シンと静まった室内。

 凪いだ水面のように涼やかで、厳かな式の最中のような緊張感が漂ういつもの部室。

 室内にいるのはたった二人。

 二人でソファに微妙な距離を保って座っている。

(えぇと……)

 そんな中で洋子は戸惑っていた。

 今日は水曜日。結月の決めた部活動のない日だ。

 ではなぜこんなところにいるかと言えば、それは玲菜に誘われたからだ。

 昼休み玲菜が珍しく洋子の教室を訪れたかと思えば、放課後に時間が取れないかと聞いてきた。

 それを了承すること自体はなんでもないし玲菜からそう誘われることが多少嬉しくもあったが、いざ誰もいない部室で二人きりになると緊張してしまった。

(……むぅ)

 それは主に玲菜に原因がある。

 目的の場所に連れ込んだのだからさっさと用件を伝えていいのだが玲菜は玲菜で自分に戸惑いを覚えていた。

(友人、だからなのだろうか)

 それは結月に指摘されたこと。

 玲菜は洋子のことを友人とは考えていない。考えようと思ったことすらない。だが、結月が友人と称したことがいまだに気になっていた。

 自分の行為が友人としてのものなのか、それが自分でも良くわからなかった。

(いや、しかし……だとしても、私が一方的に思っているだけだろう)

 と、やはり通常ありえない思考をする玲菜にしびれを切らし洋子はおずおずと口を開いた。

「あ、あの、話って、なに?」

「ん、あぁ。すまない、そうだな」

 その一言で玲菜は頭を切り替える。

 たとえ、玲菜の中で友人かどうかの答えが出たとしてもそれですることを変えるわけではないのだから。

「君は何か悩みがあるんじゃないのか?」

「え? なやみ?」

 玲菜が確信をもって言ったセリフに洋子はピンとこないかのようで首をかしげながら玲菜を見つめ返した。

 この反応は通常だ。

 呼び出されたかと思えばいきなり悩みがあるかと聞かれればそれがよほど自覚のあることか、重大なものでない限りはぽかんとするしかないだろう。

 洋子の抱える悩みもまたその程度のものではあった。

「最近、様子がおかしいだろう。呆けていることが多いぞ」

 と、ここまで言われて洋子は自分の様子を思い出した。

「あ、あぁ、うん。ただ、悩みっていうほどのことじゃないんだけど」

 自分が呼び出されたのはそんな理由だったのかと理解した洋子は安心と、どこか残念がりながら頷いた。

「そうなのか? だが、この前も部活を早退していただろう。何かあるのなら力になるが」

 体をわずかに寄せながら玲菜は洋子に迫る。玲菜は自分を優しい人間だとかおせっかいだとは思っていない。ただ、中途半端なことは嫌いで初志を貫徹しようとしている。

「えぇと、ほ、本当に大したことじゃ。久遠寺さんに話すようなことじゃないの」

 自分では本気でそう思っている洋子は玲菜がこうまでして聞いてくることが逆に申し訳なく感じて玲菜の好意から遠ざかろうとする。

「……そう、か。そう、だな。私などでは、頼りないだろうしな」

 玲菜を知らない人間が聞けば嫌味に聞こえるだろうが、玲菜が本気でそう思っている。自分を自然と卑下しまうことを知っている洋子はそれがわかった。

「そ、そういうのじゃないの。ほ、本当に大したことじゃないだけで」

「いや、気を使わなくてもいい。頼りないというのはわかってる」

「そ、そんな風に言わないでよ」

 洋子を含めた部員全員、形は違うかもしれないが玲菜に対する尊敬や好意が存在する。その玲菜が必要以上いや、必要もないのに自分を貶める姿に洋子は胸を痛めた。

「わ、私は久遠寺さんとお友達になれて嬉しかったんだから。だから、そんな風に言わないで」

「……………」

 洋子の痛んだ胸が熱のこもった想いを吐き出させ、玲菜はそれを、その中に含まれた単語に気持ちを囚われた。

(友だち……)

 結月にも同じことを言われた。しかし、本人の口からその言葉が出てくるとは想像になかった。

(神守も、そう思っているのか……?)

