「え、と……あの、え?」

 洋子はひたすらに混乱した。

 当たり前だ。

 玲菜の提案は洋子の理解を超えすぎている。今の話の流れのどこからキスをしようなどという言葉が出てくるのかまるでわからない。

「どうした? 私では不満か?」

 だが、玲菜にそんな自覚はないようでそんなことを聞き返してくるだけだ。

「ふ、不満とかじゃなくて、え? あ、あの……ど、どうしてそう、なるの?」

「君が経験がないというのを気にしているようだからな。恋というのは無理かもしれないが、キスというのも何かの参考になるかと思ってな。そのくらいであれば私も協力できるしな」

「そのくらい、って……」

 それは普通に考えたらありえない、本当にありえない考え方だ。そもそも順番が違っている。

 恋をするから、相手を好きだと思うから相手を欲しくなる、キスをしたくなる。

 少なくても洋子はそう考えていて、恋という過程を飛ばしてキスをするなどありえなすぎることだった。

「あ、の……」

 心の底から困りながらも洋子は自然と玲菜の顔に目を奪われる。正確には玲菜の唇に。

 端整な顔立ちに張りのある唇。化粧などをしているわけでもないのに、意識をしてしまったそれはとてつもなく魅力的に、魅惑的に見えた。

「……やはり、おかしなことを言っているだろうか」

 玲菜の唇を見て赤くなるところも含め、玲菜は洋子が困っているというのを感じた。

「う、うん……少し」

「そうだな。ファーストキスというのは特別なものなのだろうしな」

「久遠寺、さんは初めてじゃ、ないの?」

「む、私か……そう、だな」

 玲菜の表情が陰る。

「まぁ、初めてではないよ」

「それって、結月、ちゃん?」

「ふむ、鋭いな。いや、他に候補がいないか」

「そ、う……」

 玲菜がなんでもないように言うが、かなり衝撃的な事実だった。それと同時に玲菜への疑問がさらに膨れ上がる。

 キスをしたといった。だが、直前玲菜が結月を好きなのは恋ではないと言っている。洋子の目から見ても二人が恋人には見えない。

(でも、キスを………?)

 それはどういった理由なのだろう。

 いや、さらに言えば洋子から見て玲菜は異常すぎる。

 これまでも玲菜のおかしな点は十分に見てきたつもりだが、キスに対してこのようになれることが信じられなかった。

「特別じゃ、ないの? 久遠寺さんには、キスって」

「そうだな。誰でもいいとは思わないが」

「どう、して私に、なんて言ってくれたの?」

「君には感謝をしているしな。それに友人として力になりたいと思ったのだが……」

(それだけ……?)

 玲菜が友人と言ってくれたこと、それは嬉しいことだ。しかし、それだけの理由でキスをしようという玲菜は異常だ。

「だが軽率だったな。君を困らせてしまっただけのようだ。忘れてほしい」

「う、うん」

 おかしな玲菜に自分の悩みなんて吹き飛ばしてしまいながら、洋子は頷く以外できなかった。

 

 

 洋子と話しをした夜。

 玲菜は部屋の机のイスで一人落ち込んでいた。もちろん、洋子と話しをしたことについてだ。

 友人と言われたことについては素直に嬉しく思った。だが、その友人に対して何もできなかったという自分の中の結果が玲菜の気持ちを沈ませていた。

(それほどおかしかっただろうか……いや、おかしかったのだろうな)

 友人と呼ばれ、何かをしたいと思った。キスをしようという言葉は、恋愛を知らない玲菜にとってせめてもの気持ちだったのだ。

 誰でもいいとは思わない。恥ずかしいと思う気持ちもある。だが、それで少しでも力になれるのならと。

 しかし、洋子が怪訝な顔をするまでそれが異常なことだということには気づけなかった。

(どうせ私では、今更人並みにということ自体に無理があるか)

 これまで友人を作ってこなかった。人とかかわってこなかった。そんな自分が急に【普通】のことをしようというところに無理があるのかもしれない。

(…………)

 自分がまたしてはいけない思考をしていることを玲菜は知っている。してはいけないのに止められない自分を。

 だからまたそれに手を伸ばそうとしたとき

 コンコン。

 ノックがなった。

「玲菜ちゃん。入るよ」

 玲菜の返事を待たず部屋に入ってきたのは結月。

 結月らしいオレンジでフリルのついた可愛らしいパジャマ姿で、枕を持って玲菜の前にやってくる。

「ねぇ、玲菜ちゃん。今日、いいかな?」

 枕をぎゅっと抱きながら甘えた声と、赤くした頬で誘ってきた。

「……もちろん、かまわないよ」

 玲菜は一瞬だけ躊躇をした。いや、断ろうと思ったわけではない。以前洋子にも言ったことだが結月が求めてくればそれを断ることなどできない。

 それでも即答しなかったのは、玲菜と結月の間にある近すぎるからこその壁のせいかもしれない。

「もうベッドに行くか?」

「そうだね、明日も学校だし」

 二人でベッドに向かって行く。お互いに異なる気持ちを抱きながら。

 先にベッドに上がった玲菜はベッドの中心よりも奥に行くと、掛布団をめくると

「ほら」

 と、結月を招いた。

「お邪魔します」

 自分の枕を玲菜の枕の隣に置いて結月はベッドに入っていく。

「……やっぱり、玲菜ちゃんのベッドっていい匂いするなぁ」

「嗅ぐな」

「シャンプーとかリンスとか全部同じの使ってるのになんでだろうね」

「さぁな。だが、私からすればお前の方がよっぽといい匂いがするがな」

「か、嗅がないでよぉ」

「お前が先にしてきたんだろう」

「それは、そうだけどぉ」

「自分がされて嫌なことは人にするなということだ」

「べ、別に嫌じゃないよ。恥ずかしいだけだもん」

 その後も姉妹とも親友とも恋人のようにも感じるやり取りをして、しばらくすると静かになる。

「………そういえば、今日神守さんと話したんだよね」

 これまでの仲睦まじいの様子とは異なった結月の声。

 動悸する胸を気づかれないように玲菜を見つめる。

「あぁ」

 玲菜もまた胸がこれまでと違う鼓動を刻むのを自覚し、結月を見ずにうなづいた。

「どうだった?」

「友人と言われたよ」

「そっかぁ、よかったね」

「……あぁ。まぁ、な。……っ」

 結月が玲菜の腕を取りながら体を寄せる。

 結月は今のやり取りだけで、玲菜が落ち込んでいることをわかったわけではない。ただ、最初からこうなるような気がしていた。

 どうせ何か変なことでも言ってしまったのだろう。もしくは何も言えなかったのかもしれない。どちらかはわからないが、少なくても玲菜の中では力になることはできなかったのだろう。

 そして、そういう時玲菜が何を考えるのかそれが結月にはわかる。

 誰よりも玲菜をわかる結月だから。

「結月……人と関わるというのは難しいな」

「うん………」

 さらに体を寄せて、お互いの肌がもう触れ合っている。

「玲菜ちゃんには私がいるからね」

「…………知っているよ」

「……うん」

 そうして二人の夜は更けていく。

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