗だし、いい匂いがするし、好きー」
「そ、そそ、そう………」
理性は落ち着けと言っているが、その程度では制しできないほど心が高ぶっている。具体的に言うなら今目の前に相手がいたら思いっきりひっぱたいてしまそうなくらいに。
先ほど話した時には妹を任せてもいい(あくまで学校では)かとすら思うほどに好印象であったが、そんな気持ちも今は吹き飛び、憎しみとも嫉妬とも取れない感情を抱いていた。
(も、もし香里奈に何かしてみなさい。絶対に許さな………)
「あ、でも、一番好きなのはお姉ちゃんだよ
「え?」
またも妹の意図のない言葉に茉利奈の心は揺さぶられる。今度はよい意味で。
「そ、そう………」
妹の言葉に理性を取り戻した茉利奈は今度は落ち着いた手つきでカップに口を付けた。
「も、もう変なこと言わないの」
心の中ではガッツポーズをしているがそれを表に出すことなく香里奈の憧れる姉を演じる。
「えー、変なことじゃないよ? だって、お姉ちゃん大好きなのはほんとだもん」
香里奈は子供だ。
だが、だからこそ香里奈の言葉には嘘も偽りもなく素直な気持ちが茉利奈に伝わってくる。
それがわかる茉利奈は妹の純粋な気持ちに笑顔になる。
「ねぇ、香里奈。今日は一緒に寝ましょうか」
「え? いいの?」
「えぇ。久しぶりだしね」
「わーい。あ、じゃあお風呂も一緒にはいろ」
「ふふ、わかったわ」
つらく悲しい経験をしてきた二人の姉妹今仲睦まじく笑いあっていた。。
自分が帰った後、姉妹がラブラブな時間を過ごしていることも知らず玲菜は夜一人になった部屋の中で香里奈のことを考えていた。
(まさか、本当に親がいなかったとはな)
窓辺で初夏の涼しい風を感じながら玲菜は二人の姉妹のことを思う。
(どんな気持ちだったのだろうな)
特に気になるのは幼い香里奈のことだ。
今でこそ、両親の死に対し負い目や引け目を感じているようには見えないが当時はそんなわけない。
何故帰ってこないのだろうと、いつまでも両親の帰宅を待っていたはずだ。
それは圧倒的に絶望的な気持ち。
当然あるべきものが、突然に失われる喪失感。
当時の香里奈の気持ちを思うだけで
「っ………!!」
玲菜はその憐憫に体を大きく震わせた。
「…………はぁ、はぁ」
苦しげに息を吐き、高ぶった心を落ち着かせる。
痛み。
香里奈は痛みを乗り越え今、ああして過ごしている。
普段の香里奈からは想像もつかないが、その背景を知っていれば必然これからの香里奈への接し方は変わってくる。
それが今後どのような意味をもつのか今は不明だが玲菜の中でそれは間違いのないことだった。
(できれば、話を聞いてみたいが………)
香里奈ともっとそのことに関して話をしたい。それは玲菜の本心だ。やはり知ったところで何か意味のあることになるわけではないだろうが、それでもそれは本音だった。
「ふ、さすがにな」
玲菜はそんな自分をあざ笑って冷たく感じてきた窓辺で窓を閉めた。
自分がいかに常識のない人間であると自覚しても、それを聞けるはずがないことは理解している。
もし、万が一にこれから先香里奈とさらに親交を深めるようなことがあれば別かもしれないが、今はそんな予定もない。
「ふ……」
おそらくそんな機会は訪れることはないだろうと結論づけ、玲菜はベッドに入って行った。
(だが、それでも。やはり知れてよかったよ)
そして、今日のことをそう総括した。