「久遠寺、さん?」

 自分を失っているというのが洋子からも見てわかる。それの原因まではわからないが。

 不器用な玲菜は不器用な方法で洋子にそれを伝えようとする。

「私と君は、友人なのか?」

「え? わ、私は、その……そう思ってる、けど」

 勝手な思い込みだったのかな。と、玲菜のせいで洋子はそんなことを考えてしまう。

 だが、そんな洋子の思いとは対照的に玲菜は口元をゆがめると、

「ふむ。嬉しいというだろうな、この気持ちは」

 自分でも把握し切れていない感情を口にした。

「え?」

「君に友人と思われて嬉しいよ」

 それはストレートな好意。普通の友人同士であれば、こんなことをそうそう相手に伝えたりなどできない。

「わ、私も、嬉しい、よ。久遠寺さんが友だちで」

「そうか。ありがとう」

 同じことを伝えてきた洋子に玲菜は穏やかな顔で頷いた。

「…………部活のことで悩んでたの」

 その横顔に洋子は自然と切り出していた。

 友だちに相談する悩みを。

「部活?」

「うん、文芸部の方」

「両立が大変ということか?」

 すばやく頭を切り替えた玲菜は一番初めに思いついた可能性を伝えるものの洋子は軽く首を振った。

「そうじゃなくて、課題をどうしようかなって」

「課題?」

「うん」

 聞いたことがあった。確か洋子の所属する文芸部では偶数の月にあるテーマが出されそれに関して作品を書くと。

「それがちょっと難しい課題だからどうしようかなって思ってたの」

「む、なるほどな」

 聞いてみると本当に大した悩みでないという言い方は失礼だろうが、玲菜が心配したようなものではなくそれに関しては素直に安心をする。

 だが、それでも悩んでいるというのは変わらず当然のことを口にした。

「どんな課題なんだ?」

「え、と……その」

 話すというのは洋子の中でも決まっていることだろうが、それを言葉にするのは色々羞恥心がある。

「……れ、恋愛」

「ふむ……なるほど、な」

 それは小説のテーマとしておかしくないものだが、それを恥ずかしがってる原因はなんとなく想像がついた。

「私、そういうの全然経験ないから。どうすればいいかわからなくて」

 玲菜が言えるようなことではないが、玲菜の目から見ても洋子がそう言ったことに敏感のようには思えなかった。

 だからそれは確かに困ることなのかもしれないが。

「別に経験などなくてもいいのではないか? 確かに実際にそのことを知らなければできないことというのはあるかもしれないが、逆に知らないからこそ書けるというものもあるんじゃないのか。極端な話、人殺しをしたことがなければサスペンスなどをかいてはいけないわけではじゃないだろう」

「それは、そうかもしれないけど」

 玲菜の言うことがおそらく正しいと洋子も思う。もともとフィクションだろうとそうでなかろうと自分の中にある想像を文字にするというのが小説と思っている。だから、経験の有無にかかわらず想像をしていいはずではある。

「…………」

 しかしそう思うこととは別に実際に書いていると体験の重さを感じることもままあることだった。

 それは読むことしかしていない玲菜にはわからない感覚。

「……ふむ。すまないな。あまり気の利いたことが言えないで」

 洋子の思考まで読んだわけではないが、自分の言葉に洋子が納得していないくらいはわかり、申し訳なさそうに謝る。

「せっかく君に何か恩返しができるかと思ったが」

「そ、そんなことはないよ。そ、そうだ、久遠寺は好きな人とか……」

 玲菜の申し訳なさそうな様子に洋子もまた同じ気持ちになって誤魔化そうと迂闊なことを口にする。

「私? 私が好きなのは結月だな」

 返ってきたのは予想通りの一言。

「もっとも恋愛とは言わないだろうが」

 それも予想通りの言葉。

 結月と玲菜を少し見れば二人の間に大きな絆があることはわかる。そしてそれが、普通のものではないことも。

 結月の玲菜に対する気持ちはまだ常識の範囲の気持ちなのかもしれないが、玲菜の結月に対する気持ちは一般に人が持つ感情として不自然な点が見て取れた。

「すまんな。参考になるような話もできないで」

「う、ううん。私の方こそ、気を使わせちゃってごめんなさい」

 また同じような会話をする中玲菜は、今度は言葉にせずに申し訳なく思う。

(やはり私では人並みに友人の力になることもできないか……?)

 お決まりのマイナス思考をしながら、それでも初めて意識をした友人になにかをできないかと考える玲菜は

「そうだ、キスでもしてみるか?」

 ありえない思考回路でありえないことを伝えていた。

3/5

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