その日また玲菜は洋子と二人きりになっていた。

 今日は部室ではあるが、今は昼休み。二人きりの部室で昼食をとっていた。

 玲菜は結月に誘われた日のみ結月や時には姫乃と弁当を取るが基本的には一人で今日もそのはずだった。

 しかし、昼休みになると同時に洋子が一緒に食べようと誘って来て、ここにきたというわけだ。

「え? お弁当も作ってるの?」

 昨日のソファの上ではなく、主に姫乃が書類仕事に使う机に互いに弁当箱を広げ会話を挟みながら箸を進めていく。

「あぁ。毎日というわけではないがな。結月がたまに食べたいというのでな」

「はぁー……す」

 すごいねと言いかけて洋子はやめた。返答がわかる気がするから。

 そう思うからこそ、洋子は誘った目的を果たそうとする。

「……あの、久遠寺さん。昨日は、ありがとう」

「ん?」

「話聞いてもらって嬉しかった、から」

「礼を言われるようなことはしてないはずだが?」

 それは玲菜の本音。自分ごときではと本気で思ってしまう玲菜の本音。

「ううん、そんなことない。悩みって聞いてもらうだけでも嬉しいの。それに私は久遠寺さんとたくさん話せただけでも嬉しいから」

 洋子も本音ではある。嬉しかった。一年前から憧れを抱いていた玲菜をあんなにも話すことができて、友だちと認められたこと、本当に嬉しかった。

 ただ、ここで洋子がそれを口にしたのは玲菜の自己否定を少しでも和らげたいと思ったから。

 玲菜が昨日、何度も自分を否定したのは感じていてそうじゃないということを少しでも玲菜にわかってもらいたかった。

 玲菜の原因まではわからずとも、無力ではないということを玲菜に知ってほしかったから。

「だから、ありがとう」

 洋子は穏やかな表情で玲菜に笑いかけた。それは玲菜が今まで体験したことのない友だちの笑顔。結月といるのとはまた違う心の休まる瞬間。

「…………」

「久遠寺、さん?」

「っむ、いや、そう、だな。君の力になれたのなら嬉しいよ」

 そういった自覚のない玲菜は自分の中にある気持ちに戸惑いつつも洋子へと答えた。

 やはり自分が洋子の力になれたという自覚はないものの、洋子の言葉に嘘がないと感じたから。

「しかし、改めて思うと君はすごいな」

「え?」

「そのように悩みながらもしっかりとこちらの部活にも来てくれる。まぁ、多少集中していないこともあったがそれでもどちらにも手を抜いていないということはわかる。私は目の前のことくらいしかできないからな。うらやましくすら思うよ」

「そ、そんな、私………」

 洋子ももともとは引っ込み思案で自分への評価も高くはない。ただ、ここで洋子は私なんかという言葉を飲み込んだ。玲菜の前でそういうことはきっとしてはいけないから。

「私……やりたいことがあるから」

 代わりに、これまでほとんど人に話したことのないことを口にすることにした。

「やりたいこと?」

「うん。あ、あのね。私、絵本、書いてみたいの」

「絵本?」

「うん。私、小さいころから、ね。絵本作家になりたいって思ってたから」

「………ほう」

 玲菜の目つきが変わる。厳しくとも、優しくとも取れる不思議な瞳に。

「いつも久遠寺さんに読んでもらってるようなのを書くのも好きだけど、本当は児童文学とかも書いてみたくて、ちょっとは書いてみたりもしたことあるんだけど」

(なるほどな。だから、こちらに来たというわけか)

 引っ込み思案な自分を変えたいというのなら普通の演劇部でよかったはずだ。だが、それ以上にこちらの方が自分の目的と合致したのだろう。

(にしても)

 玲菜は改めて洋子を見つめる。

 普段から口数は多くなく、言いたいこともはっきりと言わないことも多い洋子。もともと玲菜と比べれば小柄だが、どこかそれ以上に差があるようにも思わせていた洋子。

 だが、今はそれよりも圧倒的に差を感じる。

「…………や、やっぱり変、かな」

 玲菜の表情が厳しくなり、黙ってしまったのを悪い意味で取ったのか洋子は急に恥ずかしそうにそう言った。

「む? 何がだ」

 玲菜は素早く反応するものの、普通なら聞くまでもないことを聞き返す。

「え……絵本作家になりたい、っていう、こと」

「それの何が変だというんだ?」

「えと……」

 答えられない洋子だが、玲菜はそんな洋子を気にも留めず自分の意見を口にする。

「私は君を尊敬すらしたというのに」

「え? そ、尊敬?」

「あぁ、そのように将来のことを語れる。私は自分の将来のことなどまるで考えられないからな。そうして自分のしたいことを他人に語れるというだけでもすごいと思うよ」

「そ、そんな私なんて。なれるかだってわからないし」

 極力私なんてという言葉を封印していた洋子だったが、玲菜に尊敬などと持ち上げられてしまい思わず口をつく。

「わからなくとも、言葉にした瞬間。人というのはその目的に向かって努力を始めるものだ。だからここにきてくれたんだろう。そうして、自分のゆめに向かって頑張れる君は尊敬に値するよ」

「………ぅ、あ……」

 玲菜のストレートな物言いに洋子は顔を赤くしていく。

(嬉しい………嬉しい……嬉しい)

 玲菜を尊敬していた。すごいと思っていた。洋子も自分のことを高く評価などしていない。玲菜が自分以上に自己否定をする人間だと知っても、それでも洋子は玲菜を尊敬していた、遠い存在だと思っていた。

 そんな玲菜に心から尊敬と言われた。

 それがたまらなく嬉しかった。

「久遠寺さん。あの、私、頑張るから。どっちももっといっぱい頑張る。だから、これからも久遠寺さんに私のことを見ていて欲しい、な」

「……あぁ。了解した。改めてよろしく頼むよ、洋子」

「う、うん。よろしくね。」

 互いに改めて友だちということを自覚し合い、洋子は心からの笑顔を見せた。

 今口にしたことが、本音であるからこそ心に傷を作る玲菜とは対照的に。

「えへへ」

 その日の夜。洋子はベッドに寝転がりながら昼間のことを思い出していた。

(洋子……)

 玲菜の声がまだ耳の奥に残っている。

 まさかこんな日が来るなんて思わなかった。

 あの日、勇気を出して玲菜に話しかけてよかったと心から思う。一年のころからひそかに憧れていた玲菜と友だちになることができ、名前まで呼んでもらえた。

(それに………)

 尊敬しているとまで。

 本当に、本当に嬉しかった。

 自分の夢をそんな風に言ってくれた人はいなかったから。

 正確には話したこと自体二回目ではある。けれど、その時には表立って言われたわけではないが、多分バカにされていた。

 だからこそ、尊敬していた玲菜に認められたことが嬉しかった。ただ認められたからじゃない、玲菜だからこそこんなにも嬉しい。

(もっと、頑張ろう)

 いつの間にか抱いていた枕に力を込める。

 もっと玲菜に認められたい。認められる自分でいたい。

 新しい目標ができて、本当にもっともっと頑張れる気がした。

 きっと勉強も、文芸部の活動も児童演劇部の活動も今まで以上に一生懸命になれる。

(……台本とかも、書いてみたい、かも)

 なんて気が高まっている洋子はいつもならとても思えないような積極的なことを考える。もしかしたらそれが実現することもあるかもしれないが、今はそれ以上に先にしたいことがある。

(いつか、ちゃんと力になりたいな)

 それは友だちの力になること。

 今日は結局自分が嬉しいだけになってしまった。

 けれど忘れてはいない。

 玲菜の普通じゃないことについては。

 圧倒的な自己否定。自分を軽く見ているというレベルでなく、自分に価値がないようにすら思っているようにも見える。だからこそ、洋子に対しても大げさに尊敬と言ったのかもしれない。

 玲菜の秘密。結月と一緒に暮らしていること、普通じゃないほどに二人の間に絆があること。洋子がこの数日で体験した玲菜の自己否定に関係があるのかすら定かではない。

 もしかしたら密接に関係しているのかもしれないし、何も関係がないのかもしれない。

 だが、どちらだとしてもいつかちゃんと話を聞いてみたい。

 好奇心じゃなくて友だちとして力になりたいから。

 そう心から思う洋子だが

(洋子……かぁ)

 今は今日の幸せに浸るのだった。

5/7

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